ハイムダール国物語  第二十二章


 ハボックは時計を見るとちょっと悩んでから立ち上がる。ロイの部屋との間の扉を遠慮がちに叩いた。
「ロイ?」
 そう声をかけて待ってみたが返事がない。そっと押し開くと微かな音を立てて開いた扉の先に続く部屋の中には人のいる気配がなかった。
「まだ戻ってないのか…?」
 自分がこれまでティワズに訓練をつけてもらったことを考えればもういい加減戻ってきてもいい時間だ。ハボックは扉を閉めると自分の部屋を通り抜け廊下へと出る。それから足早に廊下を通り階段を下って鍛錬場に出たハボックは、そこで剣を合わせている兵士達に声をかけた。
「邪魔して悪い。ロイとティを見かけなかったか?」
「ロイ様とティワズ様ですか?いや、見かけませんでしたけど」
 なぁ、と頷きあう兵士達にハボックは礼を言うと鍛錬場を後にする。二段ぬかしで階段を駆け上がると一直線にティワズの部屋に向かった。
「ティっ!ティっ!!」
 ドンドンと扉を叩けば少ししてティワズが顔を出す。露骨に顔を顰めるティワズに構わずハボックは言った。
「ティ、ロイは?こっちに来てるの?」
「ロイ様ですか?いらっしゃってませんが」
 キョトンとするティワズにハボックは考え込む仕草をすると何も言わずに踵を返す。
「若っ?」
 バタバタと廊下を駆けていくハボックに驚いて声をかけたが振り向きもしないことに軽く舌打ちするとティワズはハボックの後を慌てて追いかけた。


「フュリー!」
 バンッと物凄い勢いで扉を開ければ中にいたフュリーたち側仕えの者たちが驚いて飛び上がる。眼鏡の奥の目をまん丸に見開いたフュリーが立ち上がると言った。
「ハボック様?どうかなさいましたか?」
「ロイはっ?どこに行ったっ?」
 怒鳴るような問いかけにフュリーはパチパチと瞬きをすると答える。
「ロイ様ですか?お食事の後はお呼びがありませんでしたので、僕、こちらに控えてたんですが」
「じゃあどこにいるのか知らないのか?!」
「もっ、申し訳ありませんっ」
 責めるように言われてフュリーが慌ててそう答えたとき、追ってきたティワズがハボックに言った。
「若、ロイ様がどうかされましたか?」
「…いないんだ」
「え?」
「ロイがいない」
 青い顔をして振り向くハボックにティワズの顔がさっと緊張する。落ち着かせるようにハボックの腕を掴むと言った。
「いない?どういうことです?」
「オレ、ロイに謝ろうと思ってロイが戻ってくるのをずっと待ってたんだ。もういい加減終わってもいい頃だと思って部屋を覗いたけどいなくて、鍛錬場にもいなくて…。ティ、いつまで訓練してた?」
「若が鍛錬場を出てすぐ戻りましたよ。あんな気持ちの乱れた状態で訓練したところでろくな事になりませんから」
「一緒には戻ってこなかったのか?」
「私は他に用事がありましたから、ロイ様は先に戻られたんです」
 ティワズの言葉にハボックの唇が震える。ティワズはフュリーを見ると聞いた。
「フュリー。ロイ様が行きそうなところはどこだ?」
「こちらに来られたばかりの時ご案内したのは鍛錬場の他は厨房と――」
 フュリーが上げた幾つかの場所を聞いてティワズはハボックに言う。
「若は部屋で待っていてください。戻ってこられるかもしれませんから。フュリー、手分けして行くぞ」
「はいっ」
「ティっ、オレもっ」
 一緒に走り出そうとするハボックを押し留めてティワズは言った。
「若。部屋に戻って下さい。行き違いになったら困る。私が言ってる事がわかりますね?」
 そう言われてハボックは唇を噛み締めると部屋へと駆け戻っていく。ティワズはフュリーを促すとロイの姿を探して部屋を飛び出したのだった。


 ヒギンはゆっくりと荷馬車を進めていく。本当は思い切り鞭をいれて走り出したいのを必死に押さえ込むと肩越しに後ろを振り向いた。荷台にぽつんと転がった袋を見ると手にした手綱を握り締める。
(誰が入っているんだろう…)
 ハイムダール王家の危機を救うのだとあの男は言っていた。王家を存続できなくなるほどの状況に陥れるなど、一体どういう人物なのかとヒギンは興味にかられる。ヒギンが知る必要はないと言われたが、こんな形で人目に付かないよう連れ出さねばならない人物とは一体誰なのか、ヒギンは気になって仕方がなかった。
(覗いてみようか)
 ふとそんな考えが頭をよぎってヒギンは慌てて首を振る。あの男はヒギンが知る必要がないといっていた。それは知るべきではないということだ。必要以上に首をつっこめばそれはきっと災いとなってヒギンに降り注ぐだろう。
(このままこれを運べば金が手に入るんだ)
 莫大な借金を返済して尚手元に残る様な金が手に入る。それを棒に振ってまで中身を確かめる必要などどこにもありはしないだろう。ヒギンは前をまっすぐに見ると荷馬車を進めていった。


「ティっ、どうだった?!」
 部屋で待っていたハボックは扉が開いてティワズとフュリーの顔が見えた途端、そう尋ねる。だが聞くまでもなくティワズと一緒にいるのがフュリーだけだということで、ロイが見つからなかったことは容易に察せられた。
「若、中へ入って。フュリーも」
 ティワズはハボックとフュリーを押し込むようにして部屋に入ると扉を閉める。二人の顔を見るとまず最初に言った。
「ロイ様がいなくなったことは誰にも言わないように。王には私からあとで伝えます。フュリー、さっき部屋にいた連中をすぐに呼べ。あちこちで喋られたら困る」
「は、はいっ!」
 フュリーは頷くと部屋を飛び出していく。それを見送って扉を閉めるとティワズはハボックと向き合った。
「ティ、一体どういうこと?ロイがひとりで城を出て行ったとか?」
「それも考えられないことはありませんが、可能性としては低いでしょうね。ロイ様はそういうことをなさる方ではない。行くとしたらマニのところぐらいでしょうか、一応連絡は入れますが…」
 ティワズは言って「それより」と続ける。
「むしろ誰かに連れ出されたと考えた方がいいかもしれない」
「連れ出された?どうして?」
 ハボックはそう尋ねてティワズを見つめる。その紅い瞳を見て目を見開いた。
「まさかロイのことを邪魔だと思うヤツらがロイを連れ出したとでも言うのかっ?ま、まさか殺され…っ」
 自分で言った言葉にハボックはワナワナと震えだす。ティワズはハボックの腕を掴むと言った。
「落ち着きなさい、若。殺すんだったらわざわざ連れ出す必要はないでしょう。犬猫じゃあるまいし、成人男性をひとり人目につかないよう連れ出すんです、それなりのリスクは伴う。わざわざそうして連れ出したということはすぐには殺すつもりがないということです」
「で、も…っ」
「若」
 僅かに震えるハボックの両肩に手を置いてティワズは言う。
「私が今まで貴方に教えてきたことを忘れたんですか?しっかりなさい」
 そう言って見つめてくる紅い瞳を見返すうち、ハボックの体の震えが止まった。ハボックは一度目を閉じるとゆっくりと息を吐き、それから目を開けるとティワズを見る。
「ごめん、ティ。もう大丈夫」
 そう言うハボックの空色の瞳から不安も怯えも消えているのを見て、ティワズは薄く笑った。
「では、若。指示を」
 不敵な笑みを浮かべるティワズにハボックも笑い返す。小さい時からいつも、ティワズのこの笑みに見守られてきた。彼がこうして笑っているならば何も心配することはないのだ。思うままに動けばいい。
「オレに喧嘩を売ったこと、後悔させてやる」
 ハボックは低い声でそう呟くと物騒な笑みを浮かべたのだった。


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