ハイムダール国物語  第三十五章
 
 
「待てッ!!」
ハボックは階段を駆け上がると怒鳴り声の聞こえる部屋の中へと飛び込む。小さなランプに照らされた部屋では男が
一人、窓から身を乗り出して屋根の上に上がろうとしていた。もう一人窓の手前に立っていた男がハボックの声に
振り向くと剣を構える。ハボックは硬質な光を放つ瞳で相手を睨め付けると言った。
「誰の命を受けてここにいる?」
答えは得られぬだろうと思いながらもそう聞いたが、案の定男は何も答えず無言のままハボックに切りかかってくる。
風切って振り下ろされる剣を軽いステップでよけると剣を横に薙いだ。キンッと暗い中、火花が散って合わされる剣を
力を込めて弾き返せば男は飛び退るようにして距離を置いた。
「若っ」
その時部屋に飛び込んできたティワズがハボックと男の間に入り込む。ティワズは牽制するように剣を構えると背後の
ハボックに向けて言った。
「ロイ様は恐らく屋根の上です。早くっ!」
そう言われてハボックは頷くと窓へと駆け寄る。屋根からぶら下がった男の脚を掴むと力任せに引いた。
「うわっ!あっ…うわあああっっ!!」
屋根の上へと己の体を引き上げようとしていた男は突然脚を引っ張られてずるりと滑り落ちる。そのまま身を支える術を
見つけられずに地面へと落ちていった。ドサリと音がして動かなくなった男を見下ろしたハボックはすぐに視線を屋根へ
と移す。剣を腰に戻すと窓から身を乗り出し屋根へと手を伸ばした。

「動くなっ!!」
庭へと回ったマニとブレダは館の方へと向かおうとする男たちを見つける。剣を引き抜いて構えるとそれぞれ黒尽くめの
男と対峙した。
「ロイを殺そうなんてとんでもないヤツらだっ」
吐き捨てるようにブレダがそう言った途端、男が何も言わずに切りかかってくる。その切っ先を跳ね上げるとブレダは
飛び込むようにして剣を振り下ろした。金属音を立てて2度3度と剣を合わせると、申し合わせたように互いに背後に
飛び退る。ブレダはグッと剣を握ると男を睨んだ。
「舐めてかかると痛い目みるぜ。」
低くそう呟き終わるよりも早く相手の間合いに踏み込むと下から斜めに引き上げるように剣を振る。仰け反るように
よけようとした男の体を、剣は捉えてその軌道に沿って血しぶきが上がった。ドウッと倒れる男の体をブレダは厳しい目
で見つめていたのだった。

マニが腰から引き抜いた短剣を構えるのを見た男の顔が嘲笑するように歪む。マニを挑発するように剣を揺らすと大きく
横に振り払った。軽い身のこなしでそれをよけるマニをちょっと意外そうに見たが、それでも男の顔には自分の優位
を信じきった表情が伺える。男はマニを見ながら嘲笑うように言った。
「そんなもので自分の命が、ましてや主君の命が守れると思っているのか?」
男はそう言うと振りかぶった剣を振り下ろす。己の身のすぐ間近でその刃を払いのけるマニにを男は弄ぶように笑いな
がら何度も剣で切りつけた。
「これで終わりだっ!!」
ゲラゲラと高い笑い声を上げながら剣を振り上げた男は、次の瞬間低く呻く。己の胸元を濡らす血が自身の首筋から
噴き出ていることを信じられないものを見るように見つめた。
「…っ…っっ」
男は何か言おうと口を開くが空気が漏れるような音しか出すことが出来ない。そうして振り上げた剣を振り下ろすことの
ないまま後ろへと倒れた。マニはこと切れた男を見下ろすとブレダの方を振り向く。同じように刺客を倒したブレダと頷き
合うと館の中へと向かったのだった。

「もう一度だけ聞く。お前達の主は誰だ?」
ティワズは剣を構えて目の前の男に聞く。だが、男は薄く笑うとティワズへと切りかかった。その切っ先を剣を使って
受け流すと今度はティワズが返す刀で男へと切りつける。高い金属音を上げて合わさった剣を挟んでティワズは男と
睨みあった。
「クッ」
どちらともなくそう声を洩らすと剣を弾くようにして離れる。先に行ったハボックを気にしたティワズが僅かに視線を逸ら
したその瞬間、男はダンッと踏み込むとティワズに向かって剣を振り払った。その剣先をフッと身を沈めるようにして
かわすとティワズは男の足をなぎ払う。不意を突かれてバランスを崩す男の体に追い縋るようにしてティワズの剣が
走り、そうして男の体からティワズの瞳よりなお赤い血潮が上がった。ティワズは斃れた男には目もくれずに剣を振って
血を振り落とすとマントの端でサッと血糊を拭く。鞘に収めて窓に駆け寄ると顔を突き出した。
「若っ!」
一度そう呼んでティワズは窓枠に足をかけると屋根へと上がるべく手を伸ばしたのだった。

「来た…」
ファルマンはのそりと屋根に立ち上がった男の姿に低く呻く。黒尽くめのその姿は酷く禍々しく何よりも恐ろしく見えた。
「ロイ様、隙を見て逃げて下さい。」
そう背後に向けて言うファルマンにロイが目を見開く。ファルマンは男の大きな剣を見つめると言った。
「私じゃ精々時間稼ぎにしかなりません。できるだけ頑張ってはみますがそんなには持たないと思いますので。」
「ファルマン…っ」
ファルマンの言葉にロイが息を飲んだとき、男が突然切りかかってくる。絶叫を上げるとその剣を渾身の力を込めて受け
止めたファルマンは、だが、バキリと嫌な音を立てて自分の剣が折れるのを見た。恐怖に顔を歪めるファルマンに男は
ニタリと笑うと折れた剣を持つファルマンの腕を握る。そのまま振り払うようにして折れた剣ごとファルマンの体を突き
飛ばした。
「うわあっっ!!」
「ファルマンっ!!」
急な屋根の上を転がるファルマンの体をロイが悲鳴を上げて追う。飛び掛るようにしてその身を止めると、ホッと息を
吐いた。
「大丈夫かっ?」
「ロイ様っ、後ろっ!」
その声に弾かれるように振り向けば間近に立つ男の姿。ニィッと男の唇の端が持ち上がると一緒に大きな剣が振り
かざされる。
「ロイ様っ!!」
「…ッッ!!」
ロイは目を大きく見開いたまま咄嗟に手にした短剣を突き出した。剣が振り下ろされるよりも早く突き出されたそれは
腕を振り上げた男の脇腹へと刺さる。グゥッと呻いた男はロイを睨むと剣を振り払った。
「ヒッ!!」
間一髪で短剣から手を離して飛び離れたロイは屋根の傾斜に足を取られて倒れ込む。打ち付けた痛みに顔を顰めた
ロイは追うようにして振り下ろされてきた剣を転がってかわした。立ち上がる暇も与えられず、ロイは男が振り下ろして
くる剣を転がり、這うようにして必死によける。だが、ジリジリと追い詰められたロイはついに自分がもう逃げ場のない
屋根の端に来ている事に気付いた。
「あ…。」
屋根のヘリに手を当てて下を覗けば木々の生い茂った昏い庭が見える。まさかそこから飛び降りるわけにも行かず、
ロイはごくりと唾を飲み込んだ。恐る恐る肩越しに背後を見れば、脇腹に短剣を刺したままの男が剣を片手にゆっくりと
近づいてくるところだった。屋根の上に座り込んだままロイは昏い影のような男を見上げる。唇を震わせ荒い呼吸を
零すロイのすぐ側までやってくると男はピタリと足を止めた。昏い瞳でロイをじっと見つめると口を開く。
「こんなところへ嫁いでなど来なければ死なずにすんだものを。王子ならおとなしく男としての責務を果たしていれば
 よかったのだ。」
男はそう言うと一歩足を進めた。ビクリと震えて後ずさったロイは屋根から落ちそうになって慌てて身を支える。
「お前個人に怨みはないがハイムダールの為には死んでもらうしかない。」
男はズイともう一歩足を進めると同時に剣を振りかぶった。
「さあ、そこから落ちて死ぬのと切り殺されるのと、どちらがいい。好きな方を選ばせてやる。」
その言葉にふるふると首を振るロイに男は眉を顰める。振り上げた腕に力を込めると大声で言った。
「ではこの剣の餌食になるがいいっ!!」
(ハボックッッ!!)
振り下ろされるであろう剣をよけるようにロイが頭上に腕を掲げてギュッと目を閉じた時。ダダダッと屋根の上を走る音
に続いてガキッと鈍く剣の合わさる音がする。恐る恐る目を開いたロイの視線の先に、男と剣を交えるハボックの背の
高い姿があった。
 
 
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