ハイムダール国物語  第二十七章


「ロイとの婚姻に反対してた連中っていっても色々だろ」
 ドサリと椅子の背に体を預けてブレダが言う。
「ただ漠然と男の正室を取る事に不安を感じてただけの者もいれば、もっとはっきりと反対の意思をもっていた者もいる。ハイムダールの将来を考えたら、たった一人の世継ぎの王子であるお前が男と結婚するなんてもってのほかだってことなんだろうけど」
 実際その予感は的中したわけだし、と言うブレダをハボックは睨みつけた。
「お前はあの時いなかったからそんな事言うんだ」
 ハボックは不満そうにぼそりと呟くとあの森の中での出来事を思い浮かべる。怒りと悲しみに輝く黒い瞳。あの瞳を目の当たりにして心を奪われない人間がいるだろうか。ムスッとして黙り込むハボックに1つため息をつくとブレダは言う。
「ま、とにかく今の時点でロイの誘拐に加担する可能性のある人間をリストアップしてみようぜ。ティワズが何か情報掴んできた時役に立つかもしれないし」
「うん…」
 ブレダの言葉に頷いて、ハボックが家臣たちの顔を思い浮かべていると、部屋の扉がコンコンと鳴った。返事を返せば開いた扉の向こうにはフュリーが立っていた。
「あの、お茶をお持ちしました」
 遠慮がちにそう言うフュリーにハボックはにっこりと笑う。
「サンキュー、フュリー。丁度一息入れたいと思ってたんだ」
「喉が渇いてたとこだ。ありがとう、フュリー」
 口々にそう返されてフュリーはホッとしたように微笑んだ。ハボックとブレダの前に湯気の上がるカップを置くとすぐに下がろうとするフュリーをハボックが呼び止めた。
「フュリーは何か聞いたこととか、気がついたこととか、ない?どんな小さなことでも構わないから」
 そう言われてフュリーは首を傾げる。
「聞いたこととか、気がついたこと、ですか?」
 宙を見据えながら懸命に思い出そうとしたフュリーだったが、やがて首を振ると言った。
「申し訳ありません、何も思いつかないです」
「そうか」
 申し訳なさそうに体を縮めて答えるフュリーにハボックが頷く。
「何か思い出したらいつでもいいから教えてくれ」
「はい、かしこまりました」
 そう答えて一礼すると、今度こそ部屋を出て行こうとすれば、ノックと共に扉が開いた。入ってきた姿にハボックが嬉しそうな声を上げる。
「ティワズ!」
 期待に満ちた3対の瞳に見つめられて、ティワズは後ろ手に扉を閉めるとハボックへと歩み寄った。
「何か判った?ティ」
 そう聞かれてティワズは懐から紙片と取り出してハボックに渡す。商人の名前が書いてあるリストを見つめるハボックにティワズは言った。
「怪しいのはその二人です。ゲリとヒギン」
 ティワズはそう言うとマニのところで聞いた話を繰り返す。紅い瞳でハボックを見つめると言った。
「どうします?若」
 そう聞かれてハボックは僅かに眉を寄せる。考え込むハボックを見つめてブレダが言った。
「ティワズはどう思ってるんだ?見当付いてるんだろう?」
 ブレダの言葉にティワズはハボックから視線を動かさずに答える。
「私は若の意見を尊重します」
 そう言われてハボックはハッとしてリストから顔を上げた。まっすぐに見つめる紅い瞳に自分が試されているのだと気付いて唇を噛み締める。ハボックが決めた事にティワズは異議を唱えることなく従うだろう。たとえそれが間違ったものだとしても。
「オレは…」
 事は一刻を争う。ロイを無事に助け出したかったら一秒たりとも無駄には出来ない。いっそ二人諸共に締め上げようかと考えてハボックは緩く首を振った。チラリとティワズを見ればまっすぐにハボックを見ている。その表情からティワズにはもうどちらの男がこの事件に係わっているのか判っているのだと知れた。
(同じ情報しかない筈なんだ、オレもティも。だったらティに判ったことがオレにだって判る筈じゃないか)
 ハボックはそう考えて瞳を閉じる。3人が見つめる中、目を閉じて考えていたハボックだったがやがてゆっくりと瞳を開くとティワズを見つめた。
「住んでる所は判ってるんだろう?」
「ええ、勿論」
「じゃあ行こう」
 そう言って部屋を出て行こうとするハボックにブレダが慌てて聞く。
「ハボっ!で、どっちだと思ったんだ?!」
 そう聞かれてハボックは扉のところで振り返った。
「ヒギン!合ってるよね、ティ」
 ハボックの言葉にティワズがうっすらと笑った。


 城から運び出した荷物を頼まれた場所に運んだ後、逃げるように荷馬車を走らせてきたヒギンは、ようやく見えてきた街にホッと息をつく。最後に見た袋から覗いた手と、自分を見つめる男の鋭い目を思い出して、ヒギンはブルブルと首を振った。
(忘れるんだ。金も貰ったんだし、もう俺には関係ない)
 必死にそう自分に言い聞かせると街の中に荷馬車を乗り入れる。声を掛けてくる顔馴染みに返事を返しながら、ヒギンは自分の店に帰り着くと店の裏手に馬車を止めた。ヨロヨロと疲れきった体を御者台から引き摺り下ろすと家の中に入る。椅子に腰を下ろすと頭を抱え込んで深いため息をついた。その拍子に腰につけた袋がジャラリと鳴って、ヒギンはギクリと体を強張らせた。そっと腰から袋を外し、机の上に置く。ずっしりと重いふたつの袋を見つめてヒギンは顔を歪めた。
(俺は何も悪いことはしていない。ただ頼まれた荷物を城の外に運んだだけだ。王家に害をなすかもしれない荷物を運んだだけ…。何も悪いことなんてしてない)
 ヒギンは自分に言い聞かせるようにそう考える。
(それにこの金がなかったら店を売らなきゃならない。店どころかなんもかんも全部。そんな事になったら年取った親父 やお袋や、子供達だって路頭に迷って死んじまう…!)
 必死にそう言い聞かせるヒギンの頭に袋から零れ出た腕が浮かぶ。ぐったりと力のないそれ。もしかしたら運んでる最中に死んでしまったのかもしれない。
「…っっ!!」
 浮かんだ考えにヒギンは飛び上がるように立ち上がる。その拍子にテーブルが揺れて、置いた袋の口からジャラリと金が零れ出た。
「アンタ?帰ってるの?」
 ヒギンが零れた金を慌ててかき集めていると奥から妻の声がする。ビクッと震えたヒギンが止める間もなく、妻はヒギンがいる部屋へと入ってきた。
「お城に小麦を届けに行っただけなのに随分時間がかかったのね」
 そう言いながらヒギンの方へ顔を向けた妻は机の上に散らばる金に目を瞠る。暫く呆然と見つめていたがハッとしてヒギンを見やると言った。
「一体、どうしたの、このお金!こんな大金、一体どこから…?!」
「俺は何も悪いことはしてないっ!!俺はただ荷物を運んだだけだっ!!」
「アンタ?」
「悪いことなんてしてないっ!!悪いことなんて…っ!!」
 ヒギンはそう叫ぶと金をそのままに家を飛び出して行ってしまう。
「アンタっ?!」
 驚きに一瞬遅れて、それでも慌ててヒギンの後を追って妻は家を飛び出た。だが、そこにはもうヒギンの姿はなく、彼女はキョロキョロとあたりを見回す。
「シヴ?どうかしたのかい?」
 近所に住む男にそう声をかけられてシヴはギクリと身を震わせると引きつった笑みを浮かべた。
「どうした、夫婦喧嘩かい?ヒギンのヤツ、血相変えて飛び出していったが」
「な、なんでもないの。なんでもないのよ」
 シヴはそう答えると家の中に入る。机の上に散らばる金を暫く見つめていたが、駆け寄ると急いで袋の中に詰め込んだ。そうして少し考えた末棚の中から壺を取り出すとその中に袋を入れる。ずっしりと重くなったそれを台所に運ぶと大きな戸棚の中のものを引っ張り出し、一番奥へと壺を突っ込んだ。その前にガサガサと入っていたものを乱暴に詰めなおしたシヴはがっくりと床に座り込んだまま途方に暮れたのだった。


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