| ハイムダール国物語 第二十三章 |
| ヒギンは目的の場所にたどり着くと手綱を引いて荷馬車を止める。御者台から飛び降りて荷台に回るとひとつだけ置かれた小麦の袋に手を伸ばした。 「よっ!」 掛け声と共に肩に背負うと目の前の階段をあがっていく。門をくぐり大きな扉の前に立つと呼び鈴を鳴らした。暫く待ってみたものの誰も出てくる気配がない。ヒギンは後ろをちらりと振り向くと苛々しながらもう一度呼び鈴を鳴らした。 「くそう…早く出て来いって言うんだ。こんなところ、誰かに見られたら…っ」 ヒギンが背負っているのはただの小麦の袋だ。別段怪しいものでもなんでもない。だが、己がやましい事をしているという自覚のあるヒギンには、見られたらきっと怪しいと思われるに違いないという気持ちが湧きあがって仕方がなかった。いい加減待たされて、ヒギンが金は受け取らなくてもいいから袋をその辺において帰ってしまおうかと思い始めた丁度その時、ギギッと音がして扉が開く。そうして開いた扉の先には一人の細身で背の高い男が立っていた。 「約束のものを持ってきた」 ヒギンはそう言ったが、男は何も言わずジロジロと見ているだけだ。痺れを切らしたヒギンが大声を上げそうになった時、男はようやく口を開くと言った。 「中へ運んでくれ」 そう言って体をずらす男の横を通ってヒギンは家の中へと入っていく。どこへ持って行けばいいのか判らず、入ってすぐのところで立ち止まっていると男が背後から言った。 「廊下を進んで階段を上がれ。まっすぐに進んで奥の右手の部屋だ」 ヒギンは頷くと言われたとおりに階段を上がる。一番奥の右手の部屋は扉が開いていて、ヒギンは中へ入ると肩に載せた小麦の袋をそっと下ろした。 「ご苦労だった」 ヒギンはすぐ後ろで聞こえた声に思わず飛び上がる。ついて来ている気配などしなかったが、男はヒギンと一緒に部屋まで来ていたようだった。 「あの…」 「判っている、金だな」 遠慮がちに報酬を要求するヒギンに薄っすらと笑うと男は懐から袋を取り出した。それを渡せばヒギンがホッとしたように息を吐いた。 「賭け事になど手を出すのはやめることだ」 そう言われてヒギンは驚いて男の顔を見る。細い瞳が湛える光が何なのか判らなくて、ヒギンはぼそぼそと相槌のようなことを呟いた。そうして自分の役目は済んだとばかりにそそくさと部屋を出ようとしたヒギンは、ふと気になって扉のところから振り返る。丁度その時、男が持ち上げた袋の口が緩んで、中からパサリと腕が飛び出たのにギョッとしてヒギンは小さな悲鳴をあげた。その声に振り向いた男がヒギンを見て言う。 「用が済んだのならさっさと帰れ。余計なことに首を突っ込むと怪我をしますよ」 なんの感情も篭らぬ声にヒギンはゾッとすると逃げるように部屋を飛び出していく。最後にチラリと見えた袋から覗く手の指に煌めいたのがなんだったのか見極める間もなく、ヒギンは屋敷を飛び出すと荷馬車に飛び乗り一目散に街へと馬を走らせたのだった。 「ロイが連れ出されたのはほんの僅かな時間の間だろう?だったらすぐ手がかりが見つかりそうな気もするけど」 ハボックがそう言えばブレダが聞いた。 「ロイが連れ出されたって言うのは間違いないのか?どこかに隠れてるとか…」 「ご自身の意思で隠れたとしたら、この時間になるまで姿を隠している意味がわかりませんよ。後は城のどこかに閉じ込められている可能性ですが、今、信頼のおける者にしらみつぶしに当たらせているところです」 ティワズの言葉にブレダがうーんと唸る。 「城の出入りの方も、今フュリーに調べさせているところだ。警備のものが怪しいヤツを見かけているかもしれない」 ハボックはそう言うと立ち上がって窓から外を見下ろす。苛々と窓枠を指で叩くハボックにブレダが聞いた。 「怪しいヤツがいたらどうするんだ?」 「決まってるだろ、こんなことをしでかしたこと、後悔させてやる」 「若」 不満そうなティワズの声にハボックが肩を竦める。窓の外を見つめたまま言った。 「判ってるってば。ロイを助け出すのが先決だって事くらいオレにも判ってる」 そう言ってからハボックは部屋の中に視線を戻すとティワズを見る。 「でもオレ、ロイを助け出したらソイツのこと八つ裂きにしちゃうかも」 冷たいガラスの瞳で淡々と告げるハボックにティワズも肩を竦めた。そんな二人を見ながらブレダは内心顔を顰める。 (どこのどいつだか知らないけど、コイツら相手に喧嘩ふっかけるなんて命知らずもいたもんだ) せめて無駄な人死にがでない様、自分だけは冷静でいようと思うブレダだった。 ロイはぽっかりと浮かび上がった意識にゆっくりと目をあける。ぼんやりと天井を見上げていたが、パチパチと数度瞬いてベッドの上にのろのろと体を起こした。 「私は…」 どうしていたんだったか。ぼんやりと霞む意識になかなか考えが纏まらない。意識が霞むのが薬を使われた所為だと気付いて、ようやく自分が誰かに捕らえられたのだと思い至った。 「そうだ、ティワズと別れて自分の部屋に行こうとしてたら…」 つまらぬ焼餅を妬くハボックに苛々しながら廊下を歩いていたら、突然呼び止められたのだ。呼び止めた相手が誰だかよく判らなくて、声のする方へと歩いていき小さな部屋に入った途端、背後から口元を布で覆われた。声を上げようと思わず息を吸い込んでから、その布にたっぷりと薬品が含まされている事に気付いて。その時にはもう全てが遅く、ロイの意識はあっという間に闇に飲み込まれてしまったのだった。 「ここはどこだ?」 城の中の部屋なのだろうか。それにしては質素なそれにロイはきょろきょろとあたりを見回す。その時、扉が開いて背の高い細身の男が入ってきた。 「お目覚めでしたか」 男はそう言って笑うと手にトレイを持ったままロイのいるベッドへと近づいてくる。じっと睨むように見つめてくる黒い瞳に苦笑すると男は言った。 「喉が渇いているでしょう、これをどうぞ」 男はそう言うとトレイの上のグラスを差し出す。ロイが男とグラスを交互に見つめて、だが手を出さずにいるのに笑うと言った。 「毒なんて入ってませんよ」 微笑む男の顔をじっと見つめていたロイはグラスを手に取ると口元に近づける。鼻を掠める爽やかな香りにちょっと躊躇ってからグラスに口をつけた。心地よい香りと共に喉を滑り降りていった液体にホッと息をつくと男を見る。ベッドの上に載せていた足を床に下ろすとベッドに腰掛けたまま男を見上げて尋ねた。 「ここはどこだ?城の中じゃないな?」 「はい。ここはある貴族の屋敷です。貴方はさらわれたんですよ、奥方さま」 そう言われてロイは顔を顰める。 「その呼び方はやめろ。姫君もだめだ」 「ではなんとお呼びすれば?」 「ロイでいい。お前の名は?」 「私はファルマンと言います、ロイ様」 ロイは自分が名乗ったついでに尋ねては見たものの、まさか自分をさらった相手が名乗るとは思わず、驚いて男の顔を見た。だが、ニコニコと笑っている男の顔からはその真意が判らず、ロイはとりあえずそのことは脇において別のことを尋ねる。 「私をさらった理由を聞いても?」 「さらったのは私ではありませんが」 男はそう断りを入れると続けた。 「貴方がこの国に嫁いでこられたことを面白く思っていない連中がいるようですな。王子が貴方に惚れ込んで側室を取らないと宣言したことが気に入らないようですよ」 まるで他人事のように楽しそうに言うファルマンにロイは目を見開く。グラスから一口飲むと聞いた。 「お前は?私の事が気に入らなくてさらったんじゃないのか?」 「さらったのは私じゃありませんよ」 ファルマンはもう一度そう言う。 「私はただ貴方と話が出来るというからここにいるだけです」 「私と話を?」 「はい。単身カウィルから嫁いでこられたのはどんな人なのだろうと思ったんです。一度話をしてみたいと思っていたら会えるというので」 「だがこんな事に手を貸したら犯罪者になってしまうだろう?」 「でも話が出来るというので」 そう言うとファルマンはトレイを持って扉の方へ歩いていく。 「もう少ししたら食事にします。大したものは作れませんが我慢してください」 そう言って部屋を出て行くファルマンという男を、ロイは不思議なものを見るように見送ったのだった。 |
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