ハイムダール国物語  第四十五章
 
 
自室に戻るとハボックはホッと息を吐く。フュリーが淹れてくれた茶を受け取ると椅子に座るロイの隣にもう1つ椅子を
引き摺って並べると腰を下ろした。
「大丈夫っスか? 疲れてない?」
顔を覗き込むようにしてそう尋ねればロイが頷く。ハボックはそんなロイに優しく笑うとその黒髪を撫でた。
「よかったっスね、無事全部済んで」
ハボックがそう言えばロイはその手から逃れるように椅子から立ち上がる。窓辺に近寄ると窓枠に手を置いて外を見な
がら言った。
「まだ済んでない。ファルマンの処分も決まってないし…」
「ファルマン?別にどうだっていいでしょ、あんなヤツ」
「いいわけないだろう?私を助けてくれたんだぞ」
ムッとするハボックを見つめてロイが言う。ロイは暫し考えるように口元に手を当てていたが、パッと顔を輝かせると言った。
「そうだ、ファルマンを私の補佐としてつけてもらおう」
「はあっ?!なんスか、それっ!」
「ファルマンは博識なようだし彼が傍にいればハイムダールの事も色々教えて貰える。そうだ、そうしよう」
ロイは自分の考えに何度も頷くと呆気にとられるハボックの前を横切って扉へと向かう。
「陛下に頼んでくる」
そう言ってロイが部屋を出て行った後、パタンと締まった扉の音に我に返ったハボックはブルブルと唇を震わせた。
「なんでそうなるんスかっ!」
ハボックの叫びは空しく扉にぶつかって落ちたのだった。

「よく帰って来てくれた、クヴァジール。本当に嬉しい」
王はそう言うと向かいに座った老人に笑いかける。クヴァジールは頷くと笑い返した。
「元々仲違いした相手は陛下ではなかったしの、まあ、いい機会ではあった」
老人はそう言うと手にしたカップに口をつける。ひと口飲むとホッと息を吐いて言った。
「あの王子はなかなかに見所がありそうじゃ」
「ハボックが? 本当に?」
クヴァジールの言葉に王は嬉しそうに目を見開く。その顔に親としての愛情を見て取って老人は笑った。
「まあ、まだ色々学ばねばならないことはあるだろうが、あの王子がいずれ王となるのだと思えばこの国も見捨てたもの
 ではない。年若いゆえ先走ることもあるようじゃがの」
クヴァジールがそう言えば王が困ったように眉を寄せる。ため息をつくと言った。
「ロイ殿のことはああなるとは考えもしなかった。確かに魅力的な御仁ではあるがまさか側室をとらんとまで言い出すとは」
頭痛を抑えるようにこめかみに手を当てる王にクヴァジールは苦笑する。その時、来訪を告げる声がしてロイが部屋へと
入ってきた。
「ああ、お話中でしたか」
後にした方がと言うロイに老人が手を振る。
「別に構わんよ」
そう言われてロイは王へ向き直ると言った。
「お願いしたいことがありまして参りました」
そう言うロイに王は促すような視線を向ける。ロイは茶を啜る老人をチラリと見ると言った。
「ファルマンを私の補佐としてつけて頂きたいのです」
「ファルマン卿を?だが、彼はあの事件の関係者だぞ」
「判っております。ですが彼が事件に関わった理由は先ほど聞いたとおりですし、それに監禁されていた間ファルマンと
 話した限り、彼の知識には目を瞠るものがあります。彼に私の補佐としてついて貰えればこの先ハイムダールの為に
 もなると思うのです」
ロイの話に王は考えるように首を傾げる。その時、茶を啜っていたクヴァジールが口を開くと言った。
「それも良いのではないですかな」
その言葉に王とロイはクヴァジールの顔を見る。老人は澄ました顔で茶を飲むと言った。
「ちょっと変り種ではあるようじゃが使いようによっては役に立つ男のように見受けられた。それにまだハイムダールの
 事をよく知らぬロイ様のよき相談相手にもなるじゃろうて」
クヴァジールは視線を上げると続ける。
「王子にティワズがいるようにロイ様にも補佐役は必要でしょう」
そう言ってにっこりと笑う老人にロイが嬉しそうに笑った。期待を込めた視線で王を見れば、王はフムと頷く。
「クヴァジールがそう言うのならファルマン卿の件はそのようにしよう」
王の言葉にロイはパッと顔を輝かせた。
「ありがとうございます、陛下。ありがとう、クヴァジール」
ロイはそう言うと辞して部屋を出て行こうとする。クヴァジールはその背に向かって呼び止めると言った。
「ロイ様は王子を好いておられますな」
「えっ?」
突然そんな事を言われて不意を突かれたロイは顔を紅くする。
「だが、まだそれを王子には伝えていない」
「えっ、や、そのっ」
慌てるロイにクヴァジールは言った。
「そういうことは早く伝えてやることですな、ロイ様」
クヴァジールの言葉にロイはパクパクと口を開いたが、小声で「失礼します」と呟くと逃げるように部屋を出て行く。二人の
やり取りを見ていた王は顔を顰めると言った。
「クヴァジール、私はロイ殿を気に入ってはいるが、この国の為には側室も取るべきだと思っているのだ。あんなことを
 言って、それこそ二人が互いに側室の存在など赦せないという事にでもなったら」
どうしてくれる、そう言って眉間を揉みしだく王にクヴァジールは笑みを浮かべる。
「まあ、なるようにしかならんじゃろう」
そう言うと老人は愉快そうに笑ったのだった。

「ファルマンを補佐役につけるだなんて…っ」
椅子に逆向きに跨ったハボックは背もたれを抱え込んでそう呟く。頭から湯気を出す勢いでやってきたハボックを部屋に
招き入れたティワズは、むくれるハボックに向かって言った。
「私はそれもいいかと思いますがね」
「なんでっ?!」
ティワズの言葉にハボックが噛み付くように言う。ティワズは肩を竦めると言った。
「まだハイムダールをよく知らないロイ様には補佐役が必要ですし、ちょっと変わってはいますが役に立つ男に見えますしね」
同じようなことをクヴァジールが言っていたとは知らずにティワズが言う。ハボックはティワズを睨むと言った。
「補佐役がいるのは判るけど、何もファルマンじゃなくったっていいじゃん」
「共に命を危険に晒された者同士、親近感もあるのでしょう」
そう言えばハボックがますます頬を膨らませる。ティワズはそんなハボックにくすりと笑うとその金髪を優しくかき混ぜた。
「そんなヤキモチばかり妬いているとロイ様に嫌われますよ?」
「う…」
ハボックは上目遣いにティワズを見ると唇を尖らせる。はあ、とため息をつくと言った。
「ロイ、オレの事、好きなのかな…」
そう呟くハボックにティワズは目を瞠る。呆れたようにハボックを見つめると言った。
「確かめたらどうです?」
「えっ?でも…」
「一緒にハイムダールを育てると言ってくれたのでしょう?」
「そりゃそうだけど」
でもまだ好きだと言ってもらったわけではないのだ。
「正妻としての義務だって言われたらどうしよう…」
本気でそう言うハボックにティワズは呆れて肩を竦めたのだった。

「ハボックは?」
姿が見えないハボックに、ロイは眉を顰めるとそう聞く。フュリーが茶器を片付けながら答えた。
「ハボック様ならティワズ様のところへ行かれましたけど」
「ティワズのところへ?」
それを聞いてロイは何となく面白くない。それでも入ってきたばかりの扉を開けると言った。
「ちょっと行ってくる」
そう言ってハボックが行った先へと向かいながらロイは不機嫌そうに呟く。
「どうして何かって言うとティワズのところに行くんだ」
そう思う自分の気持ちが嫉妬だということには気付かずに、ロイは足音も荒く廊下を歩いていったのだった。
 
 
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