ハイムダール国物語  第三十六章
 
 
「ハボック王子っ!」
黒尽くめの男は切りかかってくるハボックの剣を受け止めながらそう叫ぶ。ハボックはその蒼い瞳を僅かに見開くと
飛び退るようにして男と距離を取った。
「オレが誰だか判っていながら剣を向けるのか?」
ハボックがそう聞けば男が顔を歪める。男はハボックをじっと見つめると言った。
「目を醒ましてください、王子。ロイ王子はハイムダールの為にはなりませんっ」
「どうしてそう断言できるんだ?」
「子を生せない正妻など迎えて何の意味があるというのですっ?!王子はハイムダールを見捨てるおつもりかっ?!」
男の言葉にハボックは目を細める。僅かに震える唇を噛み締めると言った。
「ハイムダールを見捨てる気などあるはずがない。ここはオレが生まれ育った国だ。大切なオレの故郷だ。」
「だったら何故です?側室も取らずに男の正妻だけを迎えて、国を見捨てる気はないと言われても信じられませんっ」
男はそう叫ぶとロイへと顔を向ける。ハッと気付いたハボックは斜めに傾ぐ屋根の上を一気に走り抜けると男の前に
立ちはだかりロイへと振り下ろされた剣を受け止めた。
「どいて下さいっ、王子っ!!」
「どかぬっ!!」
剣で弾き飛ばされた男はギリギリと歯を食いしばる。ハボックが背後に庇ったロイを睨むと言った。
「こんなところに監禁などせずに城で殺してしまえばよかったのだ。王子を惑わす悪魔め…!」
男の言葉にロイが息を飲むのを背後に感じたハボックはその蒼い瞳に怒りを燃え上がらせる。ダンッと踏み込むと同時
に男の剣を弾き飛ばしその勢いに押されて倒れた男の喉元に剣の切っ先を突き付けた。
「たとえ誰だろうとロイを愚弄するヤツは赦さない。」
ハボックはそう言うと剣を握る手にグッと力を込めたが次の瞬間スイと剣を引く。驚いたように目を見開く男を見つめて
ハボックは言った。
「オレはこの国の王子だ。国を守り育てる義務があるしそれを放棄するつもりもない。だが、王子であると同時に一人の
 人間でもあるんだ。オレはロイを愛してるしロイと一緒に歩んでいきたい。彼と一緒に力を合わせてハイムダールを
 守りたいんだ。すぐには信じられないと言うなら時間をくれ。必ず証明してみせるから。」
そう言って見つめてくるハボックを男は見返していたがやがてゆっくりと目を逸らす。ハボックはひとつ息をつくと背後の
ロイを振り向き手を伸ばした。
「ロイ、怪我はないっスか?」
ロイは差し出されたハボックの手を掴むとその力強い腕に引かれるまま立ち上がる。だが、ハボックの顔を見られずに
俯くと言った。
「ハボック、私は…。」
ロイはそう呟くとギュッと瞳を閉じる。
「私は…っ」
ロイが尚も言い募ろうとしたその時。
「若っ!後ろっ!!」
聞こえたティワズの声にハッと目を開けたロイの視線の先に、腹から短剣を引き抜いた男が襲い掛かってくるのが見え
た。ハボックがロイを引き寄せ庇うようにその体を抱きこむ。ハボックの肩越しに短剣が迫るのを呆然と見ていたロイは
次の瞬間 男が悲鳴をあげて短剣を離すのを見た。呻きながら蹲る男の短剣を持っていた方の手のひらに、短剣に刻ま
れていた紋様が焼印のように刻まれているのを目にしてロイは目を瞠る。ハボックはロイを抱きしめていた腕を弛めると
男が落とした短剣を拾い上げた。短剣に付いた血をマントの裾で丁寧に拭うとロイを見る。
「鞘、持ってます?」
「え?…ああ、ここに。」
そう言ってロイが差し出した鞘をハボックは受け取ると短剣を納めた。呻く男を見下ろすと言う。
「その手に刻まれた紋様と共にオレとロイがハイムダールをどう守り育てていくか、しっかり見ていろ。」
「ハボック王子…。」
男はそう呻くように言うとそのまま気を失った。ハボックは暫く男を見つめていたがロイの方を見ると手にした短剣を差し
出した。
「アンタのです。」
「ハボック、私は…。」
男の言葉がロイの心に突き刺さる。辛そうに目を伏せるロイの手を取るとハボックは短剣を握らせた。
「オレはアンタが好きっス。アンタと一緒にこの国を守り生きていきたい。ダメっスか?」
「だが、私にはその男の言うとおり次代に残せるものは作れないぞ。」
「子供だけが残すものじゃないでしょ?この国を、ハイムダールを育てればいい。そうして次の世代に残してやればいい
 んスよ。」
ハボックはそう言うと短剣を持ったロイの手を握る。
「オレの側で手伝って下さい、ロイ。」
「私はお前の事もハイムダールのことも知らない。この国に暮らす人々のことも、何も。」
ロイはそう言うとハボックを見上げた。まっすぐに見つめてくる蒼い瞳に自然と言葉が零れでる。
「教えてくれるか、ハボック?」
「勿論っスよ、ロイ。」
ハボックは答えて嬉しそうに笑うとロイをギュッと抱き締めた。

「あの短剣の言い伝えは本当だったんですなっ」
屋根の上に座り込んだまま目を輝かせてファルマンが言う。ティワズが紅い瞳で睨め付けると言った。
「どうして貴方がここにいるんです、ファルマン卿。もしかして貴方が首謀者ですか?」
「こんな屋根の上によじ登った挙句殺されそうになった私が、どうして首謀者だったりするんです?」
冗談じゃないですよ、とぼやくファルマンにティワズが言う。
「だが、無関係と言うわけではないでしょう?事と次第によっては赦しませんよ。」
「物騒な男ですなぁ。」
そう言ってのほほんと見上げてくるファルマンにティワズの眉間の皺が深くなった。ティワズが口を開こうとした時、
ハボックの腕の中から抜け出たロイがやってきて言う。
「ファルマンは私を守ってくれたんだ、ティワズ。」
問いかける視線にロイが続けた。
「ファルマンは監禁された私の監視役だったがそれだけだ。むしろ私が快適に過ごせるように気を使ってくれたし、それ
 に刺客どもが来た時も私を庇ってくれたんだ。」
「さして役には立てませんでしたがね。」
そう言って苦笑するファルマンにロイは手を貸す。よっこらしょと立ち上がるとファルマンが言った。
「まあ、お咎めなしというわけに行かんことくらいは判りますよ。仰せには従いましょう。」
ファルマンがそう言えばハボックが近づいてくる。ロイを自分の側に引き寄せると聞いた。
「首謀者は誰だ?ファルマン卿。」
そう聞かれてファルマンはハボック達をぐるりと見回す。
「お教えするのは構わないんですが、できれば下におりてからにしませんか?どうにも落ちそうな気がして仕方がない
 んですよ。」
そう言われてハボック達は顔を見合わせた。
「確かに長居するには向かないところですね。」
ティワズがそう言えばハボックも苦笑する。
「そうだな、まずは下りるか。」
そうは言ったものの黙り込んでしまった皆を代表してロイが聞く。
「…どうやって?」
「登るのは簡単だったんですが…体を支えるロープもないですしな。」
「ティ?」
ハボックに問われてティワズが眉をしかめる。困ったようなティワズの顔にロイがくすりと笑った。
「ティワズが後先考えずに登ってきたなんて、ちょっとウソみたいだな。」
ロイの言葉にティワズはムッとした顔をすると屋根の淵へと歩み寄る。膝をつくと下を覗き込むようにして声を上げた。
「マニ!いるのか?!」
「ティワズ?!どこにいるんだ?ロイ様は?」
「無事だ。屋根の上にいるんだが、下りるのに手を貸してくれ。」
「屋根の上ぇっ?!」
素っ頓狂なマニの声が聞こえたかと思うと窓からひょっこりと顔が出る。見下ろすティワズと目が合って驚きに目を見
開いた。
「なんでまた、そんなところに…。」
「いいから手を貸せ。」
呆れた声を上げるマニにムスッとした声で言うとティワズは後ろを振り向く。
「支えますからロイさまから下りて下さい。下でマニも手を貸してくれます。」
そう言われてロイは不安そうにハボックを見上げた。
「大丈夫、ちゃんと支えるっスから。」
言って微笑むハボックに頷くとロイは屋根の淵へと近づいていったのだった。
 
 
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