果てなき恋のバラード  第十五章


「あ、おはようございます、大佐。もう体調は大丈夫なんですか?」
「ああ、一晩眠ったら落ち着いたよ」
 司令室の扉を開けて中に入ればフュリーが声をかけてくる。ロイはそれに頷いて答えるとファイルを手に立ち上がったホークアイに視線を移した。
「おはようございます、大佐。元気になられたようで安心しました」
「おはよう、昨日はすまなかったな。急ぎの書類もあったのに」
「いいえ、その分今日にたっぷり残しておきましたから」
 にっこりと笑って容赦のない台詞を吐くホークアイにロイは顔をひきつらせる。それでも流石に文句の一つも言わずに執務室へと消えていった。
「うーす」
「ハボック少尉、おはようございます」
 執務室に入っていくロイとホークアイをなんとはなしに見送っていたフュリーは聞こえた声に振り向くと自席に腰を下ろすハボックに言う。どうやらロイと一緒に出勤してきたらしいことに気づいて、フュリーは尋ねた。
「大佐のところに寄ってきたんですか?少尉」
「んー?鍵返すの忘れてたからさ、どうせ持ってるんだし最初面倒みたんだから最後まで責任もってと思って」
 ハボックはそう答えて書類に手を伸ばす。書面を眺めながら頭に浮かんだのは黒髪の上司の姿だった。
(大きなお世話だったかな)
 声はしないし水音どころか物音もしないシャワールーム、もしかして中で倒れているのではと心配になって覗けば返ってきたのはロイの悲鳴だった。
(オレってそんなに飢えた顔してる?)
 ロイが女性だけでなく男にもモテる事は知っている。自宅のシャワールームで素っ裸なところに踏み込まれたら身の危険を感じてしまうのかもしれない。
(ちょっとショックかも)
 そんな邪な気持ちなど全くないだけにそう思われたのなら正直傷つく。その後簡単な朝食を用意した時も酷く警戒されていたようで、ロイのガチガチに固まった様子がそれを物語っているかのようだった。
(オレってもしかして信用されてないとか)
 彼の部下として常に最善を尽くしてきたし、多少の失敗はあっても概ね彼の期待に答えてこられたと思う。それでも尚信頼を勝ち得ていないのだとしたらそれは大問題だ。
(ブレダの前ではワタワタしてねぇって言ってたもんな。他の奴の前ではどうなんだろう)
 そう考えてハボックはフュリーを見つめる。澄んだ空色にじっと見つめられて、フュリーはちょっぴりどきどきしながらハボックを見返した。
「なんですか?少尉」
「あのさぁ、フュリーの前で大佐ってフツウ?」
「は?フツウ?」
 ハボックの質問の意味が判らずフュリーは眼鏡の奥の目を丸くする。そのキョトンとした様子にハボックは急に何だか馬鹿げた事を尋ねようとしているように思えて、慌てて手を顔の前で振った。
「ああ、いいや。やっぱ今のナシ」
 ハボックはそう言って咥えていた煙草を灰皿に押しつけ新しいものに火をつける。
(気にし過ぎだな、きっと)
 寝起きで単に機嫌が悪かっただけかもしれない。ハボックはそう結論づけると、今度こそ書類を真剣に見つめたのだった。


「こちらの書類が特に急ぎのものです。会議の前に目を通してサインお願いします。それから」
 執務室に入りロイが腰を下ろすなりホークアイが書類を差し出してくる。それに頷きながらロイの頭の中には今朝のハボックとのやりとりが浮かんでいた。
(また醜態を晒してしまった……)
 一晩たってシャワーを浴びて気持ちを切り替えいざ新しい一日に臨もうとすれば、先手を打つようなハボックの来訪にすっかり度肝を抜かれてしまった。それも好きな相手に素っ裸なところを見られてしまったら動揺するなという方が無理だろう。あの後もう一度シャワーを浴びたものの一度不規則になった鼓動はなかなか元に戻ってはくれず、結局昨日に劣らず挙動不審になってしまったのだった。
(わざわざ様子を見に寄ってくれたのに)
 例えたまたま鍵を返し忘れたからにせよ、気にかけて訪ねてくれたのは本当に嬉しかった。ただあまりにタイミングが悪すぎた。あのタイミングでさえなければきっと笑って「ありがとう、もう大丈夫だ」と言えただろうに。
(朝食まで用意して貰ったのに……)
 ベーコンエッグと生野菜のサラダ、買ってきたばかりの焼きたてのパンにコーヒーという簡単なものではあったが、ハボックが用意してくれたと思えばそれだけで味が違う。とっても美味しくて、感謝の気持ちと共にそう伝えたかったのに口から出てきたのはもごもごとした訳の判らない言葉ばかりで、怪訝な顔で聞き返されれば頭に血が上って余計に口が回らなくなる悪循環。食事も終わりを告げる頃にはまともに顔を上げてハボックを見ることも出来なくなっていた。
(どうしてこうなんだろう……)
 ハボックを前にすると以前に比べてなんだかどんどんまともな振る舞いが出来なくなっている気がする。
(きっと変に思われてる)
 そう思えばたまらなく悲しくなってロイがため息をついた時。
「きいてらっしゃいますか?大佐」
 冷ややかな声が頭上から降ってきてロイはハッとして顔を上げる。そうすれば書類を手に見下ろしてくるホークアイの鳶色の瞳と目が合って、ロイは慌てて言った。
「勿論聞いているとも、中尉!」
 妙に力を込めて言って「ははは」と笑えばホークアイが眉を顰める。それでもそれ以上は何も言わず、ホークアイは一呼吸おいて言った。
「それならよろしいのですけれど」
 ホークアイは書類の山に手を置いて続ける。
「今日は何があってもお休み頂くわけにはまいりませんから」
「判っているよ、中尉」
 顔は笑顔を浮かべながらも目には笑みのかけらすらないホークアイに、ロイはコクコクと頷くしかなかった。


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