ハイムダール国物語  第十三章


「ちゃんと説明して、ティ。一体ロイと何があったんだよ」
 ロイのところへはもう少し落ち着いた頃を見計らって行ったほうがいいというフュリーの言葉に渋々と頷いたハボックは、先にもう一方の当事者であるティワズの部屋へと来ていた。幼い頃から自分の部屋より長い時間を過ごしていた部屋は大人になった今でも居心地がよくて、ハボックは我が物顔でベッドに腰を下ろすとティワズに聞く。まっすぐに見つめてくる空色の瞳をティワズはチラリと見ると備え付けのコーヒーポットへと手を伸ばした。
「言ったでしょう、ご自分の立場を教えて差し上げただけだって」
「ティ」
 はっきりと答えないティワズにハボックが苛々と名を呼ぶ。何事もハッキリさせたいという性格に、そう言えば困った事が何度もあったなと思い出しながらティワズは言った。
「たとえ遊びで剣を交えたのだとしてもそれは死と隣りあわせだと言いたかったんですよ」
 そう言ってコーヒーの入ったカップを差し出すティワズにハボックが眉を寄せる。判らないことがある時、よくする癖にティワズは椅子に腰を下ろしながら言った。
「剣先に毒でも塗られてたらほんの少し掠っただけであの世行きだ。手合わせをした兵士にその気がなくても利用される機会はいくらでもある」
 一口コーヒーを飲むとティワズは続ける。
「そもそも若が国民を前にあんなムチャクチャな宣言するから気を揉まなくちゃいけなくなるんです」
「どういう意味、それ」
 カップを握り締めながら聞くハボックにティワズは言った。
「側室をとらない、子供を作る気はない、そう言われればこの国を思うばかりに暴走する輩がいるということですよ」
「暴走する輩?」
「“王子が男の正妻に血迷って子供を作らないと言うならいっその事正妻を殺してしまえ”」
「な…っ」
 ピタリとハボックを見据えて言うティワズの言葉にハボックが乱暴な仕草で立ち上がる。その拍子にコーヒーが零れてシーツに染みを作った。
「なんだよ、それっ!」
「そう考える狂信的な国家主義者がいるんです、若」
 空色の瞳を見開いて見つめてくるハボックにティワズが言う。
「国を思う彼らの気持ちは純粋だ。カウィルとの同盟を量りにかけてそちらが軽いと判断すればロイ様の命を奪うことも躊躇わないでしょうね」
「ティっ!」
 蒼褪めた顔で声を荒げるハボックを見上げてティワズは言った。
「正直なのは若の美点ですがバカ正直なのは愚かです。小さい時から言ってるでしょうが、進歩のない」
 容赦のないティワズの言葉にハボックは唇を噛み締める。そんなハボックにティワズはコーヒーを啜ると言った。
「ロイ様も不自由なく育ったからでしょうね、まだまだ甘い。そんなところも好きなんでしょう?だったらちゃんと守ってあげなさい」
 そう言われてハボックはドサリとベッドに腰を下ろすと聞く。
「ティはロイのこと、嫌いなわけ?オレとロイのこと、祝ってくれないの?オレがロイを好きだって言ったこと、怒ってんの?」
 ティワズの答えを恐れるように、縋るように聞くハボックにティワズはため息をついた。
「ロイ様のことは嫌いじゃないです。単身このハイムダールに嫁いできたんだ、その心の強さは賞賛に値する。若とロイ様のことを祝う気持ちはありますし、若がロイ様を好きだと言ったことを怒ってたりはしません」
「でも、この間から嬉しくないことばっかり言う」
「そりゃ私の立場上、言わないわけにはいかないでしょう」
 やれやれとため息をつくとティワズは言う。
「若が心から愛したいと思える人に出会えたことはとても嬉しい。でも、側室の件は今でもとるべきだと思ってますよ」
「ティ…っ」
「それが一番ハイムダールにとってもいいと思うし、ロイ様を守る上でもいい事だと思いますから」
 その言葉に目を見開くハボックにティワズは諦めたように天を仰ぐと言った。
「まあ、バカ正直な若にそんなことが出来る訳がないこともよく判っちゃいるんですがね」
「ティ〜〜っ!」
 悔しそうに睨んでくるハボックの手からカップを取り上げるとティワズは言う。
「悔しかったらロイ様をちゃんと守ることです。よく周りを見て。国を愛するものがロイ様にとって味方になるとは限らない」
 そう言って取り上げたカップに残ったコーヒーを澄ました顔で飲むティワズにハボックは恐る恐る聞いた。
「ティは?ティはロイの味方?」
 問いかけに視線を上げて見つめてくる紅い瞳にハボックは怯みそうになる。それでもしっかりと紅い視線を受け止めると見返した。
「私はいつでも若の味方です」
「それってロイの味方でもあるってことだよね?」
 きっちりとした確約の言葉を引き出そうとするハボックから目を逸らすとティワズはカップをテーブルに置く。
「これからやらなくてはいけない事があるんです。若はロイ様のところに帰りなさい」
 それ以上は何も言ってくれそうにないティワズに、ハボックはうな垂れて部屋を出て行った。ティワズはハボックが座っていたベッドに近づくとシーツに零れたコーヒーの染みに触れる。
「相変わらずこの部屋に来ちゃ汚してくんだから…」
 ティワズは苦笑して呟くと視線を上げて窓の外を眺めたのだった。


 部屋へと追い返されたハボックはドサリとベッドに仰向けに体を投げ出すと天井を見つめる。ティワズとの話を思い返してそっとため息をついた。
「あんな言い方しなくてもいいのに…」
 確かに自分は浮かれすぎていたのだと思う。正直一目惚れ同然に好きになった相手と国の為とはいえ一緒になることが出来て、自分の想いにしか目がいっていなかった。それを聞いた人々がどんなことを思うかなど、考えてもみなかったのだ。
「やっぱオレ、国王には向いてないよ、ティ」
 小さい時は何も考えずにいられた。教えられる剣技も体術も、為政者としての勉学も王族としての振る舞いも。ただ教えられるまま覚えていけばよかった。ティワズは教育係としても友人としても最高だったし、彼に導かれるまま進んでいけばよかった。だが、ハボックの手足が伸びて体が逞しくなり、成長して大人になるにつれてハボックを見つめる周囲の目が変わってきた。ある者は過大な期待を寄せ、ある者は憧れの眼差しを向け、変わらなかったのはティワズとブレダを除けば後は数えるほどしかいなかった。
 ハボックが深いため息をついて腕で手を覆った時、コンコンと扉を叩く音がした。その音がロイの部屋との間の扉から聞こえたのだと気がついてハボックは飛び起きる。飛びつくようにして扉を開ければ、ロイが俯き加減で立っていた。
「ロイ」
 嬉しさの滲む声でそう呼べば白い面が恐る恐ると言うように見上げてくる。ロイは一瞬ハボックの顔を見たがすぐに視線を落とすと言った。
「その…さっきはすまなかった」
 小さな声でそう言うロイにハボックは笑って答える。
「いいんですよ、気にしてないっスから」
「怪我、しなかったか?」
「平気っス。頑丈に出来てるのが取り柄だから」
 ハボックはそう言うとロイを部屋へ招き入れた。椅子を勧めるとロイに聞く。
「何か飲みますか?」
「さっきココアを飲んだから、今はいい」
 そう言われてハボックは椅子を引き寄せるとロイの正面に背もたれを前に置き、跨るように腰掛けると背もたれを抱え込むようにして言った。
「ティのこと、嫌いにならないで下さいね。あれで結構ロイのこと心配してるんスよ」
「別に嫌いになど…。ちょっと悔しかっただけだ」
「言い方きついけどティは悪いヤツじゃないっスから」
俯き加減で呟くように答えるロイにハボックは苦笑して言うと更に聞く
「どこを見てきたんスか?詰め所の他には」
 話が変わった事にホッと小さく息を吐いてロイは答えた。
「食堂とか礼拝堂とか謁見室とか…。あと厨房も見てきた」
「厨房?じゃあシグナに会いました?」
「ああ!彼女!面白いな、ああいう女性は初めて見た」
「チャーミングでしょ?いわゆる美人とはちょっと違うけど魅力的」
 そう言って笑うハボックの顔にロイの胸を何かがチリと焼く。ハボックと仲がいいと言ったフュリーの言葉を思い出してロイは小さく首を振った。
「ロイ?」
「なんでもない」
 そう言ったまま黙り込んでしまったロイをハボックは暫く見つめていたが、やがて口を開いて言う。
「明日は街まで行ってみましょうか」
「街に?いいのか?」
 その子供のような表情にハボックの顔も自然と緩んだ。ティワズの言葉が一瞬頭を掠めたが、どこにいても自分が守ればいいのだと思い直して答える。
「勿論っスよ。じゃあ、明日は街見学、ね?」
 ハボックがそう言えばロイが目をキラキラさせて頷いた。
(あ、やっぱどうしようもなく好きかも)
 どうにも押さえられない気持ちを抱きしめて、ハボックは嬉しそうなロイの様子を愛しげに見つめていたのだった。


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