グラプスヴィズの誘惑  第五章


 パタンと背後で閉まった扉にハボックはゴンッと後頭部を打ちつける。大きな音に驚いて顔を上げたフュリーは、ハボックが打ちつけた頭で扉に寄りかかったままボーッと突っ立っているのを見て首を傾げた。
「ハボック少尉?どうかしたんですか?」
 とりあえずそう声をかけてみるがハボックは身動き一つしない。赤らんだ顔でぼーっと宙を見つめている様は一種異様で、フュリーがそのまま放置しておいた方がいいのかと悩んでいるとガチャリと扉を開けてブレダが入ってきた。
「ああ?ハボ、お前なにやってんだよ」
 ブレダはジロジロとハボックを見て言う。だが、ハボックがなにも答えないと見ると、ツカツカと近づきハボックの頭を拳固で殴った。
「……いってぇ……、なにすんだよッ、ブレダ!」
「なにすんだじゃねぇよ。なにそんなところでボーッと突っ立ってんだ、邪魔だろうが」
 殴られた頭をさすりながら言ったハボックは、ブレダに聞かれてギクリとする。次の瞬間カーッと顔を赤らめたと思うとガリガリと頭を掻いた。
「いやあ、ちょっとさっ、出した書類の誤字脱字があまりに多くて呆然としちゃってッ」
「はあ?」
「さあっ、さっさと直して提出しなくっちゃ!」
 アハハとわざとらしく笑ったハボックはぎこちない足取りで自分の机まで歩いてくるとドサリと椅子に腰を下ろす。書類を広げて訂正を始めたと思うと、書いては修正液で消すを繰り返しているハボックをブレダは怪訝そうに眺めた。
「お前そんなに修正液塗ってたら───」
「ワーッ!修正液塗ったところがボコボコになった!」
「言わんこっちゃない……」
 ギャアギャアと騒ぐハボックにブレダがげんなりと言う。ハボックはひとしきり騒ぐと、今度はゴンッと机に額をぶつけて突っ伏した。
「えっ?……ハボック?」
 さっきからどう見ても様子が変なハボックをブレダはまじまじと見つめる。そうしてハボックの様子をちらちらと見ていたフュリーと目を合わせると、触らぬ神に祟りなしとばかりにそれぞれの仕事に没頭したのだった。


 有無を言わせず一人で話を進めてしまったロイは、呆然とするハボックを執務室から追い出してしまう。扉を閉めればゴンッと何かが扉に当たる音に一瞬目を見開いたものの、次の瞬間楽しそうにククッと笑った。
「上々だな」
 その気はないと言われたとして黙って引き下がる気は毛頭なかったが「よく判らない」というならこっちのものだ。
「そういう対象として考えたことがなかったというなら、これから考えさせてやるさ」
 少なくともハボックはロイにキスされても嫌悪感を感じている様子はなく、むしろドギマギしているだけのようだ。
「ふふ……なら今夜は早速デートだな」
 昨日よりもう少しいい店に誘ってムードを盛り上げてやろう。すぐにキス以上は無理でも意識させることが出来れば十分だ。
「これからが楽しみだ」
 ロイは楽しそうに呟くと席に戻り鼻歌交じりに書類の山を片づけていった。


「帰るぞ、ハボック」
 定時を三十分ほども過ぎた頃、執務室の扉を開けたロイは大部屋のハボックに向かって言う。ハッとして顔を上げたハボックは、ロイを見て困ったように首を傾げた。
「えっと、ちょっとまだ書類が……」
「見せてみろ」
 そう言うハボックにツカツカと近寄ると、ロイはハボックが書いていた書類を取り上げる。サッと目を通したロイはハボックが書き途中だったところからあっと言う間に書き足すと、ハボックの胸に書類を押しつけた。
「署名して提出しろ。玄関で待ってる」
「あっ、たいさっ」
 ロイはそう言うとハボックの返事も待たず司令室を出てしまう。扉を閉めて廊下に出たロイは、楽しげな笑みを浮かべて廊下を歩いていった。


「これ、お願いします」
 書類を事務官の女性に渡したハボックは、大部屋には戻らずそのまま玄関に向かう。司令部の入口、扉のところに立つロイが寒そうに肩を竦めているのを見て、ハボックは目を見開いた。
「あれ?コート……」
 いつも着ている筈のコートをロイが着ていない事に気づいて、ハボックはロイの元に駆け寄った。
「大佐っ、コートどうしたんスか?」
 お待たせしましたと言うのももどかしくそう尋ねればロイがハボックを見上げる。
「朝から車だったんでな、持って出るのを忘れた」
「じゃあすぐ車回して───」
「いい。車じゃ飲んだらまた邪魔になる」
「飲んだらって……」
「デートだ。つき合うって決めたろう?」
 ロイはそう言ってうっとりと笑うとハボックの腕に己のそれを絡める。司令部の玄関先で身を寄せてくるロイに、ハボックは慌てて腕を抜こうとした。
「大佐ッ、ちょっと!」
「寒いんだ。昨日だってこうやって歩いたじゃないか」
「だからって、ここ、司令部のど正面……ッ」
 そう言ってハボックが辺りに目をやれば、玄関を出入りする人たちがジロジロと二人を見ていく。ハボックはカアッと顔を赤らめると腕を絡めるロイを見た。
「とっ、とにかく行きましょうッ!」
 こんなところで衆目を集めるのはかなわない。ロイを引きずるようにして歩き出すハボックに、ロイは腕を掴む手に力を込めて楽しそうについていったのだった。


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