果てなき恋のバラード  第十一章


「う…わ…っ、ごめんッ」
 不意に腕を引かれてハボックの厚い胸に飛び込んでしまったロイは、顔を真っ赤にして腕を突っぱねる。慌てて離そうとした体を逆に抱え込まれてロイは目を見開いた。
「ちょっと引っ張っただけでふらつくなんて、よっぽど調子悪いんじゃないっスか?まったくもう」
 なんで早く言わないんだとブツブツと言ったと思うとハボックはヒョイとロイを抱え上げる。突然横抱きに抱き上げられてロイはピキーンと固まってしまった。
「医務室まで運びますから」
 そう頭上から声が降ってきてロイはハッとする。今の自分の状況に気づいて、ロイは顔を茹で蛸のようにして怒鳴った。
「い、い、い、いいッッ!!じ、じぶっ、自分でアルケルッ!!」
 ひっくり返った声でそう怒鳴るとロイはハボックの腕から飛び降りようとする。だが、そんなロイをハボックは簡単に腕の中に封じ込めてしまった。
「いいから、じっとしててください、大佐」
「そっちこそいいからッ!大した熱じゃないしッ」
 ロイはそう怒鳴ってなんとか腕から逃れようとする。そうすればハボックはズイとロイに顔を近づけて言った。
「大人しくしないとキスするっスよ?」
「ッッッ!!!」
 言われた途端再びロイはピキーンと固まってしまう。それを幸いとロイを抱えてハボックが執務室を出れば、書類を書いていたブレダが驚いて顔を上げた。
「おい、どうしたんだよ、ハボ」
「んー、なんか熱あるんだよ。医務室行ってくるから」
「わ、確かに顔が赤いですね、大丈夫ですかっ?」
 ハボックの腕の中のロイを見てフュリーも心配そうに声を上げる。それに心配するなと手を振ってハボックは司令室を出た。ロイを抱えて歩くハボックをすれ違う軍人達が驚いたように見る。その視線を感じればロイはもうどうしていいか判らず、ただガチガチに固まったままハボックの腕に体を預けているしかなかった。
「失礼しまーすっ」
 ロイを抱いたまま器用に医務室の扉を開けてハボックは声をかける。だがいつもならいるはずの軍医は席を外しているのか見当たらず、ハボックは困ったようにロイを抱えたまま首を傾げた。
「いないっスね、先生」
「お、下ろせっ、もうっ」
 漸く医務室についたにもかかわらず未だにその逞しい腕から下ろして貰えずにいるロイが喚く。「あ」と気づいたハボックがロイの足先を床に下ろす前に、ロイは飛び降りるようにしてハボックの腕から逃げ出した。だが。
「あ…っ」
 ふらりと目眩がしてロイはバランスを崩す。そうすれば伸びてきた腕がロイをがっちりと支えて言った。
「ああ、ほら。無理しないの」
 ハボックは言ってロイをベッドに腰掛けさせる。ホッと息を吐くロイの足下に跪いたハボックは、ロイの軍靴に手を伸ばした。
「え…?あっ?!」
 ハボックが靴を脱がそうとしているのだと気づいてロイは慌てて足を引っ込めようとする。だが、一瞬早く大きな手がロイの足を掴んだと思うと、ハボックがロイを見上げて言った。
「アンタ、病人なんだから大人しくされるままになっときゃいいんスよ」
「なっ、なに言って……ッ」
「はい、靴、脱いじゃいましょうね」
 ハボックは言って抱え込んだ足から軍靴を脱がしてしまう。ロイの細い足首をまとめて掴むと、ヒョイと持ち上げるようにしてベッドの上に載せた。
「あ、上着」
「ジブンでヌグっっ!!」
 伸びてくる手を身を捩ってよけるとロイは軍服の襟元を掴む。ちょうどその時、医務室の扉が開いて軍医が戻ってきた。
「おや、病人かい?」
「あ、先生」
 声に振り向いたハボックの手が離れ、ロイはホッと息を吐く。へなへなと体の力を抜けば軍医が目を丸くしてロイを見た。
「マスタング大佐?どうなさったんです?」
「熱があるんスよ。風邪かもしれないっス」
 ロイの代わりにハボックが答えれば軍医は頷いてロイの側へ椅子を寄せて座る。服を寛げるように言われたロイは上着を脱いだところで、ハボックが自分を見つめていることに気づいて顔を赤らめた。
「いつまでそこにいるんだッ」
「え?いやだってどうせ家まで送っていかなかきゃっしょ?」
 だから、と言うハボックに軍医が言った。
「そっちで待っててくれ、少尉。君みたいな大きいのに覗き込まれてたらやりにくいよ」
 苦笑した軍医に言われてハボックは肩を竦めてベッドから離れる。ハボックが戸棚の中の薬のラベルを眺めているのを見てロイが内心安堵のため息を零せば、症状を聞いてくる軍医にロイは慌てて答えた。
「少々疲れてるのかもしれませんね、夏バテ気味のようだからしっかり栄養とって休めばすぐよくなりますよ」
 熱だけで特に風邪の症状はないからと軍医はロイを診察して言う。今日は家に帰って休んだ方がいいと言う軍医にロイが困ったような顔をすれば、棚を眺めていたハボックが振り向いて言った。
「中尉にはオレから言うっスから。無理するよりその方が結果的にはいいっスよね、先生」
「そうだね、そう思うよ」
 軍医の言葉を聞いてハボックはにっこりと笑う。
「じゃあちょっと話してくるっスから、ここで待っててください」
 そう言って医務室からハボックが出ていけば大きなため息を吐き出すロイを、軍医は不思議そうに眺めたのだった。

「そう。そう言うことなら仕方ないわね。今日はゆっくり休んで貰ってちょうだい」
「アイ・マァム。オレ、大佐の面倒見てから戻りますんで」
 言って許可を求めるように見つめてくる空色にホークアイが仕方ないわねと頷く。それに敬礼を返してハボックは司令室を後にした。ロイが待つ医務室に向かって廊下を歩きながら、ハボックはさっきのロイの様子を思い出す。
(ほんっと大佐って隣の猫みてぇ)
 以前、枝から滑り落ちたその先が運悪く水の溜まったバケツで、着地したつもりがドボンと水に落ちてしまった黒猫を助けてやったことがあった。全身ぐっしょりと塗れそぼった黒猫が、やはりさっきのロイのように完全に固まっていたのを思い出して、ハボックはクスクスと笑った。
(可愛かったよな、あん時の猫。ちょっと猫飼ってみたいって思ったもんな)
 不規則な仕事を考えればとても家で猫を飼う余裕などない事はよく判っている。
(本物の猫は飼えないけど、大佐が似たようなもんだからいいか)
 そんな不謹慎な事を考えながらハボックは楽しげな様子でロイが待つ医務室へ廊下を歩いていったのだった。


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