| ハイムダール国物語 第三十八章 |
| ひた駆ける馬の背で揺られながらロイは先ほどの屋上でのハボックの言葉を思い出す。 『オレはこの国の王子だ。国を守り育てる義務があるしそれを放棄するつもりもない。だが、王子であると同時に一人の 人間でもあるんだ。オレはロイを愛してるしロイと一緒に歩んでいきたい。』 自分もハボックと同じく王子として生を受けた。この世に生まれ落ちたその瞬間からロイはカウィルの王子であり、その 肩には王子としての責務が課せられていた。国を守り育てることはロイの義務であり、だからこそロイはハイムダール に嫁いできたのだ。それが何よりカウィルの為になると思ったから。例えその婚姻をロイ自身が望んでいなかったと しても、ロイ個人の気持ちなど王子としての義務の前では塵に同じと思っていた。だが。 『王子であると同時に一人の人間でもあるんだ。オレはロイを愛してるしロイと一緒に歩んでいきたい。』 そうきっぱりと告げたハボック。 (一人の人間としての気持ちなんて、そんなこと考えたこともなかった…) 国の為になること以外、何も望んではいけないと思っていたのに。自分には望むすべもないのだからせめて妹のリザに だけは幸せになって欲しいと思っていた。 (私も幸せになることを考えてもいいんだろうか…) ロイはそう考えながら肩越しにハボックをチラリと見る。手綱をしっかりと握り締め、まっすぐに前を見つめる蒼い瞳は何も 迷いなどないように澄んでいる。その蒼に吸い寄せられるようにじっと見つめれば、視線に気付いたハボックがロイを 見た。にっこりと優しく微笑むハボックに、ロイは慌てて目を逸らすと前を向く。グルトップの金色のたてがみを握り締めて いた手を上げるとピアスについた宝石をそっと撫でたのだった。 「お前の兄は殺されたぞ。」 フェンリルがそう言えば目の前の少年の体がグラリと傾ぐ。傍にいた友人達が慌てて手を差し伸べてその体を支えて やりながらフェンリルに聞いた。 「まさか、ハボック王子に殺されたんですか…?」 その問いにフェンリルは重々しく頷くと答える。 「そうだ。ハイムダールを愛してやまなかったお前の兄はハボック王子に殺されたのだ。」 その言葉に少年達の間から悲鳴のような声が上がった。フェンリルは少年達を見回すと言う。 「それもこれもあのカウィルからきたロイ王子のせいだ。ロイ王子がハボック王子を惑わし、大切な家臣の命を奪う真似 をさせているのだ。」 フェンリルは少年達の顔を見ながら言葉を続けた。 「何もかもロイ王子のせいなのだ。ロイ王子はハイムダールの為にならん。彼を殺し、私達の大事なハボック王子の目を 醒まさせて差し上げるのだ。」 そう言えばフェンリルを見つめていた少年達がそれぞれに頷く。兄を殺されたと言われた少年が一歩前に出ると言った。 「ロイ王子は今どこにいるんですか?」 「王子は今、自分の計画の邪魔になるお前の兄達を殺し、そして今度は私やお前達と言う本当にハイムダールを愛して いる者達を殺せとハボック王子をそそのかしてこちらに向かっている。」 「ハボック王子を唆して…。」 呟く言葉にフェンリルは頷く。 「私はハイムダールを愛している。この国の為なら命など惜しくはない。だが、このままではハボック王子は惑わされた まま、ハイムダールは滅びてしまう。そうならない為にはどうしたらいいか判るな?」 「ロイ王子を殺しますっ」 兄を殺されたという少年がそう叫べば回りの少年達も口々に叫んだ。 「ロイ王子を殺してハボック様をお救いするんだっ!」 「この国を、ハボック様をお助けしなくてはっ!」 そんな少年達にフェンリルは満足そうに頷く。 「よく言った!お前たちの心はハイムダールの神にも届いているに違いない。神がお前たちを守ってくださる。ロイ王子 を殺し、ハボック王子を、ハイムダールを救うのだっ!」 声を張り上げるフェンリルに少年達が雄叫びを上げる。フェンリルは頷くと昏く笑ったのだった。 ハボック達はようやく城に辿り着く。まだ馬が止まらぬうちに飛び降りるとそのまま走り出そうとするハボックにロイが グルトップの背中から喚いた。 「待てっ、ハボックっ!私を置いていくなっ!!」 そう言われて「あれ?」という表情を浮かべたハボックはグルトップの手綱を取りロイに手を差し出す。その手を借りて 馬の背から下りたロイにマニがボソッと呟いた。 「やはり姫君ですな…」 「走ってる馬からとびおりるなんてフツウできないぞっ!」 マニの言葉を聞き咎めてロイが顔を紅くして言う。それを見ていたティワズが肩を竦めて言った。 「どうでもいいですからさっさと行きましょう。」 「なっ…」 ティワズの言い草に噛み付こうとしたロイだったがまあまあとハボックに宥められて唇を噛み締める。走り出てきた厩番 に馬を預けるとハボック達は城へと駆け込んでいった。 「ハボック様っ!…ロイ様っっ!!」 丁度顔を出したフュリーがロイの姿を見て泣きそうに顔を歪める。ロイが無事だった事に喜びの声を上げるフュリーに ハボックは状況を手短に説明すると父王へ伝えるよう頼む。それに頷いて走り去るフュリーの背を見送ってハボックが 言った。 「フェンリルたちはどこだろう。」 「西の塔でしょう。あそこは逃げ込むにはうってつけの場所ですから。」 そう言われてハボックが顔を歪める。 「あそこにはろくな思い出がないのに、また一つ増える。」 「ろくな思い出が増える原因はいつでも若の考えのなさですけどね。」 サラリと言われた言葉にハボックはグッと詰まったが悔しそうに言った。 「それも今日で最後だ。」 ハボックがそう言ったとき、甲高い悲鳴が聞こえてハボック達は顔を見合わせる。すぐさま悲鳴が聞こえた方へと走って いけば、廊下で尻餅を付いたままガタガタと震える女の姿があった。 「どうしたっ?!」 ティワズがそう怒鳴って駆け寄れば女が部屋の扉を指差す。扉の隙間から流れ出る赤黒い液体に目を瞠った。 「マニ。」 「ああ。」 頷きあうとゆっくりと扉に近づきその両脇に立つ。タイミングを見計らって勢いよく扉を開けたその向こうに横たわる体に 息を飲んだ。新たに悲鳴を上げる女を押しやってハボックが倒れた男の顔を見る。それが大臣のヴィーランドだと判ると ハボックはティワズを見た。 「ティ…」 「本当の首謀者はフェンリル卿だということですね。」 「でも、どうして?」 「襲撃が失敗だと判って怖気づいたヴィーランドを邪魔だとばかりに切り捨てた、ってとこですかね。」 マニがそう言えば更にティワズが言う。 「こうなったら自分の手でロイ様を始末するとでも言ったんでしょう。ヴィーランドはもともと気の小さい男でしたからビビッ て逃げようとでもしたのを斬られた、かな。」 ティワズの言葉にロイが目を見開いた。ハボックはロイを守るようにその肩を引き寄せると硬い声で言う。 「冗談じゃない。大体ロイを殺したってハイムダールの為にはならない。オレの気持ちを差っぴいたってロイに何かあれ ばカウィルとの同盟にヒビが入る。そんなことになったらハイムダールを守るどころじゃないだろう?」 考えればすぐ判ることじゃないか、と言うハボックにティワズが肩を竦めた。 「考えて判ることが判らないのが狂信者なんですよ。彼にとっては自分が考えていることが正しくて何よりも優先すべき ことなんですから。」 ティワズがそう言えばマニが続ける。 「フェンリルにとってはハイムダールが一番であり、そのハイムダールを担う者として若様に大きな期待を寄せていた んでしょう。国を愛してはいるんでしょうがその考え方が極端だ。」 「とにかくこのままにしておくわけにはいきません。」 ティワズの言葉にハボックが頷いた。 「ティ、腕の立つヤツを何人か選んでくれ。狭い場所だから大勢連れて行っても意味がない。」 「判りました。」 ハボックの言葉に微笑んで頷くとティは足早にその場を去る。ハボックはロイを見ると言った。 「ロイは部屋で待っていてください。オレ達だけで行って――」 「私も行く。」 「ロイ。」 「ここまで来て待ってられるか。」 そう言って見上げてくる黒い瞳にハボックは驚いたように目を見開く。それからにっこりと微笑むと言った。 「判ったっス。一緒に行きましょう。」 差し出すハボックの手を、ロイは笑うとしっかりと握った。 |
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