ハイムダール国物語  第二十八章


「例のものはもう着いたのかね、フェンリル卿」
「ええ、先ほど連絡がありました」
 ヴィーランドに聞かれてフェンリルが答える。小さな部屋の片隅で頭を寄せ合った男達はぼそぼそと低い声で話した。
「で、どうするおつもりなのです、ヴィーランド殿」
「どうする、とは?」
「先ほど王子が城を出て行かれた様子。すぐに場所を突き止めるとは思いませんが、このままあそこに監禁しておくわけにも参りませんでしょう」
 そう言われてヴィーランドはフェンリルをじっと見つめる。互いにギラギラと昏い光を放つ瞳を覗きこみながら言った。
「やはり、そうすべきだろうか」
「見つけて連れ戻されたのでは意味がありますまい。幸いあの家にはファルマン卿がいる。あの男にやらせましょう」
「だが、大丈夫なのか?大体あの男が今回の件に協力しているのは何故だ?信用出来るのか?」
 不安げにそう言うヴィーランドにフェンリルが言う。
「あの男は変わり者です。やたらと探究心が強くて何事にも興味を示す。…実は荷物を運び出す時、つけていた短剣をそのまま持たせたのです」
「短剣?あの代々世継ぎが引き継ぐというあれか?」
「そうです。そしてあの短剣にまつわる話をファルマンに吹き込んであるのですよ」
 そう言うとフェンリルは昏い笑みを浮かべた。
「探究心の強いあの男なら試してみたくなるに違いない。私達は自分の手を汚さずにあの荷物を始末できるでしょう」
 そう告げるフェンリルにヴィーランドも薄っすらと笑う。
「そうか。さすがフェンリル卿、手抜かりがない」
 二人の男は満足そうに低く笑ったのだった。


 城から馬を走らせて街にやってきたハボック達は入り組んだ道の手前で馬を下りる。ティワズの後をついて足早に歩くハボックにブレダが聞いた。
「なあ、どうしてロイを連れ出したのがヒギンだと思ったんだ?」
「なんだよ、ブレダだって判ってるんだろ?」
「判んねぇから聞いてんのっ!」
 悔しそうにそう言うブレダをチラリと見てハボックが言う。
「ゲリはついこの間まで金がなくて困ってたのに、最近やけに羽振りがよくなった。随分派手な暮らしをしてるらしい」
「うん」
「ヒギンは家屋家財すべて売り払っても返しきれないほどの借金を抱えている」
「うん」
「だからヒギン」
 ハボックの言葉に耳を傾けていたブレダだったが、「だから」と言われて思い切り顔を顰めた。
「待て、ハボっ!その“だから”はどこから繋がってくるんだ。説明になってないだろう。大体、羽振りがいいって言うゲリの方が怪しいんじゃないのか?誘拐に手を貸してもらった金でいい暮らしをしてるって考えれば説明つくだろう」
「逆だろ、ブレダ。ロイが攫われたのはいつだよ。攫う前に金を渡す筈ないんだから、もう羽振りのいいゲリがロイを攫った筈ないんだよ」
 そう言われてブレダは目を瞠る。
「ヒギンは貰った金を持っているだろう。ソイツを見つけられれば証拠になる」
 ハボックはそうブレダに言うとティワズの方を見た。ハボックを見返した紅い瞳が笑うのを見て、ハボックの顔がパッと明るくなる。
「よしっ、早く行こうっ、ティ、ブレダ!」
 まるで及第点を貰って喜ぶ子供のように嬉しそうに言って走り出すハボックの後を、ブレダとティワズは追いかけたのだった。


「一体全体どういうことなの、これは……」
 シヴはよろよろと立ち上がると台所の椅子にドサリと腰を下ろす。金を隠した戸棚をチラリと見ると怖いものを見たかの様に慌てて目を逸らした。最近夫の様子がおかしいことには気付いていた。だが、いつだって誠実で、懸命に店の為に働いてきた夫をシヴは信じていたし、きっとそのうち打ち明けてくれるだろうと思っていたのだ。
「どこからあんな大金……」
 そう呟いてシヴはさっきの夫の様子を思い浮かべる。
『俺は何も悪いことはしてないっ!!俺はただ荷物を運んだだけだっ!!』
 そう叫んでいた夫の言葉を思い出してシヴは膝の上に置いた手をギュッと握り締めた。罪悪感がなければ「悪いことはしてない」などとは言わないだろう。つまりは罪悪感にかられるだけのことを夫はしてきたと言うことだ。
「荷物……。お城から何か荷物を運んだってこと……?一体何を?」
 親の代からずっと城に小麦を届ける仕事をしてきた。ヒギンの運んでくる小麦の質を認めてくれて、ヒギンの人となりを信用してくれて小麦を買ってくれていたのだ。夫もそれを誇りに思っていたはずなのに。
「ああ、神様、どうか私達をお守り下さい……っ」
 シヴはそう言うと胸の前で両手をギュッと握り締めたのだった。


「マニ?!」
 行く先で手を振っている茶色の髪の男の姿に気付いてハボックが声を上げる。マニはにっこりと笑うと両手を広げてハボックを迎えた。
「若様、お早いお着きでしたね」
 そう言ってハボックをギュッと抱き締めるとマニはその空色の瞳を覗きこんだ。
「大丈夫ですね?」
「勿論。マニ、情報をありがとう」
「いいえ、お役に立ててよかった」
 マニはそう言って笑ったが笑みを引っ込めると言う。
「ですがまだ入口に立っただけです。これからが本番だ」
「うん、判ってる」
 ハボックはそう言うとマニの腕から抜け出した。
「ヒギンの家はどこ?」
「そこの路地を入ったところです」
 マニはそう言うとハボックが連れてきていた数名の兵士に回りの道を塞ぐように指示する。兵士達が散らばるのを確認してマニが言った。
「これで逃がす心配はないと思います。で、若様が直接行かれるんですか?」
「当たり前だろう。ダメだって言っても行くからね、ティ」
 ハボックが言って睨むように見ればティワズが肩を竦める。それを了承の印と取ってハボックは体に巻きつくマントを払いのけた。
「行くぞ」
 そう言うとハボックはガラスの瞳に強い意思を載せて、夕闇が迫る路地へと入っていったのだった。


 物思いに沈んでロイはぼんやりと夕陽が射し込む窓を見つめる。自分がどうやってこのハイムダールで生きていくのか、それを考えようとして自分がまだあまりにもハイムダールの事をしらなすぎる事に気がついた。
(ハイムダールのことだけじゃない。ハボックのことも私はまだ何も知らない)
 あまりにもまっすぐに向けられる視線が怖くて、その瞳に宿る想いに向き合うのが怖くて、ロイはハボックをつっぱねてばかりいた。
(大体アイツだって私の事をろくに知らないじゃないか。それなのに、好きだだのなんだのと。その上こんなものまで……)
 ロイはそう思いながら短剣に触れる。
(アイツのことをもっと知ったらハイムダールのことも判るんだろうか)
 あのまっすぐな魂を生み、育んだハイムダール。彼はこのハイムダールの象徴であり、民の誇りでもある。
(ハボック……)
 ロイがハボックのことを思い浮かべて、そっとピアスに触れた時、ファルマンの声が聞こえた。
「ロイ様、1つお願いがあるのですが」
「……え?」
 物思いに沈んでいたロイはファルマンが何を言ったのか咄嗟に理解できず、ぼんやりとした視線を向ける。ファルマンはそんなロイをじっと見つめると言った。
「お願いがあると言ったのです」
「お願い?」
「はい。貴方がお持ちのその短剣」
 ファルマンはそう言ってロイが腰につけた短剣を指差す。
「王家に伝わると言うその短剣をちょっと見せてはいただけませんか?」
「これを?」
 ロイはそう言われて短剣に手をやった。美しい装飾が施された短剣に触れるとちょっと考えて言う。
「別に構わないが」
 ロイはそう答えると短剣を外し、ファルマンに差し出したのだった。


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