FLARE BLUE  第十九章


「可愛いっスね、このまま食っちまおうかな」
 クスクスと笑いながら囁く声がぼうっと霞んだロイの耳に聞こえる。濡れた舌先が柔らかい耳朶を擽ったと思うと耳の付け根をきつく吸われて、ロイは喉を仰け反らせた。
「ア……ッ」
「ふふ、こっちも?……痕、見えちゃうっスよ?」
 面白がるような声がそう言って、仰け反るロイの白い喉を濡れた舌先がなぞる。ねっとりと舌がなぞるそこから沸き上がる感触にゾクリと背筋が震えて、ハッとしたロイは間近に迫る男の息遣いに思わず男の体を突き飛ばした。
「うわわ……ッッ」
 男の体を突き飛ばしたつもりが自分がバランスを崩して落ちそうになり、ロイは慌てて手を伸ばして突き飛ばした当の相手にしがみつく。とりあえず落ちずに済んで、ホッと息を吐くロイの頭上からクスクスと笑う声が聞こえた。
「離れたいの?離れたくないの?どっち?」
「ッ?!」
 その声に視線を上げれば、ハボックが面白そうに見ているのと目が合う。ハボックの顔を見、それから自分を見下ろして、ロイは自分がハボックの膝の上に座っていることに気付いて飛び上がった。
「う、わ……な、なんでっ?!」
 一体どうしてハボックの膝の上に座っているのか、ロイには全く記憶がない。慌ててスツールに移ろうとすれば、ハボックの腕がロイを囲った。
「いいんスか?下りちゃって」
 そう尋ねられてロイは目を見開いてハボックを見る。漸く自分が何をしていたか思い出して、ロイはキッと目を吊り上げた。
「キスしたぞッ!どうだッ!」
「どうだ、ってねぇ……キスしたんじゃなくて、キスされたって感じじゃないんスか?」
「う、煩いなっ!満足したのかしないのか、どっちだッ?!」
 確かにハボックが言うとおり途中からはハボックの成すがままキスされていたような気がする。それでもキスしたことには変わりはないはずと、ロイはハボックに結論を迫った。
「まあ……悪くはなかったっスよ?」
「なんだ、それはッ」
 これでも女性とのキスでは相手をうっとり蕩けさせる事くらい出来るのだ。まるで大したことなさそうなハボックの口振りに挑むように睨めば、ハボックがクスリと笑った。
「そう、悪くなかった────どうだった?みんな?」
「え?」
 いきなり店の客を見渡して声を張り上げるハボックに、ポカンとしたロイは続けて聞こえてきた拍手にギョッとして店の中を見回した。
「よかったぜ!!」
「いやあ、いいもん見せて貰ったッ!!」
「キスだけなんてつまらんッ!!もっと見せろッ!!」
「色っぽかったぜ!美人のニイチャン!!」
「な……ッ?!」
 ヒューヒューと店中の客たちに騒ぎ立てられて、ロイの顔が真っ赤に染まる。首まで赤くなりながら、言葉を探して口をパクパクさせるロイにハボックが言った。
「よかったっスねぇ。みんな満足してくれたみたいっスよ?」
「貴様ッッ!!」
 ロイは怒鳴ってハボックの襟首を鷲掴む。自分はハボックと取引しただけで見せ物になるつもりはなかったと凄むロイに、ハボックはまるで動じた様子もなく言った。
「まあ、そう怒んないで。これでアンタがこの辺うろうろしててもみんな警戒しなくなるから」
「────なんだと?」
 唐突にそんな事を言われて、ロイは眉を寄せる。そうすればハボックはカウンターに手を伸ばしてグラスを引き寄せ、口元に運んだ。
「アンタみたいに毛色の違うのがうろついてるとみんな警戒して口も堅くなるしね。でもこれで動きやすくなるっしょ」
「お前……」
 言ってグラスの酒を呷る男をロイはまじまじと見つめる。ハボックは見つめてくる黒曜石に顔を寄せて言った。
「キス、よかったっスよ。アンタ、すっげぇ可愛いかったし」
「ッ!そっ、それでっ、協力するのかしないのかッ?!」
 間近に迫る空色にドギマギしつつも、当初の目的を思い出してロイはそう尋ねる。そうすればハボックが目を細めてにっこりと笑った。
「いいっスよ、協力しても。でも条件があるっス」
「条件?」
「オレは軍人じゃないしましてやアンタの部下でもない。あくまで協力者っス。軍のやり方押しつけられたり命令されたりするのは御免っス」
 そう言うハボックは笑っていながら何故か迫力を感じさせる。ロイは僅かに目を瞠ったが、ニヤリと笑って答えた。
「いいだろう。だがこれはあくまで軍の捜査への協力依頼だ。軍の不利益や軍の秩序を乱すような行動には注文をつけさせて貰う」
「OK」
 ハボックが頷くのを見て、ロイはひとまずホッと息を吐く。それと同時に自分がまだハボックの膝の上に行ることに気付いて、慌ててそこから下りた。今度は邪魔されなかった事に内心ホッとしながらロイは最初に座っていたスツールに腰を下ろす。そうすればバーテンがロイの前にグラスを置いた。
「とりあえず捜査協力の契約成立に乾杯しましょ」
 そう言う声にハボックを見ると、ハボックがグラスを手にロイを見ている。ロイはグラスを手に取ってハボックの方へ体を向けた。
「じゃ、カンパイ」
「……ああ」
 ニコッと笑って差し出されるグラスに己のそれを軽く当てて、ロイはクーッとグラスを呷った。


→ 第二十章
第十八章 ←