ハイムダール国物語  第八章


 カチャリと部屋の中ほどの扉が開く音がして、窓辺で椅子に腰掛けて外を見ていたロイはハッとして視線を扉に向ける。開いた扉の向こうから現れた姿を息を飲んでまじまじと見つめた。
 ロイと色違いの漆黒の衣装に身を包んだハボックはその瞳と同じ空色のサッシュを腰に巻いている。宝剣を佩いて長いマントをまとった背の高い姿は一幅の絵のように美しく、ロイは椅子から立ち上がることも出来ずにただ自分をまっすぐに見つめてくる美丈夫を見上げていた。
「ロイっ」
 だが、ロイを縛っていた某かの魔法も、ハボックが懐っこい笑顔を見せてロイの名を呼んだ途端解けてしまう。ロイはあまりのギャップに目を何度か瞬かせると長いため息を吐いた。
「…お前、アホ面曝して笑うな」
「へ?」
 顔を片手で覆ってそう呟くロイに、ハボックは意味が判らず首を傾げる。一瞬でもハボックに見惚れてしまった自分を内心罵りつつ、ロイはゆっくりと立ち上がった。窓から射し込む光を背に立つロイの姿にハボックは目を瞠り、それからうっとりと微笑む。
「すげぇ綺麗っス、ロイ」
 そう言うハボックにロイは驚いたような顔をすると目尻を染めてハボックを睨んだ。プイと視線を逸らして外を見下ろすロイの側にならんで立つとハボックは一緒に外を見る。眼下に広がる緑と家々の屋根を見つめて言った。
「歴史と伝統のあるカウィルには及ばないかもしれないっスけど、ハイムダールもいいとこっスよ。アンタがこの国を少しでも好きになってくれたら嬉いっス」
 そう言われてロイはハボックをチラリと見上げたが何も答えなかった。正直昨日初めて来たばかりの国を、好きとか嫌いとか、判断する根拠をロイは持たなかった。黙ったまま外を見下ろす2人の耳に部屋の扉をノックする音がしてフュリーの声がする。ハボックの答えに扉が開いてフュリーが姿を現した。窓辺に佇む2人の姿にフュリーが目を大きく見開いて、感嘆のため息を洩らす。
「とってもお似合いですっ、ハボック様、ロイ様」
 そう言われてハボックは嬉しそうに笑い、ロイはムスッと眉を寄せた。
「国王様がお待ちです」
「わかった」
 フュリーの言葉にハボックは頷くとロイの背を押す。二人は部屋を出るとフュリーの後について廊下を歩いていったのだった。

 
「おはようございます、父上」
 ノックをして扉を開ければ、既に身支度を整えた王が2人を待っていた。
「おはよう、ハボック。おはよう、ロイ殿。昨夜はゆっくり休めましたかな?」
「おはようございます、陛下。おかげ様でゆっくりと休むことが出来ました」
 答えて優雅に微笑むロイに王は満足げに頷く。王はハボックに視線を移すと言った。
「あと30分ほどで式典が始まる。お前にも一言言ってもらうからそのつもりでいるようにな」
 そう言われてハボックは頷くとロイの手を取る。にっこりと微笑むとロイに向かって言った。
「何も心配することないっスから。そのままでみんなの前に立ってくれたらいいっスから」
「…別に何も心配なんてしてない」
 さっき心を掠めた不安を見透かされたように感じて、ロイは思わずハボックを睨みつける。ハボックはくすりと笑って手を離すと父王に言った。
「先に行ってます」
「時間になるまでは顔を出してはいかんぞ」
「判ってますよ」
 ハボックはそう答えるとロイを促して部屋を出る。廊下を歩いていくハボックにロイは尋ねた。
「今日は随分来るのか?」
「そうっスね」
「国民は妃になるのが男だと知っているんだろう?」
「そりゃね」
 ハボックは幾分表情の硬いロイの横顔を見下ろすと言う。
「不安っスか?」
「別に不安も心配もないっ!」
 ロイは乱暴に答えると足を速めてハボックの前を歩いた。肩を怒らせて歩く姿をハボックは暫く見つめていたが、足を止めるとロイの名を呼ぶ。何度目かにロイはやっとハボックを振り向くと答えた。
「なんだっ?!」
「…そっちじゃないっス。こっち」
 そう言って廊下の曲がり角でロイが足を踏み入れた廊下とは別の方向を指差すハボックにロイは微かに頬を染める。
「早く言えっ!」
 ロイは怒鳴るようにそう言うとハボックの脇をすり抜けてスタスタと歩いていってしまった。ハボックはそんなロイの背を見つめながらくすくすと笑ったのだった。
 

 ファンファーレが鳴り響き厳かに式典が始まる。城の正面のバルコニーでは王が彼の民達の前で王子がカウィルから妻を迎え入れたことと、そのことによって両国の結び付きが強まりハイムダールの新たな発展に繋がるであろうことを告げていた。ハボックはバルコニーの内側で硬い表情を浮かべているロイを見つめて微笑む。その艶やかな黒髪にそっと触れればロイの体がビクリと震えた。
「大丈夫っスよ」
 優しく囁く声にロイは視線を逸らすと唇を噛み締める。ロイは明るく切り取られた窓の向こうに立つ王の輝く冠を見つめてギュッと手を握った。
 ああして国民の前に立ったことなら何度でもある。だがそれは、ロイの生まれた国のロイを王子として認めてくれている民の前だ。人質同然にこの国の第一王位継承者である王子のところへ男の身で正妻として嫁いできた自分を、このハイムダールの国民が一体どういう目で見るのか、正直不安でないと言ったらそれは嘘だ。
(別にどう思われようと私の立場が変わるわけじゃない)
 ロイはそう考えてきつい視線をバルコニーへと向ける。そんなロイをハボックはただじっと見つめていた。
 

 王の呼ぶ声にハボックとロイはバルコニーの外へと出る。城の正面の広場から始まって門の外のかなり遠い場所までぎっしりと埋め尽くす人の群れにロイは僅かに目を見開いた。それでも臆することなく僅かにマントを翻すと背の高いハボックの隣りに立つ。並び立つ2人の姿に居並ぶ群集のあちこちから感嘆のため息が上がった。
「我が民よ!ハイムダールはカウィルより王子ハボックの正妻としてロイ殿を迎え入れた。今後2人は互いに手をとりあってハイムダールとカウィルの為に尽くしてくれるであろう」
 王がそう言って2人を前に押し出す。ハボックはロイの手を取るとバルコニーの一番前に立った。
「ハイムダールの民よ!オレは今日、カウィルのロイを妻として娶った。神の前に一生の愛を誓った。もとよりこの結婚はハイムダールとカウィルのそれぞれの国のため、民の為のものだということは皆も承知のことだと思う。でも、オレは王子である前に一人の人間としてロイを愛している」
 ハボックはそう言うとロイのことを引き寄せる。驚いてハボックを見上げるロイのことを愛しげに見つめると言った。
「一人の人間としてロイのことを。だからオレはこの先側室を置く気はない。子をなす為だけに誰かを抱くことは出来ないから」
 ハボックはそう言うと腕の中にロイを抱き寄せ唇を合わせる。そっと唇を離せばロイが黒曜石の瞳を見開いて言葉もなくハボックを見つめていた。
「愛してます、ロイ」
 ハボックは皆に聞こえるようにはっきりとそう言うとロイを抱き締める。シンと静まり返った広場から誰かの不安げな声が聞こえた。
「それじゃ、お世継ぎは?この国はどうなるんです?」
 その声を合図にザワザワと騒めきが広がっていく。ハボックはロイをしっかりと抱き締めたまま答えた。
「オレはこの命の続く限りハイムダールの為に尽くしていくつもりだ。それはロイも同じ。オレ達は子をなす事は出来ないけれど、この国はオレ達と同じようにこの国を愛しているブレダとその子供が守っていってくれるだろう」
 そう言うハボックの言葉にも不安な声がそこここから上がっていたが、突然子供の高い声が響いた。
「ハボック様、幸せ?」
 その声の主を探してハボックが目を凝らせば10歳くらいの少女が緑色の瞳を輝かせてハボック達を見上げている。ハボックは少女に向かって微笑むと言った。
「勿論」
「だったらいいや」
 少女はにっこりと笑うと言う。
「だってこの国のことを大好きなハボック様が幸せなら、きっと国のことも幸せにしてくれるもの」
 そう言って笑う少女にハボックも満面の笑みを浮かべた。
「きっとそうする。誓うよ」
 ハボックはそう言うと腰の宝剣を引き抜く。ハイムダールの紋を刻んだ刀身に口付けると高く掲げた。ハボックのその姿にいつしか不安げな騒めきは消え、人々の唇から歓声が上がった。
「ハボック様!」
「ロイ様!」
「ハボック様、万歳!」
「ハイムダール、万歳!」
「お二人に幸福を!」
「万歳!万歳!」
 広場を埋め尽くす群集から上がる歓声を聞きながら、ロイはただ呆然とハボックの腕に抱かれていたのだった。


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