ハイムダール国物語  第三章


「ロイッ!!」
 自室で休んでいたロイのところへ、乱暴に扉を開けるとヒューズが飛び込んでくる。ロイの顔を見るなり大きな声で言った。
「マカイロドゥスに襲われたって?!」
「ヒューズ」
 ドカドカとロイの側までやってくるとヒューズはロイの手を取る。
「怪我はないのか?」
「ない」
 ロイが答えればヒューズがホッとしたように息を吐いた。
「よかった…」
「よくない。私を庇ってディアスが死んだ」
 そう言うロイを見やればロイは苦しげに目を閉じて首を振る。
「先月子供が生まれたばかりだったんだ。私があんな森の中へなど行かなければ…せめてもう少し早く引き返して いれば…っ」
「ロイ…」
 ヒューズは辛そうに顔を歪めるロイの体を抱きしめた。そうして暫くの間何も言わずにロイを抱きしめていたが、やがてそっと体を離して言う。
「ディアスの家族には出来るだけのことをしよう」
「ああ、頼む…」
 心を落ち着けようとするように瞳を閉じているロイの頬をヒューズは優しく撫でた。ロイは目を開けるとヒューズを見つめて言う。
「もう、どこへも行かない。婚姻の為にハイムダールに向かうまでここから一歩も出ない」
「ロイ」
「戦争で無駄に命を落としたりしなくて済むようにするはずだったのに。私の我が儘でディアスを死なせてしまった」
 そう言って窓の外へ視線をやるロイにヒューズはため息をついた。
「あまり自分を責めるな。ディアスはお前を守って死んだんだ。後悔はしていないだろう」
 そう言うヒューズをロイは睨みつける。
「あの男のようなことを言うな」
「あの男?」
 ヒューズは何のことか判らず問い返したが、ロイは唇を噛み締めて外へ視線を向けたまま答えなかった。こうなってしまえば意地でも口を開かないことは長年の付き合いで判っていたのでヒューズは首を振ると扉へと向かう。
「後で食事を持ってこさせるよ」
 扉をくぐる前にそう言ったがロイは何も答えず、ヒューズはため息をつくと扉を閉じたのだった。


「若っ!!聞いているんですかっ?!」
「聞こえてるって。大体そんなデカイ声が聞こえないわけないだろ?」
 国境を越えたあたりで一息入れようと馬を下りた途端、小言を連ねるティワズにハボックがゲンナリした様子で言った。それを聞いたティワズはムッと顔を顰めるとハボックの耳を抓りあげる。
「いててててっっ!」
「私は聞こえているかではなく、聞いているかと言っているんですっ」
「痛いッ!ティ!痛いってばっ!!」
 痛いと騒ぐハボックの耳を離せばハボックは空色の瞳を涙に滲ませて耳を押さえる。恨めしそうに見つめてくるハボックにティワズは言った。
「勝手に国境を越えてあんなところまで行くなんて。侵入者と言われて捕らえられても文句は言えないんですよ?その上…っ」
 ティワズはハボックの腕を取ると袖口に付いた血痕を指差す。
「あなたと合流する前に手負いのマカイロドゥスを見かけました。あなたがやったんですね?」
「…仕方ないだろ、襲われてたんだから」
「襲われてた?誰がです?」
「……」
「若っ!」
 ティワズはむぅと唇を突き出して黙り込むハボックを睨んだが、それ以上何も言おうとしないことにため息をつくと言った。
「若。私はあなたの父君からあなたを守るよう言い付かっています。あなたもご自分の立場と言うものをいい加減きちんと受け止めるべきだ。それはよく判っているでしょう?」
「…ごめん」
 ぽつりと呟くように謝るハボックに1つため息をつくとティワズはハボックの髪をかき混ぜる。上目遣いで様子を伺うハボックにくすりと笑うと言った。
「さあ、こんなところでぐずぐずしているわけには行きません。さっさと戻りますよ」
「うん」
 ホッとしたように頷けばティワズは微笑んで馬に跨る。ハボックも跨ろうとして手綱に手をかけたが不意に何かに引かれるような気がして今来た道を振り返った。遠く黒々と見える森の中で出逢った姿が心に浮んで。
(“ロイ”って呼ばれてた。それにあの首飾りに刻まれてたのはカウィル王家の紋…)
 フッと優しい笑みを浮かべるハボックにティワズは首を傾げる。
「若?行きますよ?」
「あ、うんっ」
 ティワズの声にハッとした様に視線を戻すとハボックは馬に跨り、そうしてティワズとともに一路戻っていったのだった。


「お、やっと帰ってきたか、ハボ、ティワズ」
「ブレダ」
 ハボックは厩番に馬を預けると城の入口で待っていた体格のいい男に声をかける。長身のハボックより頭1つ低い男はニヤリと笑うと言った。
「親父殿が待ってるぞ」
 そう言えばハボックは思い切り顔を顰めて城の中へ駆け込んでいく。その背を笑いながら見送るとブレダはティワズを振り返って言った。
「お守りご苦労さん」
 そう言えばティワズは大袈裟にため息をつく。
「少し若に言ってやって下さい。もう少し自分の立場をわきまえろ、と」
「俺が言うよりティワズが言ったほうが言うこと聞くだろう?」
「とんでもない」
 ブレダの言葉にティワズは思い切り顔を顰めた。
「気がつけば街に出て子供に混じって遊んでる。下級兵士と一緒になって賭け事に興じてる。まったくご自分が第一王位継承者だと言う自覚があるんだか」
「でもアイツのおかげでこの国の王族は民衆に人気だ」
「好意的な者ばかりとは限らない、何かあってからでは遅いんです」
 ティワズはそう言うと目を細める。
「そう言えばブレダ様、この間はあなたも一緒に街へ遊びに出ていましたね。あなたご自身も王位継承権を持っておられると言うことを忘れているわけではないでしょう」
 いきなり怒りの矛先を向けられてブレダは慌てて手を振った。
「いや、別にそんな危ないところに行った訳じゃないしっ」
「あなたは若に次いで第二王位継承者なんですよっ!お2人して何をやってるんですかっ!!」
「判った、悪かった!もう、勝手に遊びに行ったりしないからっ!」
 そう言えば大きなため息をつくティワズにブレダは苦笑して言う。
「でも、アイツも結婚が決まったんだし、少しは落ち着くだろう?」
「結婚といっても政略結婚でしかも嫁いでくるのは男です」
 ティワズがため息混じりにそう言えばブレダも視線を泳がせるようにして言った。
「ああ、それなぁ。最初は王女が来るはずだったんだろ?なんかいつの間にか男になってビックリした。よく叔父上が了解したよな。」
「王位継承権がありますからね。悪い話じゃないと思われたんでしょう」
「政略結婚とは言えハボも可愛そうに。ボイン好きなのになぁ」
「ブレダ様」
 ジロリと睨まれてブレダはぺろりと舌を出す。
「ま、相手が男だって結婚すりゃ少しは自分の立場ってものを考え直すんじゃねぇの?」
 ブレダはそう言うと城を振り仰いだのだった。


「お呼びですか、父上」
 ノックとともに扉を開ければ書類を手にした父王が顔を上げる。ハボックの姿を目にすると書類を置いて言った。
「やっと戻ったか。全くお前は婚姻を控えた身でうろちょろと。ティワズもティワズだ。あれほど頼むと言っているのに何をやっておるのだ」
「ティは悪くないっス。オレが勝手に出て行ったんだから」
 間髪を入れずそう言うハボックを父王は不愉快そうに見る。だが言葉には出さず他のことを言った。
「後1週間で婚姻の儀だ。判っておるのだろうな」
「ええ、勿論」
 そう答えるハボックに王は机に置いた書類を手に取る。
「正妻として迎えるのは男だ。当然世継ぎの為には側室を持たねばならん。リストを作っておいたからこの中から――」
「オレ、側室は要りません」
 そう言うハボックを王はまじまじと見つめた。
「…何を言い出すのだ、お前は」
「側室は要らないって言ったんスよ。正妻一人で十分です」
「バカを言うなっ!男は子供を生めんのだぞっ!側室を持たんで世継ぎはどうするっ?!」
「ブレダがいるでしょ?ブレダなりブレダの子供なりを次の王にすりゃいいんスよ」
 そう言ったハボックの脳裏には自分を睨みつける黒曜石の瞳が浮んでいた。怒りと悲しみにキラキラと光る美しい二粒の宝石。
「だからこれはいりません」
 ハボックは王の手から書類を取り上げると暖炉の中に放り込む。
「あっ!」
「じゃあそういうことで」
 ハボックはそう言うと暖炉の中で燃え上がる書類を取り上げようと無駄な努力をする父王を置いて部屋を出て行ったのだった。


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