果てなき恋のバラード  第四章


「大佐、こちらの書類にサインをお願いします」
「ああ」
 ホークアイが差し出した書類を受け取ってザッと目を通すと、ロイはサインをしたためてホークアイに返す。先日のショッピングモールでの爆破事件の捜査は続けられていたが、それ以外にも日々の業務が山積しており、ロイは机の上に積み上げられた書類を眺めてうんざりとため息をついた。
「コーヒーでもお持ちしましょうか?」
 ロイがため息をつくのを聞いてホークアイがそう尋ねる。そういえば今日はハボックがいないから、気を利かせてコーヒーを差し入れてくれる相手もいなかったのだとロイは気づいた。
「そうだな、頼むよ、中尉」
「判りました」
 言えばホークアイは頷いて、すぐにコーヒーを淹れてきてくれた。
「どうぞ」
「ありがとう」
 コトリとカップを机に置いてホークアイは微笑む。決済済みの箱の中から書類を取り出しチェックして、ホークアイが言った。
「こちらの書類は頂いて参ります。あと、今日中に最低でもこちらの山だけは処理願います」
 ホークアイはそう言って手を大きく広げると山二つのてっぺんを一度に押さえる。ロイがゲッと顔を顰めるのを見て見ぬふりで、ホークアイはすました顔で“失礼します”と言うと執務室を出ていってしまった。
「どうしてこんなに書類があるんだ」
 ロイはそう呟いて書類の山を睨みつける。山を睨みながらコーヒーに口をつければ、やけに苦みが強いように感じられた。
「執務室にこもってこんな事をするくらいなら、ショッピングモールの後片付けでもした方がましだ。
 そう呟けば俄にハボックに会いたくてたまらなくなる。立ち上がってそっと扉の隙間から大部屋を伺ったロイは、ホークアイの姿が見えないのを幸い、こっそりと抜け出していった。


 ところどころに白い雲がたなびく空の下、ロイはショッピングモールへと歩いていく。厚い軍服の中の肌がうっすらと汗ばむ頃になって漸く目的地にたどり着くと、ロイはハボックがいるであろう広場へすぐには向かわず、被害を免れて営業を再開しているアーケードへと足を向けた。
「どうせ私の顔を見たって“帰れ”としか言わないに決まってるんだから」
 何をサボってこんなところへ来ているんだと怒るハボックの顔がの脳裏に浮かんでロイはそう呟く。顔が見たくてせっかく抜け出してきたのに、来た途端に帰れでは寂しすぎる。今すぐにハボックのところへ顔を出して帰れと言われようが、アーケードをうろうろした後で言われようが、ハボックの顔を見ていられる時間としては大差ないことには気づかぬふりで、ロイはアーケードの中をゆっくりと歩き出した。


「え?大佐が来てる?」
「はい、さっきアーケードの中を歩いているのを見かけたってアダムスが」
 そう言う部下の話を聞いてハボックはため息をつく。手にしていたスコップを部下に渡すと首にかけていたタオルで汗を拭った。
「仕方ねぇなぁ。きっと書類仕事が嫌になってフケてきたんだ。ちょっと探して捕まえてくるわ」
「ご苦労様です」
 言って苦笑する部下にハボックも笑い返してアーケードへ向かう。広場から離れた場所にあった店舗は幸いにも被害を免れて営業を再開しており、普段より客足は鈍いもののそれなりに訪れる者があった。
「大佐もなぁ、あのサボり癖だけはなんとかならねぇかな」
 普段なら適当な頃合いを見計らってコーヒーなど差し入れて、それとなくガス抜きさせて執務室にいられるようにするのだが、今日は上手くいかなかったらしい。ハボックは煙草の煙を吐き出しながら黒髪の上司の姿を思い浮かべた。
(いい上司だよな。いつだってまずオレ達の意見を聞いてくれる。聞いた上でそれでいいと思えばオレ達の好きにさせてくれて……おかげでオレもブレダももの凄く隊の連中を動かしやすい)
 勿論ハボック達の提案よりよいものがあると思えば反対するし、反対する時も頭ごなしでなくきちんとした説明をする。だからハボック達も納得してロイについていくことが出来るのだ。
(でも、時々何考えてるのか判んないっていうか……)
 ちゃんと部下の言い分も聞いてくれるし権力を笠に着て無理を言うこともない。度量の大きい、懐の深い人なのだろう。だが、ロイ自身の本音というのはどこにあるのだろう。
(あんま聞いたことねぇな)
 単なる上司と部下の間柄、プライベートでの付き合いがあるわけでもない。当然と言えば当然なのだが、それでも時折ロイの黒い瞳に揺らぐ感情の意味を知りたくもなる。そんなことをつらつらと考えながら歩いていたハボックは、見慣れた黒髪が喫茶店のショーケースの中を覗いているのを見つけた。
「あんなところで」
 そう言えば甘いもの好きだったなと、ロイの事で知っている数少ない事を思い出してハボックは笑みを浮かべる。そうっと背後から近寄るとロイの耳元に囁いた。
「涎垂れてますよ?マスタング大佐」
「ッッ?!」
 その途端ロイがビクッと跳ね上がって耳を押さえる。
「な……っ、ハボックっ?!」
 その過剰なまでの反応にハボックが目を丸くしていればロイが怒鳴った。
「何するんだッ!!」
「何って、別に何もしてねぇっスよ?」
 耳元でからかう言葉を囁いただけだ。キョトンとして見つめれば、ロイが手のひらでガシガシと耳をこするのを見て、ハボックは言った。
「もしかして耳、弱いんスか?大佐」
「普通耳元で囁かれればこうなるだろうッ?!」
 正直いきなり吹き込まれたハボックの低い声は、背筋を震わせ脳天を突き抜けて、ロイは腰砕けになってしまいそうだった。顔を赤らめて睨んでくるロイに、ハボックはクスリと笑って言った。
「ケーキでも食います?驚かせたお詫びに奢るっスよ」
「え?」
 言って喫茶店を指さすハボックにロイは目を丸くする。会えばきっとすぐに“帰れ”と言われるとばかり思っていたところへの、思いもしない言葉にポカンとするロイにハボックが言った。
「オレも疲れてちょっと甘いもんでも食いたいと思ってたところだし、大佐が嫌でないなら」
「嫌じゃないけど……怒らないのか?サボったって」
「それは後で中尉がしてくれると思うんで」
 そう言われてギクリとするロイを促してハボックは喫茶店の扉を押す。中へ入ると奥のブースにロイと向かい合わせに座り、ハボックはメニューを持ってきたウェイトレスに言った。
「コーヒーと、アンタは?」
「チョ、チョコレートケーキとカフェオレ」
 ロイはちらりとメニューを見たものの、さっきショーケースにディスプレイが飾ってあったケーキを思い出して言う。頷いたウェイトレスが行ってしまって二人きりになると、ロイは急に緊張してきてしまった。正直顔を合わせた途端“帰れ”と言われるとばかり思っていたから、この展開にロイは面食らっていた。
「ええと、作業の方はどうだ?」
 それでもそんな心の動揺を必死に押し隠してロイは尋ねる。ハボックは新しい煙草に火をつけて答えた。
「漸く三分の一ってとこっスかねぇ。聞き込みの方も大した話は」
「そうか」
 ロイがそう答えた時、ウェイトレスがトレイを手に戻ってくる。ロイの前に置かれたチョコレートケーキを見てハボックが言った。
「甘そーッ、よくそんなの食う気になるっスね」
「そういうお前こそ疲れたから甘いものが欲しいとか言ってたくせにブラック?」
「入れたっスよ、砂糖」
 ハボックはそう言ってシュガーポットの砂糖を掬って見せる。スプーンの先にほんの少しだけ載った砂糖を見て、ロイが言った。
「そんなのは入れたうちに入らん。これくらい入れるもんだ」
 ロイはそう言ってハボックの手からスプーンを奪うとたっぷりと掬った砂糖をハボックのカップに入れてしまう。
「あーッ!!何するんスかッ!!」
「それくらい入れてやっと疲れがとれるんだ」
 言われて恐る恐るカップに口をつけたハボックは、口の中に広がる甘さに遠い目をする。
「こんなのコーヒーじゃねぇ……」
 ボソリと呟けばロイがおかしそうに笑った。
(へぇ、こんな顔、するんだ)
 深く考えもせず喫茶店に誘ってしまったが、意外な上司の顔を見られてよかったかもしれない。
(一緒にサボってたってばれたら中尉に怒られそうだけどな)
 見つけてすぐに追い返すつもりだったのがこんな風に向かい合わせで息抜きすることになって。
 ハボックは嬉しそうにチョコレートケーキを口に運ぶロイを見つめながら、思いがけない展開を楽しんでいたのだった。


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