ハイムダール国物語  第七章


「もう朝っスよ、起きて下さい、ロイ」
 そう耳元で囁く声にロイはゆっくりと目を開く。すぐ近くで見下ろしている空色の瞳をぼんやりと見上げていたが、それが誰だか気付くとギョッとして飛び起きた。
「なっ、あっ」
「おはようございます、ロイ。夕べはよく眠れたっスか?」
 そう言ってにっこりと笑うハボックをロイはベッドに半身を起こしてブランケットを握り締めたまままじまじと見つめる。自分の置かれた状況をやっと理解するとハボックを睨みつけて呻いた。
「きっ、貴様っ、なんでここに…っ」
「だって、待てど暮らせど来てくれないし、覗いてみたらまだ寝てるし」
 ハボックはそう言うと首を傾げる。
「ロイってもしかして朝苦手っスか?」
 そう言われてロイは慌てて枕もとの時計を見た。針はようやく6時を回ったばかりで、夕べなかなか寝付けなかったロイにようやく眠りが訪れてから3時間ほどしかたっていなかった。
「まだ6時じゃないかっ!」
「だってオレ、興奮して目が覚めちゃったんスもん」
「私はやっと寝付いたばっかりだったんだっ!!」
 ロイがそう怒鳴ればハボックが嬉しそうに笑う。
「あ、それってオレと結婚して興奮して眠れなかったとか」
 ロイはそう言って頭をかくハボックに思い切り枕を投げつけると、頭からブランケットを被ってしまった。
「私はまだ寝るから起こすなっ!!」
 そう言って丸まってしまうロイを見下ろしてハボックはため息をつく。
「寝かせてあげたいのは山々なんスけど、今日は国民への顔見せがあるんスよね」
「顔見せ?」
 ブランケットの隙間から顔を覗かせるロイにハボックが頷いた。
「そう。オレ、一応ハイムダールの王子なんで、アンタのこと国民に紹介しないと拙いみたいだから」
 それは確かに王子の結婚ともなれば国を挙げての大イベントだ。しかもハボックは第一王位継承者なのだから尚更だろう。
「…何時からだ?」
「9時からっス。色々準備もあるから…」
 ベッドに身を起こして髪をかき上げるロイにハボックが言う。しょんぼりとうな垂れる姿にロイは眉を顰めると言った。
「お前が悪く思うことでもないだろう?」
「でも疲れてるだろうに。ゆっくりさせてあげることも出来ないで…」
 すまなそうに言うハボックにロイは1つため息をつくとベッドから脚を下ろした。
「別にお前のせいじゃない」
 そう言うロイにハボックは微かに笑うとテーブルの上のベルを鳴らす。少ししてノックする音に扉を開ければフュリーが直立不動で立っていた。
「おっ、おはようございますっ、ハボック様、ロイ様っ」
「おはよう、フュリー。悪いけど、今日はここで食事を取るから運んでくれるか?父上にもそう言っといて」
「あ、はいっ」
 メガネの奥の目を見開いて返事をするとフュリーはパタパタと廊下を駆けていく。ハボックはその背を見送るとバタンと扉を閉じた。
「おい、食事は王と一緒に取るのが慣わしなんだろう?」
「いいんスよ。まだこの先いくらでも一緒に食べられるんスから。今朝は少しでもゆっくりして、ね?」
 そう言って笑う優しい瞳にロイは目を瞠る。僅かに頬を染めると目を逸らした。ハボックは薄いワンピースタイプの寝衣一枚のロイにカーディガンをかけてやる。ハッとして見上げてくる黒い瞳に微笑むと言った。
「風邪引くっスよ」
「きっ、着替えるからっ」
「いっスよ、食事の後で」
 ハボックはそう言うと窓辺に近づく。窓から外を見ると言った。
「オレ、ちょっぴりワクワクしてるんスよね、アンタのこと紹介すんの。こんな綺麗な人がオレの結婚相手なんだって」
 そう言って照れたように笑うハボックに何か言い返してやろうと思ったロイだったが、咄嗟に言葉が浮ばず唇を噛み締める。それでも何とか言おうとした矢先、ノックの音がしてフュリーが食事を運んできた。
「お待たせしました、ハボック様、ロイ様」
 そう言って部屋に入ってくると食事の支度を始めるフュリーを見てハボックが言う。
「ありがと、フュリー。さ、食事にしましょう、ロイ」
 そう言われてロイは必死に探し出した言葉を飲み込むとテーブルについたのだった。
 

 食事を済ませてハボックが部屋に戻るとロイは身支度を始める。フュリーが手を貸して純白の上着に袖を通せばそのボタンをフュリーが留めていった。腰には緋色のサッシュベルトと宝剣を佩き、マントを肩につけてやったフュリーはホッとため息をついた。
「すっごく素敵です、ロイ様」
「…ありがとう」
 素直な褒め言葉にロイは照れたように微笑む。フュリーはそんなロイを見ると言った。
「僕、ハボック様のところに嫁いで来られるのはいったいどんな人なんだろうって色々想像してたんです。最初は王女さまがくるって話だったのにいつの間にか男の人になってて…。そりゃこの国は同性同士でも結婚できるし、好きな相手が同性だからって誰も変な目で見たりしないです。でも、やっぱり王子の、しかもゆくゆくはこの国を治める世継ぎの王子のところに嫁いでくるのはどんな人なんだろうって、ずっと思ってたんです」
「相手が私で幻滅したかい?」
 ロイが苦笑してそう言えばフュリーは目を見開いて首を振る。
「とんでもないっ!男の人でこんなに綺麗な人がいるなんてビックリしました」
 フュリーはそう言うと顔を赤らめる。
「ハボック様は小さい時から僕の憧れで、だからハボック様の結婚相手ってどんな人になるんだろうって凄く気になってたんですけど…」
 フュリーはロイをじっと見つめて続けた。
「ロイ様だったらハボック様とすっごいお似合いですっ!ロイ様みたいに綺麗な人、見た事ないです。僕、ロイ様がハボック様のところに嫁いできてくださってホントに嬉しいです!」
 純粋な讃辞にロイの頬がみるみる内に紅くなる。ロイはなんと答えていいか判らず、フイと背を向けると窓の外を眺めた。
「ロイ様のこと見たらきっとみんなそう思いますよ」
 明るいフュリーの声にロイはぼそぼそと答える。
「男が綺麗だなんて、そんなこと…」
「でもホントのことですよ。ハボック様もそう思ってらっしゃいます」
 そう言われてロイはウキウキと楽しげだったハボックの様子を思い出した。優しく見つめてくる瞳が心に浮んでロイは慌てて首を振る。今日の国民との対面を前に、ロイは一体どんな顔をしてハイムダール国民の前に立てばいいのか判らず、唇を噛み締めたのだった。
 

「若。少し落ち着かれたらどうです?」
 うきうきと楽しげなハボックにティワズが顔を顰めて言う。ハボックは窓枠に後ろ手に手をつくとニカッと笑って答えた。
「だって嬉しいんだもん。やっと結婚できて、今日はみんなに見せびらかせる」
 心の底から嬉しそうなハボックの様子にティワズは苦々しげに言う。
「若がこんなにもこの結婚を心待ちにしておられたとは思いもしませんでした」
 なんだか不満げなティワズの声音にハボックは目を瞬かせた。
「ティは気に入らないの?」
 不安そうに自分を見つめてくる空色の瞳にティワズはため息をつく。
「若のお相手は女性がいいと思っておりましたから。でもまあ、その事は側室を取れば済む話ですが」
「…側室は取らないよ」
 ボソリと呟くハボックにティワズは目を見開いた。じっとハボックを見つめるとゆっくりと口を開く。
「冗談にしては笑えませんよ、若」
「冗談じゃないから」
「若っ!」
「だってオレ、あの人のことが好きなんだっ!」
 大声を張り上げるハボックをティワズは信じられないものを見るように見つめた。そんなティワズにハボックは言葉を続ける。
「あの人が好きなんだ。だから側室をとるなんて出来ない」
「あなたはこの国の世継ぎなんですよ?」
「オレじゃなくてもこの国は治められるだろう?」
「若っ!!言っていい事と悪いことがありますっ!」
 そう言われてハボックは押し黙る。ティワズは俯くハボックの髪をかき混ぜると言った。
「結婚相手を好きになるのはいい事です。暫くの間なら2人で楽しくお過ごしになるのもいいでしょう。でもあなたはハイムダールの王子だ。その事を忘れてはいけません。今すぐとは言わないが何れは側室を取らなくてはいけません」
 そう言えば上目遣いに見つめてくるハボックに笑いかける。
「私の言っていることが判りますね、若?」
「…ティはオレ達のこと、祝福してくれないの?」
「しますとも。カウィルの王子であるロイ様を正妻として迎えるのですから」
「そうじゃなくて…っ」
 泣き出しそうな空色の瞳にティワズはハボックの頬を優しく撫でた。幼い頃から大切に育てて見守ってきた王子にティワズは優しく笑う。
「いつだって私の言うことは聞いて来たでしょう、若」
 そう言うティワズを睨むように見つめて、ハボックはギュッと唇を噛み締めたのだった。


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