果てなき恋のバラード  第三十四章


「お帰りなさい、隊長」
 ガチャリと扉が開く音がして人が入ってくる気配がする。ヤンの言葉でハボックが帰ってきたと判っても、ロイは窓の側から動かなかった。
「どうでしたか?何か役に立つ事判りましたか?」
 ヤンはそう言いながら立ち上がり、ハボックとキムの為に冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを持ってくる。差し出されたそれを受け取って、ドサリと椅子に腰を下ろしながらハボックは答えた。
「いんや、あそこはろくでもないところだから行かない方がいい、ってのばっかり」
「コミュニティの住民がそう言うんですか?」
「どうも犯罪者の隠れ家みたいなんだよ」
 ハボックはミネラルウォーターをゴクリと飲む。窓辺から動かずこちらに背を向けたままのロイに視線をやると言った。
「そんなところっスからオレ達だけで行ってこようかと思うんスけど、ローラ」
「ッ?!」
 ハボックの言葉にそれまで頑なに背を向け続けていたロイが弾かれたように振り向く。そのままの勢いで立ち上がったロイはハボックを睨みつけて言った。
「勝手に決めるな、私も行く」
「……まあ、そう言うと思ってたっスけどね」
 ハボックはため息混じりに答える。ミネラルウォーターのボトルをテーブルに置いて立ち上がるとロイの側に近づいた。
「大丈夫っスか?」
 その言葉の中にさっき不覚にも涙を零してしまった己への気遣いを感じてロイはサッと頬を染める。
「大丈夫に決まってるだろう」
 挑むように言葉を返せばハボックが優しく目を細めた。
「オレ達から離れない様にして下さい。発火布はないし、なにがあるか判らないところっスから」
 言ってぱふぱふと頭を叩いてくる大きな手をロイは思い切り払いのける。
「発火布なんてなくても平気だ」
 ロイは吐き捨てるように言うと窓辺に戻ってしまう。その背に一つため息をついて、ハボックはロイをそのままにキムとヤンに命じて明日の支度を整えた。
「明日の件、中尉にも連絡しときます。何か他に伝えといた方がいいこと、あります?」
 準備を終えてハボックはロイに声をかけたが相変わらずロイは背を向けたままだ。ハボックは肩を竦めて無線を開くとホークアイに明日の予定を手短に伝えた。
『判ったわ、少尉。明日で決着がつくといいけど。ところで大佐はどう?無茶してるんじゃなくて?』
 どうにも部下の前に飛び出したがる上司を気遣ってホークアイが言う。ハボックはチラリとロイを見て答えた。
「まあ、なんとかってとこっスかね」
『少尉、明日はくれぐれも』
「判ってます、大佐に無茶はさせません。チャンも取っ捕まえてそっちに帰りますよ」
『頼んだわ、少尉』
「アイ・マァム」
 ハボックは答えて無線を切る。ホークアイとの会話は聞こえているだろうに何も言わないロイの背を見つめて、ハボックは言った。
「今夜は明日に備えて早く休みましょう。メシは大佐の好きなもんにしましょうか」
「じゃあ俺がそこまで行って買ってきますよ」
 ハボックの言葉を受けてヤンが言う。バタバタと出入りする音を背後に聞きながら、ロイは窓ガラスに額を押しつけて目を閉じた。


 ハボックの言うとおり夕飯を早めに済ませ、早々にそれぞれの部屋に引き上げる。ロイはもぞもぞとベッドに潜り込んで深いため息をついた。
「何をやってるんだ、私は」
 ここへはチャンを追ってきた筈なのにちっとも任務に集中出来ない。ここへ来てからの己の様を思い返して、ロイは情けなさに泣きたくなった。
「しっかりしろ、明日は絶対にチャンを捕らえてここから帰るんだ」
 これ以上好きな相手に醜態を晒す訳にはいかない。きちんと任務をやり遂げて、そうすればきっとハボックへの気持ちにもけりを付けることが出来るに違いない。
「ハボックに軽蔑されるような事だけはしたくない」
 ロイはそう心に決めると体を小さく丸めてそっと目を閉じた。


「なんだかなぁ……」
 ドサリとベッドに仰向けに寝ころんでハボックは呟く。組んだ両手を枕に薄暗い天井を見上げれば思い浮かぶのはやはりロイの泣き顔だった。
「ああもうッ、なんでこんなに気にしてんのッ、オレっ」
 ハボックはそう喚いてベッドの上でゴロンと反転する。俯せになって枕をギュッと掴むとウーと呻いた。
「大佐があんな顔するから」
 ハボックにとってのロイ・マスタングとはその線の細い容姿とは裏腹に先陣斬って敵の中に飛び込んでいく、何事にも動じず熱い中にも冷静沈着に行動出来る、信頼の出来る司令官だった。彼が涙する姿などハボックは考えたことがなかった。
「あんな風に泣くなんて」
 激情に駆られて泣き喚いたならむしろこんなに気にならなかったに違いない。あの時のロイの涙はハボックが全く想像すらしていなかったもので、それだけに受けたショックは相当なものだった。
「……くそう、どこのどいつだ、大佐にあんな顔させるなんて」
 何故だか無性に腹が立って仕方ない。ハボックはガバッとベッドの上に跳ね起きるとクシャクシャと頭をかき混ぜた。
「くそっ、この任務が終わったらそいつの事見つけだして一発ぶん殴ってやる」
 ハボックは物騒な目つきでそう呟くと、ブランケットに潜り込みそっと目を閉じた。


「おはようございます」
 翌朝、一緒に出かける為ハボックとロイの部屋の扉を叩いたヤンとキムは、どう見ても寝不足といった顔の上司達の様子に顔を見合わせた。
「ええと……大丈夫ですか?」
 思わずそう声をかけてしまってハボックにジロリと睨まれる。
「大丈夫ってどういう意味だ?」
「どういうって……」
 聞かれても流石に正直に言うわけにもいかない。困ったような笑みを浮かべるヤンとキムに、ハボックはフンと鼻を鳴らして言った。
「大丈夫に決まってんだろ。ねぇ、大佐」
「ああ」
「くだらない事言ってねぇで行くぞ」
 互いの事を考えてなかなか寝付けなかった事など気づかないまま、ハボックとロイはアパートを後にした。


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