| ハイムダール国物語 第十九章 |
| ぼんやりとお茶を啜るロイの耳にティワズとマニが話す声が聞こえてくる。聞くともなしに友人同士の話を耳にしながらロイはハボックのことを考えていた。 『これはアンタのものっスから』 そう言って短剣を差し出してきたハボック。 『アンタのです。受け取って下さい』 短剣に込められた意味など一言も言わずに差し出してきた。理由も知らぬまま「預かる」と言って受け取った自分をハボックはどう思って見つめていたのだろう。 『若様は本気ですよ』 『貴方が少しでも若様を好きになってくれたら、とても嬉しいですよ』 確かにハボックは何度も好きだと言っていた。まっすぐに見つめてくる空色の瞳に込められた熱情は決して不快なものではなく、むしろロイを安心させるもので。 そう考えてロイはハッとすると慌てて首を振る。 (何を考えてるんだ、私はっ) カウィルから単身嫁いできて、自分の将来に希望など持ってはいなかった。自分がここにいることでカウィルが幸せであればいい。自分の幸せなど望むべくもなかったのに。 (私は…) 自分は一体どうしたいのだろう。この気持ちはどこへ向かっているのだろう。深く突き詰めて考えるのが怖くて、ロイは小さく首を振るとその考えを頭から締め出したのだった。 「はい、姫君。お茶ですよ」 そう言って茶葉を渡してくれるマニに礼を言って受け取りながらロイはチラリとマニを見る。だが、それ以上何も言おうとしないロイにマニは意外そうに眉を跳ね上げた。 「姫じゃない、って言わないんですか?」 やっと姫だって認めてくれたんですね、と楽しげなマニをロイは軽く睨む。 「いちいち言うのがめんどくさくなっただけだっ」 そう言うロイにマニが声を出して笑った。そんなふたりを見ていたティワズは席を立つと言う。 「そろそろ行きましょうか、ロイ様」 「姫君、今度は若様と一緒にいらっしゃい」 にこやかにそう言うマニをティワズが思い切り睨んだ。 「おい」 「いいじゃないか。城からここまでならさほどの距離でもないし、若様の腕前なら多少の不届き者は返り討ちにできるだろう?」 「何かあってからじゃ遅いんだぞっ」 紅い瞳に怒りを載せて睨んでくるティワズにマニが言う。 「お前にとってこそ強烈な体験だったんじゃないのか?今でも引き摺るくらいの」 そう言われたティワズの体から一瞬怒気が膨れ上がったのを見て、ロイが目を瞠った。だが、その怒気はすぐにティワズの中へと戻っていき、ティワズがロイを振り向いたときにはその欠片すら見当たらなかった。 「行きましょう、ロイ様」 ティワズはそう言うと先に立って店を出て行く。ロイはマニにお茶の礼を言うと、慌ててティワズを追ったのだった。 城に向かって歩きながらロイはティワズの表情を伺う。一見無表情に見えるその面の下で、実はまだかなり怒っているのではないかと思いながらもロイはティワズに聞いた。 「強烈な体験ってなんだ?」 そう聞けばティワズが僅かに目を見開いてロイを見つめる。それからフイと視線を前に戻すと言った。 「以前、若が命を落としかけたことがあったんですよ」 その言葉にロイは驚いてティワズを見る。続けて何か言ってくれるのを待ってみたがそれ以上何も言う気がないのを感じて、ロイは別の事を言った。 「短剣の扱いをマニに教わりに行ってもいいか?」 そう言えばティワズが答える。 「短剣の扱いなら私が教えて差し上げます」 「マニの方が上手いんだろう?」 そう言うロイをティワズは思い切り嫌そうな顔をして見た。暫く見つめた後、意地の悪そうな笑みを浮かべて言う。 「貴方よりはよほど上手いです」 「な…っ」 フフンと鼻で笑うとティワズは門の中へと入っていった。一瞬足を止めてその背を睨んでいたロイは急いでティワズを追うと背後から追いすがるように顔を覗き込んで言う。 「私だってそうバカにしたもんじゃないんだぞっ!」 「そうですか?」 流し目をくれるようにロイを見つめる紅い瞳は笑いを含んでいて、ムッとしたロイが更に何か言おうとした時。 「う、わっ?!」 足元をよく見ていなかったロイがつまずいて転びそうになった。 「おっと」 倒れ込むロイの体をティワズが咄嗟に支える。思いがけず力強い腕にロイが驚いてティワズを見上げればくすりとティワズが笑った。 「大丈夫ですか、姫君」 からかう様にそう言われて、ロイはムッと唇を突き出すとティワズの腕を振り払う。 「余計なお世話だっ」 そう言って顔を赤らめてスタスタと歩いていくロイの背にティワズが言った。 「短剣の扱いならいつでも教えて差し上げますよ」 その声に振り向いたロイが思い切り舌を突き出したと思えばそのまま城の中へ駆け込んでいってしまう。そんなロイを目を丸くして見つめていたティワズはプッと噴き出すとくすくすと笑っていたのだった。 「はああ…」 肺の中の空気を全部吐き出すかのような勢いでため息をつくハボックを見て、ブレダが思い切り顔を歪める。 「鬱陶しい空気を撒き散らすなよ」 さも嫌そうにそう言えばハボックが恨めしげにブレダを見た。 「だって…ロイの顔も見ちゃダメだって…」 ハボックはそうぼやくと暫く机に突っ伏していたが、ガバッと顔を上げると扉に突進する。 「ちょっとその辺歩いてくる」 「って、お前っ、謹慎中だろうがっ!」 「5分だけっ」 慌てて止めるブレダの言うことも聞かずハボックは部屋を飛び出した。チラリとでもロイが出てこないかと隣り合うロイの居室の扉の前でほんの少しウロウロしたが、ブレダが追ってきそうな気配に慌てて廊下を走り出す。バタバタと走って目の前に見えた窓から顔を出せば、眼下に見慣れた紅い髪と綺麗な黒髪が歩いているのが目に入った。 「ティと…ロイ?」 どうして二人が一緒に、と思った瞬間、並んで歩いていたロイにティワズが手を差し伸べる。まるで抱き合うようになった二人の姿にハボックは慌てて窓から顔を引っ込めた。何度か呼吸を繰り返してもう一度窓から顔を出した時にはもう二人の姿は見えず、ハボックは窓から身を乗り出すようにして二人を探す。 「どういうことだよ…っ」 ハボックがそう呟いた時、追いかけてきたブレダがハボックの肩を掴んだ。 「ハボ、部屋に戻れって。勝手に出てるのが見つかったら謹慎期間延ばされるぜ」 そう言うブレダを振り向いてハボックが噛み付くように言う。 「今、ティがロイと一緒にいたっ」 「へ?」 「オレには会うなって言ったくせにっ!」 「別にティワズがロイと一緒にいたからって構わないだろう?」 「二人でどっか出かけてたみたいだったっ!」 「二人でって、デート?」 ついうっかりそう言ってしまってからブレダは慌てて口を押さえる。ハボックがブルブルと震えるのを必死に宥めようとしたとき、ティワズの声が聞こえた。 「こんなところで何をしているんです、若」 その声に二人が振り向けばティワズが眉間に皺を寄せて睨んでいる。 「部屋から出てはいけないと言いませんでしたか?」 「ロイとどこに行ってたんだよっ」 ティワズの問いには答えずそう言うハボックにティワズが僅かに目を見開いた。蒼い瞳に嫉妬の焔を揺らめかせるハボックを見つめると言う。 「デートですよ、マニのところへお茶をしに、ね」 「な…っ!ティっ!」 飛びかかりそうなハボックをブレダが慌てて押さえるのを見ながら更に言った。 「悔しかったら立派な男になりなさい。ハイムダールもカウィルも守れるような立派な男にね」 そう言ってスタスタと行ってしまうティワズの背中をハボックは口を大きく開けて見つめていたが。 「ティのバカァッッ!!」 次の瞬間、思い切りそう怒鳴っていたのだった。 |
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