果てなき恋のバラード  第四十五章


「大佐!お待たせしました」
 玄関で待っていれば車を回してきたハボックの声がする。ロイはステップを駆け降りると車の脇に立つハボックの側へ行った。
「ハボック」
「すんません、待たせちゃって。どうぞ」
 言ってハボックがあけてくれる扉から車の中に体を滑り込ませ、ロイはハボックを見上げた。
「ありがとう」
 ロイの言葉にハボックが笑みを浮かべる。もうそれだけで心臓がドキドキと高鳴って、ロイはシートに腰掛けた膝の上でギュッと握り締めた手を見つめた。
(どうしてこう、なにもかもにドキドキしてしまうんだろう……)
 バタンと運転席の扉が閉まる音にチラリと視線を上げる。短い金髪と男らしい太い首が見えて、ロイは慌てて視線を落とした。
(家まで送ってくれて……それからどうするんだろう)
 自分を家まで送り届けたらそのまますぐに帰ってしまうのだろうか。それとも少しは自分の為に時間を作ってくれるのだろうか。
(少しでもいいから……一緒にいたい)
 気持ちを通じ合わせる前は一緒にいるのが辛くて仕方なかった。ハボックへの想いを押し隠したまま側にいるのが辛くて、いっそ遠くへ離してしまった方が楽かもしれないとさえ思い、その一方でどんなに辛くても側にいたいと思った。そんな心の葛藤も今では遠い彼方となり、素直に一緒にいたいと思う。ロイはドキドキと高鳴る心臓を抱えて、幸せそうに小さく微笑んだ。


「着いたっスよ、大佐」
 家の前に乗り付けるとハボックはロイのために扉を開ける。車から降りたロイは、ハボックをじっと見上げた。
(寄っていってくれって言うんだ。コーヒーでも飲んでかないかって)
 そうは思うもののなかなか言葉が出てこない。気持ちばかり焦ってなにも言えないでいれば、突然ロイの腹の虫がグゥゥッと音を立てた。
「ッッ?!」
 その見事なまでの鳴き声にハボックがプッと吹き出す。
(なんでこのタイミングでッッ!!)
 時と場合を考えない己の腹の虫を内心罵って、ロイは顔を紅く染めた。ハボックは腹を押さえて俯くロイの黒髪をクシャリと掻き混ぜて言った。
「メシ食ってくりゃよかったっスね」
「ハボック……」
 上目遣いで見上げるロイにハボックが言う。
「車おいて、食いに行きましょうか」
 ね?と笑うハボックにロイは思わず声を張り上げた。
「だったらお前が作るパスタが食べたい!」
「え?」
「前に作ってくれた奴!カルボナーラが食べたい!」
 そう大声で言ってしまってからロイはハッとして俯く。耳まで真っ赤に染めて俯くロイをハボックはじっと見つめていたが、やがてクスリと笑って言った。
「判りました、じゃあひとっ走り行って材料買ってきますね。大佐は先にシャワーでも浴びててください」
「ハボック」
「覚えてて、リクエストしてくれて嬉しいっス」
 ハボックはそう言ってにっこり笑うとロイの唇にチュッと口づける。ポカンとするロイの背を押して家の中に押し込むと言った。
「ゆっくり温まって、疲れとってくださいね。でないとパスタ、食わせませんよ」
 それだけ言ってハボックは買い物に行ってしまう。一人遺されたロイは、ハボックがキスした唇をそっと押さえて立ち尽くしていたのだった。


 ポチャンとロイは湯船の湯を手で跳ね上げる。電灯の光を弾いてキラリと光る滴を見つめてため息をついた。
(なにもかも夢みたいだ)
 結局あの後、ハボックが帰ってくるまでロイは惚けたように玄関で立ち尽くしていた。戻ってきたハボックは玄関に立っている人影に一瞬ギョッとしたが、それがロイだと判るとその黒髪をペチンと叩いた。
『もうっ、ゆっくり温まって疲れとらないとパスタ食わせないって言ったっしょ!』
 ハボックはそう言うとロイを浴室へ連れていき湯船に湯を張る。今度こそちゃんと風呂に入るよう言いおいてハボックはキッチンへ向かい、ロイはふわふわとした足取りで風呂に入ったのだった。


 いい加減温まってロイは風呂から上がる。部屋着に着替えてダイニングへ向かえば入る前からいい匂いが廊下まで漂ってきていた。
「大佐」
 中に入ればハボックが振り向いてにっこりと笑う。ドキンと跳ね上がる心臓を必死に宥めながらロイは言った。
「ごめん、なにも手伝わなくて」
「気にしないでください。大佐をゆっくりさせてあげてっていうのは中尉のお達しでもあるんスから」
 座ってて、というハボックの言葉にロイはダイニングの椅子に腰を下ろす。パタパタと忙しげにキッチンとダイニングを往復して準備するハボックを目で追いながらロイは考えた。
(中尉が言わなかったら……すぐ帰ってしまったんだろうか)
 ふとそんな考えが浮かんで悲しくなる。ハボックの姿から視線を逸らして俯いていたロイは、不意に顎を掴んだ手に顔を上げさせられて目を見開いた。
「どうしたんスか?どっか具合でも?」
 正面から覗き込むようにして尋ねられてロイは慌てて視線を逸らす。その途端「大佐」と呼ばれて、ロイはため息をついて目を閉じた。
「お前がここにいるのは中尉に言われたからなのかと思ったから」
ホ ークアイが言わなければ送り届けてすぐに帰ってしまったのかと思えば切ない。キュッと唇を噛んでそんな事を言うロイにハボックは一瞬瞠った目を顰めて言った。
「あのねぇ、そんなわけないっしょ」
 ハボックは言ってロイの頬を両手で摘んで引っ張る。痛みに目を開けるロイの頬から手を離し、顔を覗き込んで言った。
「中尉が今夜は大佐を早く帰してゆっくりさせるって言った時はすげぇ嬉しかったんスよ?だって、コミュニティから帰ってから全然ゆっくり話す暇もなくて……いっそコミュニティに戻りたいとまで思った位なんスから」
「……それは私も思った」
 あそこにいたときの方がよほど二人きりでいられた。あの時は辛かった二人きりの空間が今は欲しくて堪らなくて、時間を巻き戻したいとさえ思っていたのだ。
「ならオレの気持ち、判るっしょ?」
 ハボックは言ってロイの頬に手を添える。顔を間近に近づけて、ハボックは言った。
「ずっと二人きりになりたかった……」
「ハボック」
「好きっス、大佐……」
 そう囁いたハボックの空色が目の前いっぱいに広がって、ロイは慌ててギュッと目を閉じる。その途端、唇に重なった柔らかい感触に思わず身を引こうとしたロイは、逆に強い腕に抱き込まれてハボックの胸に引き寄せられた。
「ん…っ、んんッ」
 唇が深く合わさりハボックの煙草の香りが強くなる。苦いくせに甘いその香りに無意識に唇を開けば、すぐさまハボックの舌がロイの口内に入り込んできた。
「ッ?!ぅんッ、ふ……ぁ」
 熱い舌先がロイの口内を蹂躙し、逃げる舌を絡め取る。キュッときつく舌を絡め取られて、ロイは甘く鼻を鳴らした。
「たいさ……」
 ロイの口内に吹き込むようにしてハボックが囁く。今ではハボックの大きな手のひらが抱き込んだロイの躯を愛おしむように這い回っていた。
「ハボ……ック」
 熱い手のひらの感触にロイは震えながらハボックの背に縋りつく。シャツをギュッと握り締めて、ロイはいやいやと首を振った。
「欲しい……ッ、たいさ……」
 緩く打ち振られる黒髪に手を差し入れて、抱え込むようにしてハボックはロイの耳元に囁く。桜色に染まった耳朶をカリと噛めばロイの躯が大きく震えた。
「欲しい……ちょうだい、大佐」
 言葉と同時にロイの耳の中へ舌を差し入れる。ピチャピチャとダイレクトに耳の中へ響くイヤラシイ音にロイはシャツを握る手に力を込めた。
「や……ッ、ハボック……ッ」
 ゾクゾクと背筋が震えてロイは思わずそう口にする。そうすればハボックがロイの顔を覗き込むようにして言った。
「オレにこうされるのは嫌っスか?」
 ほんの少し傷ついたような声音にロイはハッとしてハボックを見る。じっと見つめてくる空色にロイはこみ上げてくる恥ずかしさを隠すように言った。
「でっ、でもっ、せっかくパスタ作って貰ってるしッ!」
「パスタなんかよりオレはアンタを食いたいっス」
「ッッ!!」
 あからさまな言葉にロイは目を見開いてハボックを見る。ハボックはまん丸に見開かれた黒曜石を真っ直ぐに見つめて言った。
「アンタはオレを欲しくねぇの?」
 自分への情愛と欲望をたたえた瞳で見つめられればそれ以上拒む術もなく。
「……欲しい」
 そう口にした次の瞬間、ロイは噛みつくように口づけられていた。


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