果てなき恋のバラード  第三十二章


「ど、どうしよう……」
 もの凄い勢いで走っていた足を漸く緩めて賑わう通りをヨロヨロと歩きながらロイは呟く。
『……大佐、もしかして本当に結婚したいとか思ってます?』
 唐突にそんなことを聞かれて仰天してしまった。『オレと結婚したいのか』という意味かと一瞬誤解し、すぐさまそうではないと判ったものの否定も肯定も出来ないでいるうちに次の質問を浴びせられ。
『誰か好きな相手とかいるのかなって』
「……反則だ、あんなの」
 好きな相手にそんな風に聞かれたらどう答えていいのか判らなくなって当然だろう。否定はしたものの真っ赤な顔での否定など、かえって肯定しているととられたに違いない。
「…………でも」
 己に好きな相手がいるのだろうと思いはしても、それが当のハボックだとは思っていないだろう。
「結局なにも変わらないんだ」
 自分に好きな相手がいると知られたところで、その相手に伝わらなければ何の意味もない。ロイは一つため息をつくとトボトボと通りを歩いて行った。


「まったくもう、どこ行っちゃったんだよ」
 ハボックはキョロキョロと辺りを見回して歩きながら呟く。絶対に目を離してはいけない相手を見失ってしまったことで、ハボックは徐々に焦りを感じ始めていた。
「これで大佐に何かあったら」
 そう思っただけで背筋を冷たいものが流れる。ロイとて軍人として鍛えているのだからその辺のチンピラに遅れをとるとは思えない。それでも万が一を考えれば、自分が守れる位置にロイがいないのが、不安でたまらなかった。
「前科があるからな……」
 と、ハボックは以前、ここに来てからロイが絡まれたことを思い出す。あの時は大事にいたらなかったが、カイのような腕の立つ相手がここにはいると判った今ではロイを一人にしておくわけにはいかなかった。
「大佐、どこに……」
 ロイが目立つのは確かだったが、黒髪ばかりのこの街で探すのは骨が折れる。それでも行き交う人を突き飛ばすようにして走り回った甲斐あって、ハボックは通りの向こうにロイの姿を見つけた。
「いた……ッ」
 しょんぼりと俯き加減に歩くロイの姿にはいつもの覇気が感じられない。ハボックは目の前を横切る荷馬車の荷台に手をついて飛び越えると、ロイの近くに駆け寄った。
「た……ローラ!」
 ついうっかりいつものように呼びかけそうなった名前を飲み込んで、ハボックはロイの事を呼ぶ。そうすればハッと顔を上げたロイがハボックの姿を認めて顔を歪めた。
「……ローラ」
 プイと顔を背けるロイの腕をハボックが掴む。グイと引き寄せて自分の方を向かせても、相変わらず顔だけは背けたままのロイに言った。
「一人で行っちゃわないでください。心配したっしょ?」
「心配?別にお前に心配なんてして貰う必要ない」
「…ッ?なに言ってんスか、アンタ」
 思わずムッとするハボックの手をロイは思い切り振り払う。
「お前なんて……お前なんてッ」
 嫌いになれたらいいのに。
 そう思った瞬間ロイの瞳からポロリと涙が一粒零れ落ちる。
「ッ?!たいさっ?」
 あまりの驚きに思わずそう口走ってしまって、ハボックは慌てて口を押さえると聞かれなかったかと辺りをキョロキョロと見回した。その間にロイがスタスタと歩きだして、ハボックは慌てて追いかける。
「ローラ!」
「煩いっ、ついてくるなッ!」
「……そういうわけにいかんでしょ」
 殆ど走っているような勢いで二人は通りを歩いてアパートにたどり着いた。二人に割り当てられた部屋の前までくるとロイがポケットの中から鍵を取り出し開けた扉から中へと入る。
「ちょっと、ローラ!」
 急いで後を追うハボックの目の前でロイは寝室に飛び込むとバンッと勢いよく扉を閉めた。
「ちょ……ッ」
 ガチッと鍵がかかる音がした扉にハボックは手のひらを当てる。
「たいさ?大佐ってば!」
バンバンと扉を叩いても返事がないと判るとハボックは一つため息をついた。
「なんなんだよ、一体……」
 ハボックは緩く頭を振ると、仕方なしにその場を離れた。


 寝室に入って鍵をかけるとロイはそのままベッドに潜り込む。暫くの間バンバンと扉を叩く音が聞こえたが、放っておけば諦めたのかハボックの声が聞こえなくなった。
「もう嫌だ……」
 嫌いになれたらどれだけ楽になれるだろう。そう思いはしても自分の中からこの想いが消えることがないのは自分が一番よく知っている。
「ハボック……」
 ロイは愛しい相手の名を呟いてシーツをギュッと握り締めた。


「全くなぁ……」
 幾ら扉を叩いてもロイの答えは返ってこず、仕方なしにハボックはその場を離れてソファーに座り込む。ヤン達に今日の出来事と明日の話をしなければいけないのは判っていたが、今はとてもそんな気になれなかった。
「……好きな人、いるんだ」
 ロイとのやり取りを思い出してハボックはそう呟く。真っ赤になって否定するその態度がかえって好きな相手がいるとはっきり告げていて、ハボックは首を傾げた。
「誰だろう……」
 自分の周りにあのロイがそれほど好きになるような相手がいただろうか。
「中尉、とか」
 一番身近な女性と言えばホークアイだがそれは違う気がする。それ以外の相手を思い浮かべてみようとしてもあのロイがそれほど好きになるような相手は浮かんでこなかった。
「そういや前にブレダがなんか言ってたな……」
 不意に以前のブレダとのやりとりが思い浮かんでハボックはそう呟く。すこしだけ側にいる人の事に気を配ってくれ、確かそんなことを言っていたような。
「それって、大佐と大佐の好きな人にって事か?」
 もしかしたらブレダはロイが好きな相手を知っているのかもしれない。
「誰だよ、一体」
 一度気にしだすと気になって仕方なくなってくる。
 ソファーに背を預けて腕を組んだハボックは、ロイの周りにいるのであろう誰かを思い浮かべようと首をひねっていたのだった。


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