| ハイムダール国物語 第四章 |
| 「もう明日にはカウィルを出るのか…」 ロイはそう呟くと窓から外を見下ろした。自分で決めたこととはいえこんな形で男に嫁いでいくという事態に、ロイの心は重く塞ぎ込んでいく。正妻とはいうものの男である自分はハイムダールの王子と仮初めの夫婦にすらなることは出来ないだろう。下手をすれば一生軟禁状態での生活を強いられることだって考えられる。ロイはそう考えて唇を噛み締めた。 「自分で決めたんじゃないか。今更後悔なんて…」 自分に言い聞かせるように呟いて首を振る。 「軟禁されるならせめて本の差し入れくらい要求するかな」 ふざけたようにそう口にしても微笑みすら浮かべられない。ロイが重い息を吐いて窓枠に手をかけた時、扉をノックする音が響いた。 「お兄さま」 妹の声にロイは両手で軽く頬をはたくと答える。 「どうぞ、リザ」 扉があけばその向こうには泣き出しそうな目をしたリザが立っていた。そんなリザにロイは微笑むと手を差し伸べる。 「また、そんな顔をして」 そう言って入ってきた妹を抱きしめればリザは震える吐息を吐いた。 「二度と会えなくなるわけじゃあるまいし」 ロイがそう言って笑えばリザは胸元に抱きしめていた本を差し出す。 「何をお渡ししようかと随分悩んだのですけど」 そう言ってリザが差し出したのはカウィルがこの世に生まれてからずっと語り継がれてきた古い古い物語だった。 「小さな頃、お兄様にこの本を読んでもらうのが大好きだった」 「よく2人で空想の中、カウィルを旅したね」 「私、大きな怪物を倒したわ」 「見た事もないような美味しい果物をたくさん食べた」 そう言い合って微笑むとロイはリザの頬にキスをする。 「リザと一緒にいられて楽しかった。どうか幸せになっておくれ」 ロイがそう言えばリザは辛そうに首を振った。 「私、幸せになどならないわ」 「リザ」 「お兄様を不幸にして私が幸せになどなれるはずないもの」 「リザ…」 そう言ってポロポロと涙を零す妹をそっと抱きしめてロイは言う。 「私がハイムダールで不幸になると決まったわけではないだろう」 「でもっ」 リザは涙に濡れた顔を上げてロイを見つめた。 「私が嫁いだら幸せになれないと思ってお兄様が身代わりになったのでしょう?だったらお兄様だって…っ」 「お前が幸せになれないと思ったのはお前に好きな相手がいるからだ。前にも言ったろう、私には好きな相手はいないのだから」 ロイはそう言うと微笑む。 「もしかしたらハイムダールの王子を好きになれるかもしれない。夫婦としてはムリでも友人くらいには」 「…お兄様は嘘つきだわ。そんなことこれっぽっちも思ってはいないくせに」 まるでロイの心を見透かしたようにそう言うリザにロイは苦笑した。 「お前が幸せなら私も幸せなんだ。だから絶対幸せになってくれ」 「ずるいわ、そんな言い方」 リザの頬を流れる涙を唇で拭ってロイは言う。 「本をありがとう。大切にするよ」 そうしてこれが最後とばかりにロイはギュッとリザの体を抱きしめた。 リザが部屋を出て行ってから少しして今度はエリシアがグレイシアとともにやってきた。部屋に入ってきたエリシアは口をへの字に曲げて泣きそうなのを必死にこらえている。ロイはエリシアの前にしゃがみこむとその髪を撫でた。 「エリシア、これまで仲良くしてくれてありがとう」 そう言っても口をへの字にしたまま何も言わないエリシアにグレイシアが言う。 「エリシア、ロイに渡したいものがあるのでしょう?」 そう言われてエリシアは母の顔を見上げた。優しく頷く母にエリシアはロイを見ると手にしたものを差し出す。ロイは小さな手から綺麗な装飾の施された木の箱を受け取るとその蓋を開ける。途端に零れ出た優しいメロディにロイは僅かに目を瞠った。 「これは…」 箱から聞こえてくるのはカウィルでよく歌われている子守唄で、蓋の内側には春になるとカウィルを彩る花の絵が刻まれていた。ロイはオルゴールの蓋をそっと閉じるとエリシアを見つめる。 「ありがとう、エリシア。大切にするよ」 「ロイ、約束、覚えてる?」 「勿論。毎日手紙を書くよ」 「絶対よ、私も毎日書くから」 そう言ってロイの首に手を伸ばして抱きついてくる小さな体をロイはギュッと抱きしめた。花の香りのする髪に頬を寄せるロイにグレイシアが言う。 「ロイ、何もしてあげることが出来なくて…」 ごめんなさい、と呟くグレイシアにロイは笑った。 「私が言う必要もないことでしょうが、どうかヒューズを支えてやって下さい。カウィルを頼みます」 「ええ、必ず」 答えて何度も頷くグレイシアを見つめて、ロイはカウィルへの想いを断ち切るように瞳を閉じたのだった。 「いよいよ明日か…」 ハボックはそう呟くと棚の扉を開ける。中から箱を二つ取り出すとそっと机に置いた。小さい方の箱の蓋を開ければハイムダール王家の紋を刻んだ指輪が現れる。ハボックは嬉しそうにその指輪を取り上げると光にかざした。銀色に輝くそれを箱に戻すともう1つの箱を開ける。その中には一振りの短剣が納められていた。ハボックはそれを取り上げると王家の紋が刻まれた鞘から引き抜く。刃に指を滑らせると唇をそっと寄せた。 「オレの命をアンタに」 そう呟くと瞳を閉じて剣のつかを握り切っ先を己の心臓に当てる。ほんの数秒そのままでいたが瞳を開けると剣を鞘に収め箱に戻した。それから再び棚の中に箱を戻した時扉をノックする音がした。 「若」 「ティワズ」 入ってきたティワズに微笑むとハボックはドサリと椅子に腰を下ろす。立っているティワズを見上げると口を開いた。 「明日はティが国境まで迎えに行ってくれるんだろう?」 「ええ、そのように仰せつかっています」 ティワズはそう答えるとハボックをじっと見つめる。 「若、明日は私はお側にいられませんが、くれぐれもどこかへ勝手に出かけたりなど――」 「しないよ。城で待ってる」 最後まで言わせずそう返すハボックにティワズは目を見開いた。 「やっと会えるんだから。ちゃんと城で待ってるよ」 「若…」 ついこの間までは結婚など気乗りしないとばかりにふらふらと城から抜け出してばかりいたというのに、突然のハボックの変化にティワズは戸惑ったように口ごもる。そんなティワズにハボックは笑って言った。 「なんだよ、不満そうじゃん。オレが大人しく待ってるっていうの、そんなに変?そうして欲しくないの?」 「いえ、そういうわけでは…」 「文句ないだろ?じゃあ、明日は頼んだよ、ティ」 戸惑うティワズにハボックはそう言うと立ち上がって窓辺に寄る。 (やっと会えるんだ) 期待にドキドキと高鳴る胸を抱えて、ハボックは青い空を見上げたのだった。 「ロイ。くれぐれも気をつけてな」 「ああ、お前こそ体に気をつけろよ」 まだ世も明けやらぬ時刻、ロイはヒューズの手をギュッと握るとその後ろに居並ぶ人たちに手を振る。リザやエリシアの泣き出しそうな顔が見えてロイは安心させるように微笑んだ。 「では行く」 ロイは短くそう告げると漆黒の馬にひらりと跨る。純白に金糸で刺繍を施した衣装に身を包み宝剣を腰にさして、長いマントをまとったロイは一幅の絵のように美しかった。 「国境までお供いたします」 そう言って付き従う兵士十数騎を引きつれて城を出て行くロイをヒューズ達はその未来が少しでも幸せであるよう、祈りを込めて見送っていた。城の門を出て街を通り抜ける少しの間、沿道には人々が居並び歓声を上げてロイを見送る。この日の為に人々が大切に育てた花がロイの通る道に振りまかれ、ロイは花びらがはらはらと散る中を一路ハイムダールに向けて馬を進めていった。街を抜け何時間も馬に揺られてようやく国境が見える所まで到達する。広い野原を挟んだ向こうに百騎近い騎馬が待ち構えているのが見えて、誰かが息を飲むのが聞こえた。 「…ロイ様」 「ありがとう。気をつけて戻ってくれ」 「どうかお気をつけてっ」 「ロイ様、お元気で…っ」 次々に別れの言葉を口にする兵士達に手を振るとロイは一人で馬を進める。向こうからも進み出た一騎とちょうどそれぞれの兵士達から真ん中くらいの距離で向き合うとロイは相手をじっと見つめた。燃えるような赤毛をした男はロイを見返すと口を開く。 「初めまして、ロイ様。私はティワズと申します。ハイムダール王の命によりあなた様をお迎えに上がりました」 その言葉にロイが頷けば男はロイを促した。 「それではハイムダール城までご案内いたします」 その言葉を合図に馬を走らせる男とともに、ロイはカウィルに別れを告げてハイムダールへの一歩を踏み出したのだった。 |
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