ハイムダール国物語  第二十一章


「なんだよ、ロイってば、別に叩かなくたって…。ティだって、あんな…」
 鍛錬場から部屋まで駆け戻ったハボックは締めた扉に背を凭れさせてそう呟く。ロイに頼りにされるティワズにも、ティワズから認めてもらえるロイにも、どちらにも妬いている自分を自覚して、ハボックは自己嫌悪に陥ってため息をついた。
「も、サイテー…」
 一週間ロイに会えなくて本当に辛かった。何度も会いに行こうと思って、でも、ティワズの言うように逃げてばかりいないで自分の立場というものと向き合うのも必要なのだろうと、必死に我慢したのだ。一週間の謹慎期間が明けてやっと会えると思ったのにロイの態度は酷くそっけないそれで。
「そりゃ、ちょっと人を訪ねるにはよくない時間だったかもしれないけど…」
 でも、それにしたってもう少し喜んでくれたっていいのではないだろうか。
「ロイ、オレよりティの方がいいとかって…」
 そう呟いてハボックはブンブンと首を振る。
「そりゃ、今はティの方がポイント高いかも知れないけど、オレだって…!それにティだってオレの気持ちは知ってるんだし」
 ハボックはそう呟いて背筋を伸ばした。
「謝ろう、でもって、オレのこともっと見てもらおう」
 ハボックはそう決めると、ロイが部屋に戻ってくるのを今か今かと待っていたのだった。


「だってハボがいけないんだ…。あんなにヤキモチ妬かなくたっていいじゃないか。私とティワズがどうこうなんて考えるだけどうかしてる」
 ロイはそう呟いて唇を噛み締める。
「それに朝だって、何考えてるんだ、あんな時間に…っ」
 ニコニコととっても嬉しそうだったハボック。自分だって久しぶりにハボックの顔を見られたのは嬉しい。だが如何せん時間が悪かった。自慢じゃないが寝起きの悪さには自信がある。
「非常識なハボがいけないんだ。私は悪くなんてないんだから…っ」
 ブツブツと自分の考えに沈みこみながら廊下を歩いていたロイは、昏い物陰から自分をじっと見つめる視線がある事に気付いてはいなかった。


 ヒギンはその日、いつものように城に小麦を届けにきていた。袋詰めにした小麦を山ほど荷車に載せて城の門に近づいていけば、警備の兵が止まるように命じる。ヒギンは言われるまま門の手前で荷馬車を止めると兵に声をかけた。
「今日もいい天気だな」
「おお、ヒギンか。いつもご苦労だな」
 兵はそう答えるとヒギンの荷馬車を通す。
「いいのか、チェックしなくて」
 ヒギンがおどけた調子でそう言えば兵が笑った。
「もう、十年も毎日食材を届けに来ているお前の荷物を今更チェックしてどうなる。時間の無駄だろう」
「はは、信頼してくれて嬉しいよ」
 ヒギンはそう言って手を振ると荷馬車を奥へと進める。いつもの場所に荷馬車を止めると、御者台から飛び降りて後ろへと回った。積み上げた小麦を下ろし、近くに止めてあった搬送用の手押し車の上に積み上げると城の中へと入っていった。もう十年もの間、毎日毎日小麦の袋を運んで通った廊下をゆっくりと歩いていく。手押し車を押す手のひらが汗ばんで、ヒギンは一度止まるとその手をズボンにこすりつけた。
 ヒギンの親もずっとこの城に小麦を届けて暮らしていた。大人になってヒギンは親の商売を引き継ぎ、働き者の嫁をもらって子供にも恵まれてそこそこ幸せな生活を送っていた。特に不満があるわけでもないヒギンの唯一の楽しみと言えば、週に一度博打場に通うことだった。遊びの範囲を出ない程度の金を賭け、ある時は儲けある時はスッて適当に刺激があって適当に楽しく賭け事をやっていたはずだった。
 そんなヒギンの賭場通いが一変したのはある時、信じられないほど大勝してしまったのがきっかけだった。僅かなかけ金が倍になり、4倍、8倍と瞬く間に増えていき、帰る時には金の入った袋はずっしりと信じられないほど重くなっていた。それがたった一日のことであればヒギンもここまでのめり込んだりはしなかっただろう。奇跡のような幸運はそのあと十日ばかりも続いて。それからパタリと途絶えた。十日間の幸運はヒギンの頭の中からそれ以前のことを綺麗に消し去ってしまった。ヒギンはあの幸運が忘れられず、次にはまたあの幸運がやってくるはず、この次は必ずとあるだけの金をつぎ込み、それがなくなると金を借りてまでつぎ込むようになっていった。そうして、ヒギンがやっとあれはほんの一時の幸運にしか過ぎなかったのだと漸く気がついたときには、ヒギンは莫大な借金を抱え込んでいたのだった。
 その借金は普通に小麦を売っていたのでは到底返せるような金額ではなく、正直もう、家も家財も何もかも売り払ってなお払いきれないほどのものであった。しかもそんな状況にあって尚、ヒギンは自分が莫大な借金をこさえてしまったことを妻にも打ち明けられないでいた。
「このままでは首を括るしかない…」
 追い詰められたヒギンがそう考えた時、彼の前に一人の男が現れたのだった。
「大した借金があるそうじゃないか」
 フードを目深に被って目だけを覗かせた男が囁くようにヒギンに言った。ヒギンが答えずにいると、男は低い声で続ける。
「その借金を全部払って尚且つ手元に金が残る様な、そんな儲け話があるんだが聞く気はあるかね?」
 男の言葉にヒギンは目を瞠った。あれだけの借金を賄って尚金が手元に残るなどという、そんな儲け話が本当にあるのだろうか。
「なに、たいしたことじゃない。ある場所から人をひとりこっそり連れ出して欲しいのだよ」
「人をひとり?」
「そうだ。しかももしお前がそれをやってくれたならお前は金だけじゃなく、栄誉も手に入れられるのだ。なぜならそれは何よりもハイムダール王家を救う事になるからだ」
「ハイムダール王家を救う?」
 もう、十年も王家の厨房に小麦を届ける仕事をしてきた。その間、偶然にも王や王子の姿を垣間見る機会もあった。それどころか気さくな王子はヒギンに声すらかけてくれたのだ。
『美味しいパンやケーキが食べられるのも、こうして質のいい小麦を届けてくれるおかげだな』
 ありがとう、と笑った王子の顔は今でもはっきりと覚えている。ヒギンはあの時、この王子のためなら、ハイムダール王家の為なら何でもやろうと思ったのだ。
「王家に何か危険が迫っているのか?」
 ヒギンがそう聞けば、男ははっきりと頷く。その拍子にチラリと覗いた銀色の髪を隠すようにフードを引き寄せると、男はヒギンに言った。
「そうだ。このままにしておけば王家そのものが存続できなくなる。力を貸してくれ。そうすればお前は富と栄誉を手に入れられるのだ」
「……話を聞かせてくれ」
 ヒギンは男の熱い言葉に頷くと、ごくりと唾を飲み込んで男を促したのだった。


 そして今、ヒギンは小麦を積んだ手押し車を押しながら城の通路を進んでいた。いつものように厨房に顔を出すと見知った大柄な女に声をかける。
「シグナ。小麦を持ってきた」
「ああ、ヒギン、ありがとう。いつものところに置いてくれるかい?そこに使い終わった袋も置いてあるから」
「わかった。置き終わったら確認してもらいたいんだが、声をかけた方がいいかい?」
「いや、いまちょっと忙しいんだよ。いつもどおりで変わらないんだろう?だったら手がすいた時に確認するから、そのままにしておいて」
「判ったよ」
 言って奥に行ってしまうシグナの背に向けてヒギンはそう答える。シグナが奥へと消えたことを確かめると再び手押し車を押した。そうして倉庫の片隅に小麦の袋を積み上げると、代わりに空になった袋を取り上げる。一枚を残して手押し車の上に置くと、ヒギンはきょろきょろとあたりを見回した。あたりに人影がいないことを確認すると、普段は行かない奥の階段へと足を向ける。なるべく人目に付かないよう、影を選んで歩きながらヒギンは目を走らせた。
 ヒギンは一週間前に城に来た時も、同じようにして指定された場所へと忍び込んだ。だが、もとより今日必ずと約束しているわけではなく、ヒギンが城に来た時に向こうの用意が出来ていればそれを受け取って帰ることになっているのだ。ヒギンは人がいないことを確かめると小さな部屋の中へと体を滑り込ませる。そうして息を潜めて待ち続けていたヒギンだったが、今日も来ないようだとため息をついて立ち上がろうとしたその時。ギィと音がして部屋の扉が開く。するとそこには大きな白い布で包まれた塊を抱えてフードを被った男が立っていた。
「来ていたか。いいタイミングだったな」
 男はそう言うとヒギンを手招く。ヒギンは小麦の袋を手に男に近づいていった。
「これが頼んでいたものだ。誰にも見つからないよう、以前教えた場所に運んでくれ」
「判った」
 ヒギンはそう答えると男に手を貸して布で包まれたものを小麦の袋に押し込む。袋の口をキュッと閉めるとヒギンは男に聞いた。
「ところでこれは誰なんだ?」
「それはお前が知る必要のないことだ。別に知らずともお前は富も栄誉も得ることができる」
 男はそう言うと腰から袋を外した。
「約束の金の半分だ。この荷物を指定の場所に運んでくれたらそこで残りの金を渡す」
「判った」
 ヒギンは金を受け取るとポケットに捻じ込み、袋を担ぎ上げる。そっと扉をすり抜けると階段を下り、手押し車を置いた場所まで戻ると担ぎ上げた袋をそっと載せた。それから殊更なんでもないように手押し車を押して城の外へと向かう。普段通りなれた通路がやけに長く感じられて、それでも明るい光の下へ出るとホッと息をついた。手押し車から荷馬車へ袋を積み替えると御者台に乗って鞭を入れる。ゆっくりと城の出入り口に向かえば先ほどの兵が声をかけてきた。
「ご苦労さん。っと、全部納めるんじゃなかったのか?」
「袋が破れててな、そんなものを置いておくわけにはいかんから」
「そうか」
 兵はそう答えると荷馬車が通るのを見つめる。
「じゃあまたな」
 ヒギンはそう兵に言うと、ゆっくりと城を出て行ったのだった。


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