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| 果てなき恋のバラード 第五章 |
| 「勝手に抜け出されては困ります」 司令部に戻れば案の定ホークアイが目を吊り上げて待っていた。おそらくハボックから連絡がいっていたのだろう、それ以上は言わずにホークアイは書類の山に容赦なく新たな書類を積み上げる。どことなくぼんやりしているロイを見て、眉を顰めてホークアイが言った。 「大佐?どうかなさいましたか?」 そう尋ねてもロイからの答えはない。ホークアイは僅かに眉を寄せるともう少し声の音量を上げて言った。 「大佐?どうかなさいましたか?」 「えっ?」 繰り返して見つめてくる鳶色の瞳にロイは目を丸くする。パチパチと二、三度瞬きして答えた。 「いや、どうもしない」 「……ならよろしいのですが」 答えはしたもののどことなく心ここにあらずといった感じのロイに、ホークアイは眉を顰める。だが、どうもしないというものを無理に問い質す理由もなく、ホークアイはきちんと仕事をするよう念押しして執務室から出ていった。 パタンと扉が閉まる音がしてロイはホッとため息をつく。つい先ほどの事を思い出せば頬が熱く火照って赤みがさした。 仕事に飽きて見上げた空の色に恋しい相手の瞳が思い浮かんだ。そうすればどうにも顔が見たくなって、仕事をサボって抜け出しはしたものの、すぐには行けずに喫茶店のショーケースを覗いていれば。 『涎垂れてますよ?マスタング大佐』 不意に耳元で囁かれた低い声。ゾクリと震えて飛び上がればハボックが悪戯っ子のような表情を浮かべて笑っていた。その時の事を思い出せば思わず下肢が震える。囁かれた内容はどうあれ、あの低い声は今のロイには爆弾よりもっと破壊力があった。それを誤魔化すように喚けば思いがけずケーキを奢って貰う事になり。 (ケーキの味なんて全然判らなかった) 疲れたから甘いものが食べたくなったと言いながら、殆ど砂糖も入れずにコーヒーを飲むハボックのカップに強引に砂糖を放り込んでしまった。大好きなケーキを甘そうだとからかわれた勢いでやってしまったのだが、今考えれば顔から火が噴き出すほど恥ずかしい。 (あんな事するなんて、どうかしてたんだ、私はっ) 甘いコーヒーを飲んで目を白黒させるハボックの顔が浮かんでどうにもいたたまれなくなる。それでもその後も変わらず笑っていたハボックの様子を思い浮かべれば、とりあえず怒らせはしなかったのだろうと思えた。 (いかん、仕事をしなくては) ハボックの事を考え始めればとどまる事がなくて、ロイは慌てて首を振る。だが、目の前の書類を読んでもさっぱり内容が頭に入ってこず、結局ロイはその後散々ぱらホークアイに小言を言われる羽目になるのだった。 「よっしゃ、今日はこの辺にしておこうか」 そうハボックが言えば、あちこちから背筋を伸ばしたり首を回したりしながらやれやれとため息をつく部下達の声が聞こえる。用具を片づけ後を副官の軍曹に任せるとハボックはゆっくりと歩きだした。新しい煙草を取り出し火を点けアーケードの中を歩いていく。そうすれば昼間ロイと一緒に入った喫茶店の前を通りかかり、ハボックは足を止めた。 (旨そうに食ってたな) 仕事をサボってアーケードをうろついていたロイを捕まえて、そのまますぐに追い返さずに一緒にケーキなど食べてしまった。成り行きではあったのだが、思いがけず楽しい時間であったことがちょっぴり意外でハボックは首を傾げる。 (そういや二人きりでなんか食ったりしたのって初めてだよな) そもそもロイとは飲みに行くことすら希で、行ったとしても司令部の誰かが一緒だった。そう言う時のロイは執務室にいる時とまるで変わるところがなく、あまり親近感が湧くこともなかったが。ハボックのコーヒーに砂糖を放り込んで笑う顔が浮かべば、今までロイに抱いていたイメージが幾分なりと変わってくる。 (おもしれぇの) 思いがけず見た上司の一面に、ハボックは何となく楽しくなって鼻歌を歌いながら帰路についた。 (ああ、散々だった……) 結局残業してもとてもこなせないと判り、ホークアイはロイに山ほどの小言を言った末解放してくれた。明日になれば再びあの山と取り組まなくてはならないとはいえ、取りあえず帰ることが出来てロイはホッとため息をつく。正直あのまま仕事を続けたところで永遠に終わるとは思えなかったから、一度家に帰って頭を切り替える時間がとれることはロイにとってありがたいことであった。 いつもなら一人きりの食卓は質素なものであったが、今夜は帰りに幾つかデリなど買ってみる。家に戻ってまだ温かいそれらを口にすれば、なんだか腹の中だけでなく気持ちも暖かくなるような気がした。 (馬鹿みたいだ、別になにも変わっていないのに) ハボックにしてみれば仕事に飽きてサボって出てきた上司のガス抜きをしてやっただけに過ぎないのだろう。だが、ロイにとってハボックと向かい合わせで過ごしたあの数十分の時間は、何事にも代え難い特別なものであった。 (たったあれだけの事がこんなにも嬉しいなんて) まるで十代の少年のような感情をロイは持て余してしまう。初恋ですらこんなではなかったと思って、ロイはひとつため息をついた。 (駄目だ、このままじゃ明日も仕事にならん) ロイはそう考えてふるふると首を振る。デリのパックを片づけて、ロイはいつものように二階の寝室の浴室に入った。服を脱ぎ捨ていつものようにぬるめのシャワーを浴びる。そうして滲み出るハボックへの想いもシャワーの滴に流してしまおうとしたが。 (またあんな風な時間を過ごせたらいいのに) ロイは自分の中にそんな小さな欲望の芽が芽生え始めた事に気づいてしまう。ハボックが自分だけを見つめて笑ってくれたあの時間をもっともっと欲しいと思ってしまう。 (何を考えているんだ、私は。そんなこと出来るはずないのに) 今日のあの時間は気まぐれな恋の女神がほんの一瞬見せてくれた幻に過ぎないのだ。 (でも……でも私は……) 出来ることならハボックに自分が彼に抱いているのと同じ感情を抱いて欲しい。沸き上がった感情に熱いため息を零した次の瞬間ロイは慌てて首を振る。 (駄目だ、駄目だ……こんな事考えては…ッ) ロイは心の中でそう呟いて、いつものようにシャワーの滴にハボックへの想いも洗い流すフリをした。 |
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