ハイムダール国物語  第三十二章
 
 
「すぐに向かえ、ファルマン共々抹殺しろ。」
窓の外に目を向けたまま低く呟くようにそう言えば背後で短く答える声がする。殆んど音を立てずに出て行ったそれ
が扉を閉じた後には男が二人残された。
「思ったより馬鹿ではなかったということだな。」
ヴィーランドが汗を拭きながら言えばフェンリルが答える。
「遅かれ早かれファルマン卿も始末せねばならなかったのです。いちどきに済むならその方がよかったかもしれません。」
「だが、王子の方が先についてしまったら…。」
「そう簡単にはいきますまい。王子はまだ若く経験も浅い。着いた時には全てが終わっているでしょう。」
フェンリルはそう言うと空高く輝く星を睨む。ロイを城から運び出したあの時に殺してしまわなかったことをほんの少し
後悔しながら。

「ハッ!ハッ!」
ハボックは鐙に立ち上がるように身を乗り出して馬を走らせる。それに続いて馬を走らせながらティワズは声を上げた。
「若っ!兵士達が遅れてますっ!若っ!!」
彼を守るべき兵士達とどんどん距離をあけてしまうハボックにティワズはそう言ったが、言われた方のハボックはまるで
耳を貸さずにむしろ速度を上げる。ティワズはチッと舌を鳴らすと遅れまいと鞭をいれた。物凄い勢いで前方を走る2頭
を追いながらブレダがマニに言う。
「置いてきちゃってるけど、拙いだろ、これっ」
チラリと背後を振り返りながらそう言えばマニも顔を顰めた。
「我々だけでもついて行かないとヤバイでしょうね。」
「んな事言って、どうすんだよっ、相手の数も判らないのにっ」
「なるようにしかなりませんよ。」
「計画性のないのは嫌いなんだよ…。」
げっそりしたように呟くブレダにマニが苦笑する。それでも二人はハボック達から遅れまいと必死に馬を走らせたのだった。

真っ黒な服を身につけ漆黒の馬に跨った男達が馬を走らせていく。一言も喋らず馬を走らせる一団は闇に溶けてまるで
影のように見えた。前方に広がる川を横切る吊り橋をガラガラと音を立てて5頭の馬が渡りきると最後に渡った1頭が
振り返る。腰から剣を抜くと大きく振りかざし、川岸に吊り橋を繋ぎとめる縄に向かって振り下ろした。
ブツンッ!!
低い音と共に縄が切れ吊り橋が川の中へと落ちていく。男はそれを見て満足そうに頷くと、仲間達の後を追って再び
走り出したのだった。

「本当に刺客が来ると思うのか?」
「間違いなく、と言っていいでしょうね。それで本当に逃げないのですか?」
そう聞いてくるファルマンを見れば肩を竦めて言う。
「私もまだ命は惜しいのですが。」
「一人で逃げても構わないぞ。」
「せっかく面白いものが見られるかもしれないのに逃げるわけには行かないでしょう。」
ロイが言えばファルマンが答えた。逃げないその理由にロイはくすりと笑う。手にしていたカップを置くと言った。
「ここでただ待っているのも芸がないな。」
ロイはそう言うと立ち上がる。ベッドに近づくとブランケットを捲り上げた。
「寝るんですか?」
そう聞いてくるファルマンに流石にロイも顔を顰める。
「刺客が来るっていうのに寝るわけないだろう…。」
はあ、とため息をつくとクッションを持って来てベッドに並べた。ブランケットを戻すと人が潜っているかのように形作る。
それから背もたれのある椅子をベッドサイドに引き摺ってくるとファルマンに言った。
「何か人に見せかけられるようなものがないか?」
言われてファルマンは少し考えて部屋を出て行く。暫くすると小麦の袋を手に戻ってきた。
「さっきはこれに貴方が入ってたんですがね。」
もう一度入ります?と言われてロイは思い切り顔を顰める。ファルマンから袋を受け取ると枕をグイグイと詰め込んだ。
袋の口を閉めてロイはカーテンを止めてあった飾りの紐を抜き取ると袋の上3分の1くらいのところを縛る。
「上着をくれ。」
そう言って手を差し出してくるロイにファルマンは着ていた上着を脱ぐと渡した。小麦の袋に羽織らせると椅子の上に
置く。部屋の中にあったタンスの引き出しをかき回して帽子を見つけると袋の上に載せた。
「ちょっと苦しいかな…。」
人形もどきのお粗末な出来にロイが顔を顰めるとファルマンが天井から下がるランプに手を伸ばす。さっきつけたそれを
消すと言った。
「薄暗ければ時間稼ぎくらいにはなるでしょう。」
そう言ってもうひとつの小さいランプをベッドから離れたテーブルの上に置く。
「では我々は助けが来るまで隠れますかな。」
「いい場所があるのか?」
「時間稼ぎくらいなら。」
そう言うファルマンにロイが眉をひそめた。
「嫌な言葉だな。」
「素直に逃げないからでしょう。」
ファルマンがそう答えればロイがムッと唇を突き出す。
「好きだというならさっさと助けにくらい来ればいいんだ。」
「意地を張って死んだら意味がありませんよ。」
「間に合わなかったらお前も同じ運命だぞ。」
そう言うロイにファルマンは目を見開いた。
「…さっさと助けにきて頂きたいですな。」
「なるべく長く時間稼ぎできそうな隠れ場所を見つけろよ。」
「そうしましょう。」
そう答えて部屋を出て行くファルマンについて、ロイも部屋を出て行ったのだった。

「ドウッ!」
目的地まであと僅かという場所までやってきたハボックは慌てて手綱を引く。目の前に広がる川にかかっている筈の
橋がなくなっている事に気付いて呻いた。
「橋が…っ」
ハボックの言葉にティワズは馬を進めると覗き込む。
「渡ったあと、落としたようですね。」
「渡ったあとって…誰が?」
不安そうにそう聞いてくるハボックをまっすぐに見返してティワズは答えた。
「ロイ様の命を狙う者が、と考えるのが妥当でしょう。」
「…っっ」
ティワズの答えにハボックは息を飲む。その時丁度追いついてきたマニが言った。
「もう少し上流へ回れば橋があるはずです。そっちへ回りましょう。」
マニの提案にティワズが頷く。ハボックを促そうとしたティワズが口を開くより早く。
「ハイッ!」
ハボックは馬の腹を蹴ると川を目指して駆け下りていった。
「若っ?!」
「若様っ?!」
「ハボっ!!」
3人が止める間もあらばこそハボックは馬を川に乗り入れていく。
「川を渡る気かよっ!!」
「無茶だっ!!」
ブレダとマニが叫ぶ間にも馬を進めるハボックを追ってティワズも川へと駆け下りた。あっという間にハボックに続いて
川に入ってしまうティワズの姿にマニとブレダは顔を見合わせる。参ったと互いに肩を落としながら、それでもため息を
つくと二人の後を追った。
「ちきしょーっ、溺れて死んだら化けて出てやるっ!」
「そんな死に方ごめんですよっ!」
口々に文句を叫びながらマニとブレダは必死に馬を操ってハボック達を追ったのだった。
 
 
→ 第三十三章
第三十一章 ←