ハイムダール国物語  第二十章


 ダンダンダンと勢い良く扉を叩く音にロイは飛び上がる。
「ロイ?起きてます?」
 続いて聞こえた声にホッと息を吐くとベッドから下りて扉に向かった。そっと扉を押し開ければまだ薄暗い中に立っていたのは想像通りの人物で、ロイは不機嫌を隠しもせずにハボックを睨むと言った。
「何だ」
 まだ人を起こすには大分と早い時間だ。あからさまな非難の視線にへらりと笑うとハボックは言った。
「今日で一週間なんス」
「は?」
 嬉しそうにそう言うハボックにロイはキョトンとする。さっぱりわからないと言う体(てい)のロイにハボックが言った。
「今日で一週間たつから謹慎期間終わりなんスよっ」
 物凄く嬉しそうなハボックをロイは黙って見上げたがひとつため息を付いて言う。
「それはよかったな」
 素っ気なくそう言うとハボックとの間の扉を閉めようとするロイにハボックは慌てて扉を押さえた。
「それだけっ?久しぶりに顔が見られて嬉しいとか、会えない間淋しかった、とかないんスか?!」
「何で私がそんなこと言わなければならないんだ」
 冷たい返事に一瞬へこみそうになりながらハボックは自分を奮い立たせると言う。
「あの、今日マニのところに行きませんか?」
「マニの?どうして?」
「どうして、って…。だってロイ、マニのとこのお茶、気に入ってたみたいだし。そうだ、短剣の扱いを教えてもらったらって話、したじゃないっスか。だから、ね?」
「お茶ならこの間ティワズと行って来たからいい」
 欠伸まじりにそう言ったロイはハボックの表情が険しくなったのに気がつかなかった。
「…それ、本当なんスか?」
「え?」
「この間ティも言ってたけど…。マニのところにデートでお茶を飲みに行ったって」
「別にデートというわけでは…。ただティワズがマニのところに新しく入ったお茶を飲みに行くっていうから、一緒に行っただけだ」
 なんてことのないように言うロイにハボックがむぅと唇を突き出した。
「なんで二人で行くんスかっ!オレが外、出られない間に二人で行くなんてっ!」
「別にちょっとお茶を飲みに行っただけだろう」
「だったら今度はオレと行きましょう。お茶はもういいなら短剣のこと聞きに行くんだっていいでしょ?」
 まだ朝も明け切らぬ時間に叩き起こされてこんな風に詰め寄ってくるハボックに、ロイは段々と腹が立ってくる。
「短剣の扱いならティワズに教わる事にしたから」
「…は?」
「だから!ティワズに短剣の扱いを教わる事にしたんだ」
 眠たいところに腹も立ってきて、もういい加減ハボックとの話を終わりにしたくて思わずそう言えば、ハボックが信じられないと言う顔でロイを睨んだ。
「なんスか、それ。なんでティワズに?」
「マニのところじゃいちいち護衛だなんだって煩わしいだろう。ティワズならいつでも教われるし、マニほどじゃなくても私よりは使えるらしいからな」
「だったらオレが教えますよ」
 すかさずそう言うハボックをロイは胡散臭そうに見る。
「お前が?ティワズより上手いのか?」
「いや、それはその…」
 思わず口ごもるハボックにロイは欠伸をして言った。
「とにかくマニのところへは行かない。短剣の扱いはティワズに頼む。以上だ。私はまだ眠いんだ、じゃあな」
「ちょ…ロイっ」
 ロイは勝手にそう結論付けるとハボックが押さえる前に扉を閉めてしまう。そうしてその後はいくらハボックが呼ぼうとベッドに潜り込んで答えなかった。


「で、どうしてこういう事になってるんです?」
 ムスッとした顔で立っているハボックと、ちょっとした後悔とバツの悪さに視線を泳がせているロイを前にティワズが言う。ハボックがチラリとロイを見ると言った。
「ロイがティに短剣の扱いを教わるって言うから」
 ハボックの言葉にティワズがロイを見れば、ロイは決まり悪そうに目を逸らす。
「…教わらないんじゃなかったんですか」
 ボソリと低く呟く声にロイが唇を突き出してティワズを睨んだ。
「まったくもう、痴話喧嘩に巻き込まないで欲しいんですが」
「痴話…っ、そ、そんなんじゃないっ!それよりいつでも教えてやるって言ってただろうっ、さっさと教えたらどうなんだっ」
 ティワズに言われてロイが顔を紅くして叫ぶ。ティワズは眉間を指で揉みながら言った。
「人に教えを乞う態度としてはどうかと思いますけどね」
 そう言いつつもティワズはロイを促す。
「鍛錬場に行きましょう」
 そう言って歩き出すティワズを追いかけるように、ハボックとロイも後に続いたのだった。


 鍛錬場につくとティワズはロイに聞いた。
「あの短剣を持ってきましたか?」
「ああ、勿論」
 ロイはそう言うと腰から短剣を外してみせる。ティワズはそれを受け取ると言った。
「この短剣の由来はこの間お話したとおりですが、実用的なものであるとともに精霊の魂が宿る特別なものでもあるんです」
「精霊の魂?」
「そう。貴方を、そして世継ぎを守る精霊の、ね」
 そう言ってハボックを見れば決まり悪そうに視線を逸らす。ティワズはロイに短剣を返しながら言った。
「これは武器ですが、それ以上に敬意を払うべき神具ということです」
 ロイは手にした短剣をじっと見つめる。複雑で美しい紋様の刻まれた刀身を魅入られたように見つめるロイにティワズが聞いた。
「短剣と長剣の違いが何か判りますか?もしくは短剣が長剣より優れているところ、でもいいですが」
「短剣と長剣の?ええと…」
 ロイ相手に短剣の講義を始めるティワズをハボックは壁に凭りかかりながら見つめる。ティワズの問いに答えながら真剣にその言葉を聞いているロイと見比べてハボックはため息を付いた。
(いつの間にあんなに仲良くなったんだろう…。ティのこと、あんまりいい印象じゃなかったみたいなのに。ティだってロイのことよく言ってなかったくせに)
 急激に親しくなったように見える二人の様子にハボックは唇を噛む。果たして自分はロイとどれだけ近づくことが出来ているのだろうと考えて、ハボックは視線を足元に落とした。自分はロイより5つも年下で一方ティワズはロイより年上だ。ティワズに比べたら自分は随分頼りなく思えるのではないかと、ハボックは「くそ」と呟くと床を蹴りつけた。ティワズから見ればロイの方がずっと為政者として見込みがあると思っているのではとまで考えて、ハボックはロイとティワズのどちらに対してももやもやと湧き起こってくる嫌な気持ちに小さく首を振る。1つ息を吐いて視線を上げたハボックは、ロイの手をとって短剣の構え方など教えているティワズの姿に目を剥いた。
「何やってんだよっっ!!」
 ハボックの怒鳴り声にロイとティワズはビックリして顔を上げる。ハボックはツカツカと二人に近寄るとロイをティワズから引き離した。
「そんなにくっつかなくたって教えられるだろうっ」
 そう噛み付けばティワズがやれやれと顔を顰める。ロイはムッと眉を寄せるとハボックに言った。
「何を言ってるんだ、お前は。邪魔をするな」
「ねぇ、ロイ。教えるのはティじゃなくてもいいでしょ?オレが教えるからだから」
 そう言った途端、ロイがハボックの頬を軽くはたく。痛みより驚きに目を見開くハボックにロイが言った。
「いい加減にしろ。これ以上邪魔をしたら本気で怒るぞ」
 そう言ってぷいとハボックに背を向けてしまうロイにハボックは泣きそうな顔をする。くるりと踵を返すと鍛錬場を飛び出していってしまうハボックを見送るティワズにロイが言った。
「邪魔するヤツはいなくなった。教えてくれ」
 固い表情でそう言うロイにティワズはため息をつく。
「痴話喧嘩に巻き込まないで欲しいって言ったと思いますが」
 ティワズがそう言えばロイが思い切り睨んだ。ティワズは短剣を握るロイの手をそっと叩いて言う。
「訓練はまたにしましょう。そんなに苛々していたら怪我をする。それと」
 一度言葉を切って続けた。
「あまり意地を張らないことです」
 そう言うティワズの紅い瞳が優しい光を湛えているのを見て、ロイは手にした短剣をそっと胸に抱き締めたのだった。


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