グラプスヴィズの誘惑  第六章


 司令部から離れたところまでくるとハボックは漸く足を緩める。ハアとあからさまに肩を落とすハボックを見上げて、ロイは言った。
「私とつきあうのは面倒か?」
「えっ?」
「もし私が女性だったら、あそこまで慌てなかっただろう?」
 そう言いながら見上げてくる黒曜石をハボックは僅かに目を見開いて見下ろす。じっと見つめていたハボックは視線を逸らすとボリボリと頭を掻いて言った。
「ドキドキしただけっスよ。だって、恥ずかしいっしょ?相手が大佐でも他の誰でも恥ずかしいっス、なんつうか、その……いちゃついてるの見られたら」
 困ったように眉を寄せて言うハボックの耳が赤く染まっている事に気づいてロイは目を瞠る。それからフッと笑って腕に絡めた手に力を込めた。
「私は見せつけたいがな。私が好きなのはこんな相手だって」
「大佐」
 ロイが言えばハボックが困ったようにロイを見る。ロイはそんなハボックに笑うと促すように腕を引いた。
「今はそんな事より飲みに行こう。行くぞ」
「あ、はい」
 ハボックは引っ張られるようにしてロイについて歩いていった。


「なんか……いいとこっスね、ここ」
 ロイに連れられるまま足を踏み入れたレストランで洒落た個室に通されて、ハボックはウェイターが引いてくれた椅子に腰掛けたものの申し訳なさそうに背を丸めた。
「そうだろう?お気に入りの店なんだ」
 ハボックの言葉を素直に受けてロイが言う。手慣れた様子でウェイターに注文するロイを見ながら、ハボックはこっそりとため息をついた。
(すっげぇ場違いな感じ……)
 ロイと違って自分はこの場の空気にふさわしくない気がする。ハボックはロイの白く整った横顔をじっと見つめる。
(なんでオレなんだろうなぁ、大佐なら幾らでも相手いるだろうに)
 そんな事を考えながらポヤンとロイを見つめていたハボックは。
「ハボック、おい、ハボック?」
「はっ、はいッ」
 何度も呼んでくる声に慌てて背筋を伸ばす。まるで授業中ぼんやりしていた生徒がいきなり指されたかのような慌てぶりに、ロイはプッと吹き出した。
「笑わなくてもいいっしょ」
 なんとなく極まり悪くてハボックは顔を赤らめる。「悪い悪い」と笑いながら詫びるロイをハボックは軽く睨んだものの丁度運ばれてきたワインに居住まいを正した。
「初めてのデートに」
 乾杯とグラスを掲げるロイにあわせて、ハボックも掲げたグラスに口を付けた。


「すんません、また奢って貰っちゃって」
「構わないさ、あの店を選んだのは私だ」
 割り勘でと思ったものの、どう考えてもゼロの数が普段飲みに行く場所より二つは多そうな請求書に、ハボックは奢ってやるというロイの言葉に甘えてしまった。
「えと……次回はオレが払えそうなところで」
 そう言ってしまってから、ハボックはまたこうやってロイと出かけることを了承する言葉だなと思う。案の定笑みを浮かべて腕を絡めてくるロイに、ハボックは顔を赤らめながらも逆らわずに歩きだした。
「送ります」
「ああ」
 まるで恋人同士のようだと思ったハボックは、試しにとはいえつきあっているのだから恋人同士というのだろうかと思う。そんな事を考えながら歩いていたハボックは、ポツンと鼻先に当たった滴に空を見上げた。
「雨?」
 そう言いながら見上げた空からパラパラと雨が降ってくる。瞬く間に勢いを増したそれに、ハボックは上着を脱いでロイの頭に被せた。
「ここからならオレのアパートの方が近い、走るっスよ!」
 ハボックはそう言ってロイの手を引いて走り出す。バシャバシャと雨の滴を跳ね上げて、二人は夜道をハボックのアパートへと走った。
「もうすぐっス!」
 角を曲がりながらハボックが言う。幾つか並ぶアパートの一つに向かって走ると、たどり着いた外階段をガンガンと音を立てて駆け上った。
「滑るから気をつけて!」
 ハボックはロイの手を引いて階段を上がると、三階の廊下に飛び込む。ハアハアと息を弾ませたハボックは、とりあえず雨をしのげる場所に着いたことでやれやれと顔を濡らす雨の滴をシャツの裾で拭いた。
「いやあ、参ったっスね。大丈夫でした?大……さ」
 言いながら苦笑してロイを見たハボックは、中途半端に笑みを浮かべたまま固まってしまう。ハボックの上着の陰から見上げるロイの頬には濡れた黒髪が張り付き、毛先から零れた滴が白い項をたどり襟の中へと消えていった。
「ハボック……?」
 そう呼んで見上げてくるロイの服は濡れそぼって、ロイの線の細さを強調している。ロイはブルリと体を震わせるとハボックの胸に体を寄せた。
「寒い」
「あっ、はっ、早く中にっ」
 ハボックは言ってポケットから鍵を出すと己の部屋の玄関を開ける。中に入ると短い廊下を抜けてダイニング兼リビングの灯りをつけた。
「今、風呂沸かしますから!」
 ハボックは言うと浴室に行き湯船に湯を張る。ワタワタと支度を済ませると寒そうに肩を竦めて立っているロイのところへ戻ってきた。
「どうぞ、入ってください。服、オレのじゃ大きいでしょうけど我慢してくださいね」
 ハボックはそう言いながらロイに着替えの服とタオルを差し出す。それを見つめたロイはハボックを見上げて言った。
「お前は?」
「オレは大佐の後に入るっスよ。どうぞ気にせず入って───」
「一緒に入ろう、ハボック」
 ハボックにしまいまで言わせずにロイが言う。その言葉の意味を考えて、次の瞬間ボッと顔を赤くしたハボックが言った。
「いや、うちの風呂狭いっスから一緒は無理っス!」
「別に構わんだろう?待ってたら風邪をひく」
「や、でも……ックションッッ!!」
「ほらみろ」
 断りの言葉を紡ぐ間に盛大なくしゃみをしたハボックを見てロイが顔を顰める。
「うだうだ言うな。狭いならお前の膝に座るから気にするな」
「冗談っしょッ?!」
 そう言えば艶然とした笑みを浮かべるロイに、ハボックは引きずられるようにして浴室に入っていったのだった。


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