ハイムダール国物語  第四十二章
 
 
「ハボック王子はおられるかの?」
城の入口に荷馬車をつけて老人がそう聞く。門番の兵士は胡散臭げに老人を見つめると言った。
「誰だ?王子の名を気安く呼びやがって馴れ馴れしいやつ。」
兵士はそう言うと手にした槍を老人に向ける。ムッと顔を歪めた老人が何か言うより早く、別の年かさの兵士が言った。
「クヴァジール…?あんた、クヴァジールだろう?」
兵士はそう言うと同僚の兵士が向けた槍を押さえる。クヴァジールの隣で手綱を取るヒギンの顔と交互に見比べると
言った。
「どういう風の吹き回しだ?あんたは二度と城の人間とは係わり合いになりたくないと言っていたはずだが。」
「時代が変われば人の心も変わるもんだ。で、王子は?クヴァジールが会いに来たと伝えてくれんか。」
そう言う老人に兵士は少し考えたが門の中を指差すと言う。
「そこに荷馬車を止めて待っていてくれ。話を通してくる。」
「うむ。頼む。」
頷く老人を置いて、兵士は城の中へと歩いていった。

「クヴァジールが?」
兵士の言葉にティワズは考えるように手を口元に当てる。
「粉やのヒギンも一緒です。」
更に付け加えられる内容に頷くとティワズは言った。
「今日はもう遅い。何れにせよ明日には今回の関係者を集めて話を聞く事になっている。クヴァジールには今夜は城で
 休んでもらえるよう、部屋を手配してやってくれ。」
その言葉に頷いて立ち去る兵士を見送るティワズの背後から声がかかる。
「あの爺さん、城に来たのか。」
「マニ。」
「ヒギンも一緒とは。逃げ出すかとも思ったが。」
「逃げたところで逃げ切れぬと思ったんだろう。」
そう言って疲れたように髪をかき上げるティワズにマニが言った。
「とにかく今日はもう遅いからな。お前も早いとこ休んだらいい。」
マニの言葉に「ああ」と呟くように答えて自室に向かおうとすれば、後をついてくる男にティワズは眉を顰める。
「何で付いてくるんだ?」
「お前の部屋に泊めてくれ。」
ニコニコと笑ってそういうマニにティワズは思い切り嫌そうな顔をした。
「どうしてお前を泊めてやらなければならないんだ。家に帰ればいいだろう。」
「これから帰るなんて疲れるじゃないか。いいだろう?変なことしないから。」
「されてたまるか。」
ティワズはそう言うとマニに背を向けて歩き出す。それ以上「帰れ」とは言わないことを自分にいいように解釈すると
マニはティワズの後に続いたのだった。

「熱、出なきゃいいんスけど。」
ハボックはそう言うと心配そうにロイを見る。ロイはそんなハボックに苦笑すると言った。
「かすり傷だといったろう?心配するほどのこともないさ。」
「なんかあったら夜中でも呼んでください。」
ハボックはそう言うと二人の部屋を繋ぐ扉へと向かう。ロイはその背に向かって思わず声をかける。
「ハボック。」
と、そう呼べばハボックが振り返った。ロイはベッドに腰掛けたまま綺麗な空色の瞳を見上げると言う。
「助けに来てくれてありがとう。」
ハボックはそれには答えず顔を歪めるように笑うと呟くように「おやすみなさい」と言った。そうして扉をすり抜けると
パタンと音を立てて閉じたのだった。

ロイは閉じた扉を暫くの間じっと見つめていたが、やがてため息を1つつくと脚をベッドに引き上げる。傷ついた肩を
庇うようにして横になると目を閉じた。正直色々なことがあり過ぎて気持ちが昂ってしまい、とても眠れそうもない。
眠れぬままつらつらと考えを巡らせていると自然ハボックのことが思い浮かんだ。
自分はハボックの事をどう思っているのだろう。そう考えれば閉じた瞼の裏に綺麗な空色の瞳が浮かぶ。思えば初めて
出逢った時からその瞳は酷く印象的だった。敵に対峙した時には感情が抜け落ちてガラスのような硬質な光を湛える
かと思えば、ロイを見つめる時にはとても優しい色を宿している。その瞳に見つめられるとあたりの景色など消えてなく
なり、ただひたすらにその空色を見つめていたくなるのだ。
「……。」
ロイは深いため息をつくと目を開く。ブランケットを引き上げて潜り込むとハボックがいる部屋と繋がる扉を見つめ続けた
のだった。

夜が更けた頃、ロイは肩口から発する熱に僅かに身じろいだ。乾ききった喉は潤すものを欲していたが、とても立ち
上がる気になれず、ロイは暑いとばかりにブランケットを蹴飛ばす。そうすれば苦笑するような気配がしてロイはその
半身を起こされた。重なってくる唇に無意識に己のそれを開けば冷たい水が流れ込んでくる。貪るように飲み込んで
強請るように唇を開くと同じようにして水が流れ込んできた。乾ききった体にしみ込むようでロイがホッと息をつけば
ベッドに体を戻されてブランケットがかけられる。冷たいタオルが額に触れると同時に大きな手が優しくロイの頬を撫でた。
ロイは安心したように息を吐くと眠りに落ちていったのだった。

翌朝目が覚めるとロイはゆっくりとベッドに体を起こす。パサリと落ちたタオルを拾ってロイが目をパチクリとさせた時、
扉が開いてハボックが入ってきた。
「目、覚めたんスか?」
「ハボック。」
ハボックはロイの傍にやってくるとその額に手を当てる。熱が治まっている事にホッと息を吐くと改めてロイに言った。
「おはようございます。気分はどうっスか?何か食べられそう?」
そう聞かれてロイは自分の腹を押さえる。
「…おなかすいた。」
ポツリと呟くように言うロイにハボックはくすりと笑うと言った。
「フュリーに頼んで何か消化のいいものもって来てもらいましょう。それから…。」
と言い淀むハボックにロイが言う。
「昨日の話だな。」
そう聞けばハボックが頷いた。
「父上に報告と今後のことを話さなければなりません。」
「私なら大丈夫だ。」
そう言うロイの髪をかき上げてハボックは額に口付けを落とす。
「無理はしないで、辛かったら言って下さいね。」
そう言われて頷くロイをハボックはそっと抱き締めた。

「本当にロイ様がご無事でよかった…!」
食事の用意をテーブルに並べながらフュリーは何度目になるか判らない言葉を言う。ロイはそれに苦笑したが、それでも
律儀に同じ言葉を返した。
「心配かけて悪かったね、フュリー。」
ロイがそう言えばフュリーがふるふると首を振る。嬉しそうに笑うと言った。
「こうしてまたロイ様のお世話が出来て嬉しいです。」
そう言って促すフュリーにロイは椅子に腰を下ろすと聞く。
「ハボックは?」
1人分の食事だけが並べられたテーブルを前にそう尋ねればフュリーが困ったように答えた。
「何かご用がおありのようです。申し訳ないけど一人で食べてくれ、と。」
「そう…。」
そう聞けばおいしそうな料理の味も半減するような気がする。ロイは仕方なしにフォークを手に取ると、食事を始めたの
だった。
 
 
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