ハイムダール国物語  第五十二章


 何度呼んでも出てきてくれないロイにハボックはひとつため息をつくとブランケットの上から頭と思しき場所を撫でる。
「じゃあ、オレ、シグナに頼んで何か作って貰いますから。なんか食べたいものとかないっスか?」
そう聞いてブランケットに耳を寄せればくぐもった声が聞こえた。
「喉越しのいいものが食べたい……」
  喉がヒリヒリする、とぼやくロイにハボックは目を瞠る。そう言えば随分と啼かせたなと甘い時間を思い起こして苦笑した。
「判りました。じゃ、いい子に待っててくださいね」
 ハボックがそう言ってポンポンと叩けばブツブツと文句が返ってくる。ハボックはもう一度ブランケットを叩くと部屋を出ていった。
 ハボックが出ていってしばらくするとブランケットがモコモコと動いてロイが顔を出す。ふぅと息を吐くとベッドから足を下ろした。ゆっくりと窓に近づくと外を見やる。僅かにオレンジ色を残す空には星が瞬き始め、ロイは窓辺に寄りかかるように体を預けると空を見上げた。今頃カウィルの皆はどうしているだろう。そんな事がふと思い浮かんでロイは目を閉じた。そうすれば瞼の裏に懐かしい人々の顔が浮かぶ。小さな姫の顔が浮かんでロイは微笑を浮かべた。
「そう言えば手紙を書いてないな……」
 カウィルを出る前、毎日手紙を書くと言って指を絡めた小さな手を思い出す。正直それどころではなかったと言えばそうなのだが、それでもきっと何の音沙汰もない事に小さな胸を痛めているであろうと考えて、ロイは申し訳ない気持ちになった。ここへ嫁いでくる前はカウィルのことばかり思い起こすのかと思ったものだが実際暮らし始めれば出てきた国のことなど振り返る暇もなく、毎日がめまぐるしく過ぎていた。
「それもこれもアイツの所為だ……」
 ロイはそう呟いて窓にもたれかかるようにして体を預ける。その顔に幸せそうな笑みが浮かんでいることなど、当の本人は気付きもしなかった。


「シグナー」
 ハボックは厨房の入口から顔を覗かせるとそこを取り仕切っている人間の名を呼ぶ。奥の方で料理人相手になにやら話していたシグナが顔を上げるとハボックの方を見た。
「あら、ハボック様」
 嬉しそうに目を細めて笑うと足早にやってくる。ハボックの顔を覗き込むようにして見上げると楽しそうに言った。
「うふ、今頃お目覚めですか、ハボック様」
「うん、すげぇ腹減った。なんか食べるもんない?」
 ハボックはそう言うと厨房の中へ入り鍋を覗き込む。中の野菜に伸ばしたハボックの手をシグナはピシリと叩いた。
「汚い手を突っ込まないで下さい」
 ジロリと睨まれてハボックは唇を尖らせる。
「もう少し待ってくだされば夕餉の時間なんですけど」
 その方がきちんとした食事が取れますよ、と言うシグナにハボックは首を振った。
「そんなに待てないし、どうせそんなに食わないもの」
「待てないのはハボック様で食べないのはロイ様ですか」
 シグナは呆れた様に肩を竦めると奥の鍋へと歩いていく。
「喉越しのいいものがいいんでしょ?」
 そう言って鍋の中を確かめると棚から皿を取り出した。
「……なんで判んの?」
 まだロイの希望は伝えていないのにどうして判ったのだろうと首を傾げるハボックにシグナは思わせぶりに笑う。
「あらあ、だって」
 そう言うとシグナはハボックの顎を指でツイと持ち上げた。
「想いが通じたんでしょう?ロイ様、ベッドから下りられないんじゃないんですか?」
 ククッと笑うと顔を赤らめるハボックに言う。
「初めてがハボック様じゃロイ様、さぞかし大変だったでしょうねっ」
「シグナっ」
「せめて精のつくもの差し上げないとねぇ」
 うふふ、と笑うシグナにハボックは返す言葉もなく顔を真っ赤にした。恨めしげにシグナを見ると言う。
「それ、絶対ロイには言わないでよね、シグナ」
「あら、どうしてですか?」
 楽しそうに食事の支度を整えるシグナにハボックは言った。
「ンな事言ったら当分口聞いてもらえない」
 真っ赤になって怒りまくるロイの姿が浮かんでハボックは情けなく目尻を下げる。そんなハボックにシグナは声をあげて笑った。
「おめでとうって言ってるんですよ、ハボック様」
「そうは聞こえないよ、シグナ」
 不貞腐れたように言うハボックにシグナは料理の皿を載せたトレイを差し出す。
「大事にしてさし上げて。ずっと幸せでいられることをいつも願ってますから」
 シグナの言葉にハボックは僅かに目を見開いたがしっかりと頷いた。
「勿論だよ、シグナ、ありがとう」
「精のつくものでしたらいつでも作ってさし上げますからねっ」
 そう言ってトレイを受け取ったハボックの胸元を叩くシグナにハボックが苦笑する。
「ホントにロイの前で言わないでよね」
 喜んでからかってきそうなシグナに、ハボックは無駄と知りながらそう言ったのだった。


「ロイ、起きて食事……って、あれ?」
 トレイを片手で持って器用に扉を開けたハボックはテーブルについて書き物をしているロイの姿に目を瞠る。テーブルの隅にトレを置くと、ハボックはロイの手元を覗き込んだ。
「何書いてるんスか?」
 そう尋ねればロイが顔を上げずに答える。
「手紙だ」
「手紙?」
 ロイの肩越しに手紙を覗こうと顔を突っ込んでくるハボックにロイは苦笑するとペンを置きハボックに書きかけの手紙を差し出す。
「いいんスか?」
「別に隠さなきゃいけないようなことは書いてないからな」
 そう答えるロイにハボックは「それじゃ」と手紙に目を落とした。ザッと目を通すとロイに尋ねる。
「ええと、これは……」
「エリシアに出す手紙だよ」
「エリシアっていうと……ああ、第一王位継承者のヒューズ殿下の一人娘。じゃあ、未来の女王様っスね」
「カウィルを出る前に毎日手紙を書くと約束したんだ。でも結局今日まで一度も書かなかった。きっと心配してると思ってね」
 そう言って愛しそうに目を細めるロイにハボックは手紙を返すと言った。
「オレも書いちゃダメっスか?」
「お前が?」
「ロイのことはオレが守るから心配しないでって」
 ハボックはそう言いながら皿に被っていた蓋を取る。「お」と顔を綻ばせると皿をロイの前に置いた。
「これ、旨いっスよ。ジャガイモの冷製スープ。シグナのおススメ」
「ふうん」
 ロイは席に座りなおすと「頂きます」と言ってスプーンを手に取り皿の中を覗く。スプーンで掬ってひと口飲むと軽く目を見開いた。
「……おいしい」
「でしょう?ガキの頃、これ大好きでよくシグナに作ってくれって強請ったんスよ」
 ハボックはそう言いながらオレンジのソースで柔らかく煮込んだ肉に手を伸ばす。ガブリと噛み付くと口元から垂れた汁を指で拭って言った。
「んで、さっきの話。手紙、オレも書いていいっスか?」
「……書いてもいいがオレが守るからはナシだ」
「えー、なんで?」
「……恥ずかしいじゃないかっ」
 目元を染めて睨んでくるロイにハボックは首を傾げる。
「そうっスかね。安心するかと思ったんスけど」
 全く他意はなさそうに言うハボックをロイは睨んでいたがフイと目を逸らした。
「ロイ?」
 不思議そうに呼ぶハボックにロイは返事を返さず頑なに目を背け続ける。ハボックはくすりと笑うと言った。
「ね、この肉も旨いっスよ」
「私はこれがいい」
 ロイはそう言うとスプーンで掬って口に運ぼうとする。その手首をパッと掴むとあっという間に自分の口にスプーンを入れてしまったハボックにロイは目を丸くした。
「アーッ!お前ッ!」
「オレもこれ、好きなんスもん」
「クソーッ、食べてやるッ!」
 そう言ってハボックの皿の肉にフォークを突き立てると頬張るロイにハボックはクスクスと笑う。
「ね、旨いでしょ?」
 手を伸ばして指先でロイの唇についたソースを拭うとぺろりと舐めるハボックを、ロイは真っ赤な顔で睨むともうひとつフォークで肉を刺して頬張ったのだった。


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