果てなき恋のバラード  第二十七章


「あっ、いらっしゃい、ローラ!」
 ロイが店に入るなりシンがパッと顔を輝かせて声をかける。
「こんばんは、シン」
 にっこりと笑って答えるロイにだらしなく顔を弛めるシンの前にハボックがズイと顔を出した。
「オレもいるんだけど」
「うわっ!……ああ、いらっしゃい、ジャン」
 明らかにビビった様子のシンにハボックがフンと鼻を鳴らす。ロイとハボックがカウンターに並んで腰を下ろせば、周りの男達から羨望と不満のため息が聞こえた。
「なんであんなガラの悪いのがローラさんの婚約者なんだろうなぁ……」
 そんな声が近くのテーブルから聞こえてハボックがジロリと睨む。途端に小さく縮こまる客の男を見て、ロイが咎めるような視線をハボックに向けた。
「なんスか」
「別に」
 ムッとして言うハボックにロイは肩を竦めて答える。注文せずともシンが出してくれるカクテルのグラスに口を付けながらロイはそっとため息をついた。
 誘われるままに偶然この店に入ってからと言うもの、ロイとハボックは毎晩この店に来るようになっていた。ロイとしては不本意ながらもしているこんな格好をせめて少しでも生かして情報を集めたいと思っているのだが、それをよしとしないハボックが寄ってくる男達に凄みをきかせる為思うように行かない。それでも店にいれば何か聞こえてくることもあるかと足を運ぶ店の客達からは今のところ何も情報は得られなかった。
「いい加減その仏頂面なんとかならないのか?」
 ロイがグラスを口に付けたままハボックだけに聞こえる声で囁く。実際黒く染めた髪に黒いカラーコンタクトをつけたハボックはスツールに座ってグラスを傾けているだけでもの凄い威圧感で、ロイに話しかけたいと思っている男達を近づけないでいた。
「オレは元からこういう顔なんス」
 と、ハボックは豆を口に放り込みながら答える。だが、もしハボックがほんの少しでも笑って見せたら、とても魅力的な笑顔は今ハボックを怖がっている男達をも惹き付けるであろうことをロイはよく知っていた。
「いつもは過剰なくらいニコニコしてるくせに」
「はあ?オレがいつ?」
 小隊の部下達がハボックに心酔しているのがその為だけでないことは判っていても、常日頃ハボックが部下達にその笑顔を向ける度、胸がしくしくと痛む身としては思わずそんな言葉が口をついて出る。はあとため息をつくロイをムッとして睨んだハボックは、丁度開いた扉からがやがやと男達が入ってきたのに気づいた。
「カイさん!戻ってらしたんですか!」
 その中の一人に向かってシンが嬉しそうな声を上げる。カイと呼ばれた男はシンを見てニヤリと笑って言った。
「ああ、ついさっきな。一番にこの店にきてやったぞ、シン」
「ありがとうございます!カイさん、お元気そうでっ」
 本当に嬉しそうに言うシンに笑みを深めた男はゆっくりとカウンターの方へと近づいてくる。今では店の中の誰もがカイを嬉しそうに見上げ歓迎しているのが見て取れた。
「誰?」
 肩越しに振り向いて近づいてくる男を見つめながらロイが言う。それに答えてシンが言った。
「カイさんです。陳大人の甥御さんで大人の片腕としてコミュニティを取り仕切ってらっしゃるんです」
 シンがロイとハボックに聞こえる程度の声でそう言ったとき、すぐそばまで来たカイがロイを見下ろして言った。
「この店はいつからこんな美人がくるようになったんだ?」
 カイは言ってロイの頬に手を伸ばす。触れてくる指先にロイが僅かに目を見開けばカイがにっこりと笑った。
「俺はカイ。アンタ、名前は?」
「私は」
 聞かれてロイが答えるより早く、伸びてきたハボックの手がカイの手首を掴む。グイと捻りあげてロイの頬からから離させるとドンと突き放してハボックが言った。
「お前に教えるような名前はねぇよ。気安く彼女に触んな」
「なんだ、お前!カイさんに失礼だろうっ」
 カイを睨みあげて言うハボックに一緒に店に入ってきた男達も客達も色めき立つ。カイは浮かべていた笑みをスッと消してハボックを見つめた。
「誰だ、お前。見かけない顔だな」
「お前に教えるような名前はないって言わなかったか?」
 言って睨んでくるハボックにカイは眉を寄せる。
「少し留守にしてる間に礼儀を知らん奴が潜り込んで来てるようだな。……おい」
「おう、俺達が礼儀というものを教えてやりますッ」
「初めて見たときから気に入らなかったんだ」
「カイさんに対する口のきき方、教えてやるぜ」
 カイの言葉に周りの男達が口々に言ってハボックを取り囲んだ。それに答えるようにゆらりと立ち上がるハボックを見上げてロイは慌ててハボックの袖を引く。
「おい、ハ……ちょっと落ち着けっ」
 咄嗟に呼びかける名が出てこないロイをハボックはチラリと見た。ハアとため息をついて、袖を掴むロイの手をギュッと握った。
「いいからちょっと待ってて。アンタにちょっかい出す不届きものをぶん殴ってやるっスか、らッ」
 ハボックは言うなりカウンターの上に飛び乗る。ダンダンとカウンターの上を三歩走って取り囲む男達をかわすと、一気にカイに詰め寄った。
「カイさんっ」
「汚ねぇぞっ、お前ッ!」
 思いがけないハボックの行動に度肝を抜かれた男達が叫ぶ。だが、カイだけはニヤリと笑うとスッと身構えた。
「いい度胸だ」
 カイは言って次の瞬間ハボックに向かって鋭い蹴りを繰り出す。腕を使ってそれを受け流したハボックは、走ってきた勢いのままカイに殴りかかった。
「ハッ!」
「チッ!」
 互いに相手の攻撃を紙一重のところでかわしては次の攻撃を繰り出す。狭い店内、テーブルの上の皿が弾き飛ばされ酒の瓶が落ちて砕ける音を聞いて、ロイは腰を浮かせて叫んだ。
「やめろっ!」
 だが、ハボックもカイもロイの声になど耳を貸さない。チッと舌を鳴らしたロイが、何とか止めようと男達をかき分けて二人に近づこうとした時。
「やめんかッ!!」
 ビリビリと響くような怒声が聞こえて流石のハボックとカイも動きを止める。カイはその怒声の主が店の入口に立っている男のものと気づくと、振りあげた拳を下ろして慌てて手のひらに拳を押し当てる独特な礼をした。
「叔父貴」
 男は店の中に入ってくるとカイの下げた頭を拳骨で思い切り殴る。「いてぇ」と情けない声を上げるカイを睨んで陳は言った。
「帰ってきて私のところへ挨拶にも来ずなにをしている、カイ」
「……すみません」
 さっきまでの勢いが嘘のようにカイは言って頭を下げる。それにフンと鼻を鳴らして、陳はハボックに向かって言った。
「私の甥が失礼なことをしたようだ、すまなかった」
「ああ、いや───」
「こちらこそ申し訳ありませんでしたっ」
 それに答えかけたハボックの頭を、後ろから飛んできたロイがガシッと掴んで押し下げる。一緒になって頭を下げるロイに陳はクスリと笑って言った。
「いや、どうせこの喧嘩っ早い馬鹿者が先に仕掛けたのだろう」
「叔父貴っ、俺は別に───」
「黙れ、カイ」
 低い声でピシリと遮られカイが口を噤む。陳はロイたちに向けて笑みを浮かべると言った。
「お詫びといってはなんだが一緒に食事でもどうかね?」
「え?」
 突然の申し出にロイとハボックは顔を見合わせる。
「カイ、案内してさしあげなさい」
 二人が断るなどと言うことはまるで念頭にないように陳は言うと、先に立ってさっさと店を出ていってしまった。


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