FLARE BLUE  第十五章


『依頼料とアンタのキス一つ。そしたら捜査に協力してもいいっス』
 目の前の男はそう言ってニッと笑った。
『どんなキスしたらいいか、判らねぇ?じゃあお手本、見せて上げるっスよ』
 そう言った男の唇がゆっくりと近づいてくる。逞しい腕が己の体を逃げられないよう囲い込み、煙草の香りが間近に感じられ、そして。
『こう、っスよ……』
 囁きと共にゆっくりと唇が押し当てられた。


「うわあッッ!!」
 大声で叫んだロイはブランケットを跳ね上げて飛び起きる。ハアハアと息を弾ませるロイの耳にジリジリと目覚ましが鳴っているのが聞こえてきた。
「…………」
 ロイは手を伸ばして目覚ましを引き寄せる。午前六時を告げて鳴り響く目覚ましのスイッチをポチッと押して止めると、ロイは目覚ましを放り出してブランケットに潜り込んだ。
 夕べ、ハボックが先に帰ってしまってから、ロイはやけ食いのように残っていた料理をすべて平らげた。食い逃げかと内心ハボックを罵りながら支払いをしようとすれば、意外にも精算はもう済ませてあり、ロイはなんだか怒りをぶつける先を失ったように感じながら家に戻ったのだった。その後はなるべく何も考えないようにしながらシャワーを浴びて本を広げた。いつものように本の世界に没頭して何もかも忘れてしまおうとしたが、そうしようとすればするほど大好きな本の世界は遠ざかりハボックとのやりとりばかりが浮かんでくる。結局ロイは早々に本を放り出すとベッドに潜り込み、必死に羊を数えてなんとか眠りの淵を引き寄せたのだった。だが、そうやってなんとか手繰り寄せた眠りの中でもロイはもやもやとして漂い、そうした挙げ句の明け方の夢だ。
「くそ……、目覚めの悪い……」
 ロイはそう呟いてギュッと目を瞑る。そうすれば瞼の裏に煙草を咥えた唇が浮かんで、ロイはパッと目を開けるとふるふると首を振って幻をかき消した。
「くそー、なにが前金はキスで、だッ!死ねッ、あほんだらッ!」
 口汚くハボックを罵って、ロイはブランケットを頭から被って目を閉じた。


「んー……」
 遠くに電話のベルが聞こえる。ブランケットから頭を出したロイは目を開いてぼんやりと天井を見上げた。
「電話……?────えっ?電話ッ?」
 次の瞬間、ロイは枕元に放り出した目覚まし時計を引っ掴む。その針が九時を少し回っているのを見たロイの顔がサーッと青褪めた。慌ててベッドから下りたものの騒がしく鳴る電話の前でうろうろと歩き回る。腕を組み爪を噛んで頭をガシガシと掻き毟ったロイは、仕方なしに受話器を取り上げた。
「────もしもし」
「おはようございます、ホークアイです。先ほどお迎えに上がった警備兵から幾ら呼び鈴を鳴らしても大佐がお出にならないと連絡がありまして」
「あ、ああ、そうなのか?どうやら呼び鈴が壊れていたようだね」
「そうですか。ではもう一度鳴らしてみます」
「えっ?」
「すぐ近くの電話ボックスにおりますので」
「えッ?!」
 待てと言う間もなく電話が切れる。慌ててパジャマを脱ぎ捨てクローゼットからシャツと軍服を取り出し袖を通し足を突っ込んでいると、ビーッと呼び鈴が家の中に鳴り響いた。ロイはバタバタと階段を駆け下り玄関に向かう。バンッと扉をあければホークアイが立っていた。
「おはようございます。呼び鈴、聞こえたようですね、大佐」
「う……」
 ついうっかり呼び鈴に答えて飛び出た事で、故障などしていなかったのを証明する形になった事に気づいて、ロイは返す言葉が出てこない。ホークアイは手を伸ばすと駆け違ったシャツのボタンを留め直した。
「ただの寝坊で安心しました。用意がよろしければ司令部に参りましょう」
「…………すまん」
 流石に謝るしかないロイに、ホークアイは苦笑する。ロイが後部座席に座るのを確かめて運転席に座ると、ホークアイはアクセルを踏み込んだ。ホッとため息をついてシートに深く腰掛けて窓の外を見遣るロイの横顔をミラー越しに見つめると、ホークアイは何も言わず車を走らせる。程なくして司令部の玄関前に滑り込んだ車からロイと共に下りて、ホークアイは車を警備兵に任せて建物の中へ入った。
 司令室に入れば朝の挨拶を投げかけてくる部下たちに答えて、ロイは執務室に入る。続いて入ってきたホークアイは扉を閉めると、やれやれといった様子で椅子に腰を下ろすロイを見つめた。
「何かありましたか?大佐」
 どうもただの寝坊とはどこか様子が違うロイに、ホークアイはそう尋ねる。すると、驚いたように顔を上げたロイがホークアイを見、それからうろうろと視線をさまよわせた。
「いや、別に何でも」
 と言いながら、ロイの様子は明らかに変だ。ホークアイは一つため息をつくと、ロイを呼んだ。
「大佐」
 有無を言わさぬその声に、ロイは「うーっ」と唸る。それでもじっと見つめてくる鳶色に耐えかねて、ロイはがっくりと肩を落とした。
「指輪の持ち主が判った」
「まあ」
 ロイの様子からは思っても見なかった言葉にホークアイが目を見開く。それなら何を悩んでいるのかと尋ねようとした時、コンコンと扉をノックする音がしてブレダが入ってきた。
「大佐、あの指輪の事ですけど」
 と、言いかけて何となく様子のおかしいロイに気づいて口を噤む。どうかしたのかと視線で尋ねれば、ホークアイが答えた。
「指輪の持ち主が判ったそうよ」
「えっ?本当ですかッ?」
 よし、と拳を握ったブレダは、だが、ロイがあまり喜んだ様子がないことに気づく。首を傾げるブレダに頷いて、ホークアイはロイを見た。
「大佐」
 理由を促して見つめてくる二対の瞳に耐えかねて、ロイは仕方なしに口を開いた。


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