果てなき恋のバラード  第六章


「おはようございます、大佐」
 司令室の扉を開ければ途端にハボックの声が聞こえて、ロイはドキリとする。表面上は心の動きなど伺わせずにうっすらと笑みを浮かべてロイは答えた。
「おはよう、ハボック」
 そう言いながら執務室へ入るロイにくっついてハボックも入ってくる。パタンと扉が閉じて二人きりになれば、ドキドキと心臓が速まりだしてロイはこっそりため息をついた。
(朝からこれでどうするんだッ)
 せっかく一晩かけてなんとか気持ちを切り替えたと思ったのに、ハボックと二人きりになった途端これでは何の意味もないではないか。
(これじゃあまた中尉に文句を言われてしまう)
 そう思いはしたものの速まる鼓動をどうすることも出来ない。それでもロイは何でもないように椅子に腰を下ろしてハボックを見上げた。
「どうした?何かあったか?」
 尋ねればハボックが頷いて答える。
「病院送りにしちまった例の犯人っスけど、事情聴取の許可が降りたっス」
「そうか、それならすぐに病院へ行こう」
 そっちの方が書類仕事よりまだ何とかなりそうだ。内心そう思ったロイが降ろした腰を上げようとすればハボックが言った。
「病院へはもう中尉が行ってます。大佐は昨日終わらなかった書類を片づけるのを優先してくれって」
「え?」
 言われてキョトンとするロイにハボックが苦笑する。昨日から積み上がったままの書類の山に手を置いて言った。
「せっかくチョコレートケーキ食わせてあげたのに、仕事終わらなかったんスね、大佐」
「えっ、いや、それはその……ッッ」
 そのせいでむしろ集中出来なかったのだと流石に言うわけにもいかず、ロイはしどろもどろに答える。ハボックはそんなロイを見下ろして首を傾げて言った。
「気分転換にならなかったっスか?」
「そんなことないッ!!すっごく楽しかったッ!!」
 バンッと机に手を突いて立ち上がりざまそう怒鳴ってしまって、ロイはハッとして凍り付く。ロイの勢いに空色の瞳をまん丸にしたハボックは、パチパチと数度瞬いて言った。
「でもこれ、終わらなかったんスよね?」
「……ッ」
 言われてロイは言葉に詰まって俯く。困りきった様子のロイをじっと見ていたハボックは、書類の山に置いていた手をロイの頭に移してパフパフとその黒髪を叩いた。
「ま、終わらなかったもんは今言っても仕方ないし、中尉が帰ってくる前に少しでも片づけちゃいましょ」
 ね?と言われてロイがおずおずと顔を上げれば、ハボックがニッと笑って片目を瞑ってみせる。それにコクンと頷いて腰を下ろしたロイが、書類に手を伸ばすより先にハボックが書類を手に取った。
「ちょっと待って。これ、もう一回仕分け直しますよ。読んでサイン貰う分と、読まなくてもサインだけ貰えばいいのとありそうだし。こっちのファイルが一番急ぎだって中尉が言ってたっスから、先にこっち見ててください」
「……判った」
 言ってハボックが差し出してきたファイルをロイは受け取って目を通し始める。その間にハボックは机の上の山をソファー前のテーブルに移し、中身をチェックして仕分け始めた。
「しかし、無駄に多いっスよね、書類って」
 ハボックが書類をめくりながら言う。高い山を右に左に仕分けながら続けた。
「大佐もそう思うっしょ?もう少しなんとかならんですかね、これ」
「そうだな」
 毎日思っている事だが改めてそう言われると余計にうんざりする。目を通した書類にサインをしたためてファイルを閉じるとロイはソファーに座るハボックを見た。
(そう言えば昨日はせっかく近くでハボックを見られたのによく見れなかった)
 喫茶店の狭いテーブルを挟んで向かい合わせの席。恋人の距離とまではいかないまでも、普段よりずっと近い距離からハボックの顔を見られたのに。
(とてもじゃないけど顔を上げていられなかった……)
 正面から見ようものなら顔が真っ赤になるのが判りきっていたから。それでもハボックのちょっと掠れた低い声をすぐ側で聞いていただけでも相当にクるものがあったのだが。
(やっぱりこれくらい離れていた方が落ち着いて見られるな)
 ロイはそう思いながらうっとりとハボックを見つめる。もっと近づきたいと思う気持ちがないわけではないが、そうなったらとんでもないことを口走ってしまいそうで、ロイは自分にはこの距離が似合いなのだと必死に思いこもうとした。
「よし、こんなもんかな」
 ロイが何を考えているかなど気づきもせずに、ハボックは立ち上がると積み分けた山を見下ろして言う。ロイを振り向いて彼が自分の事をぼんやりと見つめていることに気づいて僅かに目を瞠った。それでもその事は追求せずに二つに分けた山の上にそれぞれ手を置いて言った。
「目を通さなきゃいけない分とサインだけすればいい分、どっちからやりたいっスか?」
 そう尋ねたがロイからの返事はない。ハボックは二歩でロイに近づくとヌッとその顔を覗き込んだ。
「どっか調子でも悪いんスか?大佐」
「ッッ!!!」
 間近から黒曜石の瞳を見つめて尋ねれば、ロイの体が飛び上がる。そのまま椅子ごと後ろにひっくり返りそうになったロイの腕をハボックは咄嗟に掴んでいた。
「ッ、と、危ねぇ」
 グイと腕を引いてハボックはバランスを前に戻してやる。びっくり眼で見上げてくるロイを呆れたように見下ろして言った。
「何やってんスか、アンタ」
「だっ、だっ、だってお前がそんな近くで声かけるからッ!!」
「だからってそんな驚かなくても」
 お化けじゃあるまいし、とぼやいたハボックは肩越しに書類の山を指さす。
「で?どっちからやります?目ぇ通す方?サインだけする方?」
「め、目を通す方、からっ」
「その方がいいでしょうね。いい加減嫌になってもサインだけなら何とかなるだろうし」
 ハボックは言いながら山の一つをロイの机に移す。全体の半分よりは少ないとはいえ、結構な高さがあるそれにため息をつくロイにハボックが言った。
「嫌なことはさっさと片づけるに限るっスよ。後に延ばせば延ばすだけ嫌になるんスから」
 尤も至極な事を言われてロイは眉間に皺を寄せる。書類を手に取り読み始めればソファーに腰を下ろすハボックを見て言った。
「ここはもういいから仕事に行って差し支えないぞ。お前が仕分けしてくれたから楽になったし」
 そう言えばハボックがソファーの背に両腕を載せて答える。
「オレ、今日は大佐のお目付け役なんス。ちゃんと仕事をさせるようにって中尉が」
 そう言うハボックの言葉にロイはキョトンとした。
「だからオレの事は気にせず仕事して下さい、大佐」
 言ってニッコリと笑うハボックにロイは内心悲鳴を上げた。
(えええええッッ??そんな話聞いてないぞッ!!)
「はい、集中集中!ちゃっちゃと片づけちゃいましょ」
 言って銃の手入れなど始めるハボックを見つめて。
(集中なんて出来るわけないじゃないか……)
 思わず泣きたくなるロイだった。


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