果てなき恋のバラード  第二十八章


「食事でもって……そんないきなり言われても」
 自分たちの返事も待たずに陳が出ていった扉を見つめてハボックが呟く。ロイはほんの一瞬考えたものの、苦虫を噛み潰したような顔をしているカイに向かって言った。
「連れの無礼をお詫びする。私たちを陳大人のところへ連れていって貰えますか?」
「ちょ…ッ、ローラ!」
 ロイの言葉にハボックがギョッとして言う。
「駄目っスよ!あんな訳の判らない誘いに乗っちゃ!」
「何だとッ!お前、叔父貴が何か下心があって誘ったとでも言うのかッ?!」
「違うってのかよッ!」
「な…ッ、貴様ッ!!」
 慌ててロイを押し留めようとするハボックの言い様にカイが食ってかかる。ギャアギャアと言い合いを始める二人を見て、ロイがハボックの頭を拳骨で殴った。
「いい加減にしろッ!お前が行きたくないというなら私一人で行く」
「…ッ?!冗談ッ!」
「そうだな、そんなむさ苦しい男連れよりアンタ一人の方がきっと叔父貴も喜ぶ」
 幾ら何でもロイ一人行かせる訳にはいかない。ニヤリと笑って言うカイを睨みつけて、ハボックはロイの肩を引き寄せた。
「オレも一緒でなければローラは行かせない」
「ハ……ジャ、ン」
 漸く言うべき名前を思い出したものの舌に乗せるには抵抗がある。それでも何とか言葉にしてハボックを見上げるロイを、じっと見つめてカイは言った。
「わかった。二人一緒に案内する。その代わり叔父貴に対して無礼を働いたら、その時は容赦しないからな」
「判っている、ありがとう」
 ハボックが何か言い返そうとするのを臑を蹴飛ばして黙らせると、ロイはにっこり笑って言う。それからカウンターの中から事の成り行きを見守っているシンに向かって言った。
「シン、迷惑をかけてすまなかった。本当ならこの馬鹿者に後片づけをさせるんだが、こんな事情だからとりあえずこれで勘弁してくれ」
 ロイはそう言って懐から財布を取り出す。カウンターの上にそのまま置くのを見て、シンが慌てて言った。
「待ってよ、ローラ!これは受け取れない」
「でも」
 ハボックが暴れたせいで店の中は大変な事になっている。割れた酒のボトルや食器だけでもそれなりの額になるだろうし、後片づけの間営業出来ない事を考えれば相応の弁償をしないわけにはいかなかった。
「大丈夫。コミュニティの中のトラブルは陳大人が収めてくださることになってる。この店の損害も大人がちゃんとしてくださるから」
 シンは言って財布をロイの方へ押し戻す。そう言われてしまえばロイはゴメンと謝ると仕方なく財布を取り上げた。
「話がついたなら行くぞ」
 カイはそう言って二人を促す。カイに続いて店を出ていこうとするロイにシンが声をかけた。
「ローラ」
 その声に立ち止まってロイが振り向く。シンはロイとハボックを交互に見つめて言った。
「陳大人は事実上このコミュニティの支配者だ。こっちに好意を抱いてくれている間は頼もしい味方だけど、敵に回したら大変な事になる。心してかからないと駄目ですよ」
「……ありがとう、よく覚えておく」
 思いがけないシンの言葉に一瞬目を見開いたものの、ロイはにっこりと笑って頷く。ハボックに促されてロイは今度こそ店を出ていった。


 店の外へ出ればカイがポケットに手を突っ込んで待っている。ハボックとロイが店から出てくるのを見て、カイは顎で行き先を指し示すようにして歩き出した。
「どこに行くんだ?」
 先に行くカイの背中にロイが尋ねる。カイは肩越しにチラリと振り返って答えた。
「この先に叔父貴の店がある。そこへ連れていく」
「……大丈夫なんスか?そんなとこに行っても」
 相手の意図が掴めず不安なままにハボックが囁く。そうすればカイがハボックをジロリと睨んで言った。
「聞こえてるぞ。言っておくがな、叔父貴は卑怯な真似はしない」
「どうだか」
「貴様ッ」
 ボソリと呟くハボックにカイが足を止めて振り返る。目を吊り上げてハボックを睨みつけるカイとハボックの間に入って、ロイが言った。
「すまない、礼儀を知らない奴で。後でよく言ってきかせておくから」
「ローラ!」
「いい加減にしないと本当に私一人で行くからな」
 不満げな声を上げるハボックをロイがジロリと睨む。その様子にカイはクスリと笑って言った。
「叔父貴は寛大だが礼儀には煩い。気をつけろよ」
「判った」
 ロイが頷くのを見て、カイが再び歩き始める。店に向かっていく道すがら、あちこちからカイに声がかかった。
「カイさん!お久しぶりです!」
「帰ったんなら今度うちの店に遊びに来て下さいよ、カイさん!」
「相談したいことがあるんですっ、後で伺っていいですかっ?」
 かけられた声の一つ一つに答えを返すカイを見て、ハボックがロイに囁く。
「結構人望があるみたいっスね」
「ああ。叔父の七光りだけではなさそうだな」
 叔父の威光を笠に着るだけの男であれば、たとえどう取り繕おうとも透けて見える。だが、酒場でのハボックとの一件といい、カイを見つめる人々の目といい、カイが相当の腕と度胸を備えていることが伺えた。
「シンが陳を敵に回すなと言っていたが、出来ればコイツも敵に回したくないものだな」
「……そうっスね」
 ロイの言葉に渋々ながらハボックも同意する。二人は前を行くカイについて歩きながら、その背をじっと見つめていた。


「ここだ」
 十分ほども歩いただろうか。カイが一軒の店の前で足を止める。数歩遅れて店の前についたハボックとロイは、示された店を見上げた。
「思ったより小さな店っスね」
 この街の支配者が経営する店なら余程大きなものかと思えば、意外とこじんまりとした造りにハボックが素直な感想を口にする。それを聞いたカイが二人を見て言った。
「料理人が味に責任持って出せる人数しか相手にしないからな。儲けることが目的じゃない、俺たちの祖国の味をきちんと伝えるのが目的なんだ」
「なるほど」
 カイの言葉にロイが感心したように頷く。カイは店の扉を開けて言った。
「さあ、叔父貴が待ってる」
 促されてロイはハボックを見上げる。黒曜石の瞳に頷くハボックに頷き返して、ロイは陳が待つ店の中へと入っていった。


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