傍迷惑な恋  第六章


「たいさっ?あの、僕の言うこと聞いてます?」
 ふらふらと執務室から出ていくロイの背中に向かってフュリーが言う。だが、聞こえているのかいないのか、ロイは振り向きもせずに執務室の扉を出て、そのまま司令室からも出て行ってしまった。
「僕、なにか拙いこと言っちゃったかな……」
 呆然としていたロイの顔を思い出してフュリーは呟く。
「でもっ、ちゃんと僕の勘違いだって言ったし!」
 まさか誤解なんてしないよね、と自分に言い聞かせるように呟いて、フュリーは不安を吹き飛ばすように「ははは」と笑ったのだった。


 司令室から出てきたロイはふらふらと廊下を歩いていく。流石に今度は女性職員とすれ違っても、表情を取り繕う余裕はなかった。
『大佐の部下でいるのが嫌だとか何だとか』
 そう言ったフュリーの声が頭の中に木霊する。そうすれば涙が溢れそうになって、ロイは慌てて近くの会議室に飛び込んだ。扉も閉めずに薄暗い会議室の中ほどまで入ると足を止める。誰かが置き忘れた書類を拾い上げてそこに並ぶ文字をぼんやりと見つめた。
『大佐っ、この書類急ぎだって言ったじゃないっスか!』
 不意にハボックの声が蘇ってロイはビクリと体を震わせる。つい先日、執務室に入ってきたハボックが、書類の山から引っ張りだした書類をロイの前にバンッと置きながら言う姿が目の前に浮かんだ。
『忘れてたんだから仕方ないだろう、ってね、怒られるの、オレなんスからね』
 がっくりと肩を落としたハボックに自分はなんて答えたのだったろう。あの後、きっとハボックは書類を受け取ってもらうのに随分と嫌みを言われたに違いないのだ。
「しかもあれが初めてじゃなかったし」
 そうやって締め切りの過ぎた書類をハボックに押しつけた事は一度や二度ではない。
『……ホントしょうがないんだから。次回はちゃんとやってくださいよ?』
 呆れたようにそう言った後、ハボックはいつも苦笑混じりにロイの頭をぽんぽんと叩いた。そうされるのが好きで、わざと書類を遅らせる事もあったのだ。
「きっと内心凄く怒ってたんだ」
 書類の事だけじゃない、仕事をさぼって昼寝をしたり、会食を抜け出したり。そのたび文句を言いながらも最後には笑うハボックが好きで、赦されていると勝手に思い込んで。
「部下でいるのが嫌になるほど怒ってたなんて……」
 しかも本人に直接ぶつけられるのではなく、フュリーから聞いたことが余計にショックだった。
「ハボック……っ」
 ロイは誰もいない会議室に立ち尽くしたまま、ボロボロと涙を零した。


「慰めてくれてありがとう、みんな」
 ハボックはそう言って笑うとゆっくりと立ち上がる。ハボックを元気づけようとその背や肩に手を回していた部下たちが名残惜しそうに手を離した。
「みんなのおかげで元気出た」
 本当はここに来たときから少しも気持ちは浮上していなかったが、ハボックはそう言って部下たちを見回す。その泣きそうな笑顔に部下たちはグッと身を乗り出して言った。
「もし、隊長がマスタング大佐のところから離れて他に行くって言うんなら、俺たちついていきますからッ」
「そうですよっ、俺たちはどこまでも隊長と一緒ですッ!」
「ははは、サンキュ」
 涙ぐみながら口々に言う部下たちにハボックは答える。部下たちの激励を背に詰め所を出たハボックは角を一つ曲がったところでため息とともに肩を落とした。
「大佐のところから離れたら、か」
 ロイ以外の誰かの部下でいる自分なんて想像できない。もし、ロイが自分を手放すと言うなら。
「その時は軍をやめよう……」
 あんなに慕ってくれる部下たちには悪いが、例えハボック隊全員がついてきてくれたところで、ロイがいなければ意味がないのだ。百人、千人の部下ですらロイ一人の代わりにはなり得ない。
「一生懸命やってるだけじゃダメなのかなぁ……」
 いつだって自分に精一杯の事をやってきたし、少しでも自分をレベルアップ出来るよう、努力もし続けてきたつもりだ。それでもセントラルにいるヒューズの方を頼りにするというのなら、自分がそばにいる意味はなんなのだろう。好きになって貰えないまでも部下として必要とされたい。
「大佐……」
 ハボックは爪が刺さるほど拳を握り締めてロイの名を呼んだのだった。


「あれ?ロイ?」
 廊下を歩いていたヒューズは薄暗い会議室の中に立ち尽くす人影に気づいて立ち止まる。扉から顔を突っ込んでよく見れば、それは確かにロイだった。
「おい、いいのか?こんなところでサボってて。会議まだ終わってないんじゃねぇのか?」
 ヒューズはそう言いながらロイに近づいていく。
「ロイ?」
 何も答えないロイを訝しみながらヒューズはロイの肩に手をかけた。その肩が微かに震えていることに気づいてヒューズは、一瞬息を飲む。グイと肩を引いて振り向かせたロイの頬が涙に濡れているのを見て、ヒューズは目を見開いた。
「どうした、ロイ。何かあったのかっ?」
 こんな風に泣いているロイなどこれまでに見た事がなくて、ヒューズはロイの肩を掴んで問い質す。
「ロイ!」
 だが、何も答えないロイにヒューズは苛々して肩を揺すった。そうすればその反動のようにロイの瞳から更に涙が零れ落ちる。
「ハボックが……」
「え?」
「部署を替わりたいって……っ」
 ロイは絞り出すように言ってヒューズに縋りつく。ヒューズは信じられないと言うように目を見開いて言った。
「少尉が部署を替わりたいって?嘘だろう……?」
 ハボックがロイを好きなのは誰が見ても明らかだ。そのハボックがロイから離れたいと思っているなど俄には信じられなくて、ヒューズはロイの顔を覗き込むようにして言った。
「ロイ、お前それ直接本人から聞いたのか?」
「違うけど……」
「だったら何かの間違いだ。少尉がそんな事言うなんてあり得ねぇ」
 ヒューズはそう言って宥めるようにロイの腕を叩く。だが、ロイはそのヒューズの手を振り払って言った。
「でもっ、部署を替わりたいなんてそんな言葉、聞き間違えようがないじゃないかッ」
「ロイ」
「そんな事、ずっと思ってたなんて知らなかった……」
 ヒューズの襟元を掴んで、ロイは呻くように言うと顔を伏せる。
「なんかの間違いだって、な?ロイ」
 震える体をそっと抱き締めながら、ヒューズはそう言ってやることしか出来なかった。
「そうだ、こんなとこでウダウダしてないで、少尉に聞いてみりゃいいんだ。“お前、部署を替わりたいと思ってるってホントか?”って。きっと笑い飛ばされるぜ。な?」
 殊更なんでもないようにヒューズはロイに言う。だがロイはヒューズの襟元に顔を埋めたまま言った。
「聞いてもし本当に替わりたいんだって言われたら?」
「あり得ねぇって。だってアイツはお前のこと───」
「判りもしないのに勝手なこと言うなッ!私の気持ちなんて知りもしないくせにッ!!」
「あっ、ロイっ?!」
 何とか落ち着かせようとしたヒューズの言葉を最後まで聞かずにロイは大声を上げる。ヒューズを突き飛ばすようにして身を離すと、会議室から走り去ってしまった。


「こんなことしてサボってたらますますいらないって言われちまう」
 ハボックはそう呟きながら司令室へと急ぐ。悩みの種も不安の種も蒔いても蒔いてもつきないほどあったけれど、考えたところでその解決策が浮かばないのなら仕方がない。今は自分に出来ることだけをしようと、半ば駆けるように廊下を歩いていたハボックは、扉が半分開いたままになっている会議室の中に見えた人影に足を止めた。
「中佐?……と、大…さ?」
 こちらに背を向けて立っているのはヒューズだ。そしてそのヒューズが抱き締めている相手がロイだと気づいて、ハボックは目を瞠った。ヒューズの腕の中でロイは泣いているようだ。一生懸命言い聞かせるようにロイに何かを言っていたヒューズだったが、不意にロイがヒューズの胸に埋めていた顔を上げて叫んだ。
「判りもしないのに勝手なこと言うなッ!私の気持ちなんて知りもしないくせにッ!!」
 そう怒鳴るなりロイはヒューズの腕を振り解く。咄嗟に扉の陰に隠れたハボックに気づかず、ロイは会議室から飛び出して走り去ってしまった。
「ロイ!待てよ、おい!」
 そのロイを追いかけてヒューズも会議室を飛び出していく。二人が走り去った後もハボックは凍り付いたように身動くことが出来なかった。


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