FLARE BLUE  第十二章


「ここまでにしておくか」
 とりあえず机の上の書類を八割方片づけて、ロイはため息をつく。うーんと天井に向けて腕を伸ばし、コキコキと首を鳴らした。
「腹が減ったな……」
 考えてみれば昼食の後は途中抽斗にストックしているチョコレートを二粒ほど食べたきりだ。時計を見れば夕飯の時間はとっくに過ぎていて、よくこの時間まで空腹を感じずにいたものだとロイは己の集中力を褒めてやりたくなった。
 ロイは未決済の書類の山の上にペーパーウェイトを置くと、一応見られるまでに机の上を整理して立ち上がる。夜勤で残っていたファルマン准尉に見送られて司令室を出たロイは廊下を歩いていった。
「さて、と……」
 帰りに食べて帰ろうと送迎の車は断り、司令部を後にすると夜の通りをゆっくりと歩いていく。腹は減っているがこれと言って食べたいものがあるわけでもなく、ロイは通りに並ぶ店を横目にのんびりと歩いていった。
「なんにしよう……」
 腹が減っているのでどれも美味しそうに見える。それがかえって何にするか迷わせて、ロイはなかなか決められずに通りを歩いていった。


「もしなんか連絡あったらすぐ教えてくれ」
「帰るの?」
「ここで待ってても空しいし」
 来るかどうかも判らない連絡を待っているのも時間の無駄だ。ハボックはバーテンにそう頼むと酒の代金をカウンターに置いて立ち上がる。誘う視線を投げかけてくる女たちを適当にあしらってハボックはドアに向かうと外へ出た。
「腹減った……」
 店ではアルコールを口にしただけで腹にたまる物は食べていない。
「なんか旨いもん食おう」
 そうすればいい運を呼び寄せられる気がする。そう思って店先に出された今日のお勧めメニューの看板を横目に見ながら歩いていたハボックは、迷うように眉を寄せてメニューを覗き込む横顔に目を留めた。
「あ」
 一度見たら絶対に忘れない印象的な黒曜石に、ハボックは笑みを浮かべて近づいていく。街の喧噪の中にその気配を溶け込ませて側に立つと、まるでハボックに気づかずメニューと睨めっこしているロイの鼻先に、ハボックは顔を突き出した。
「こんばんは。これからメシっスか?」
「うわッッ?!」
 間近で聞こえた声にロイはギョッとして飛び退る。まん丸に見開く黒曜石に、ハボックは苦笑した。
「そんな驚かなくても。幽霊じゃねぇんスから」
「おっ、おま……ッ」
「おま?」
 キョトンとするハボックをロイは目を吊り上げて睨みつける。そんな風に睨まれる理由が判らなくて尋ねるように小首を傾げるハボックに、ロイは言った。
「気配を殺して近づくなっ」
「──別にそんなつもりはないんスけど」
「嘘つけ」
 正直声をかけられるまで判らなかった。そんなことなどこれまで一度もなくて、軍人としてのプライドを甚く傷つけられたロイはハボックを睨む。困ったなと苦笑して、ハボックは言った。
「職業柄自然とそうする癖がついてるのかもしれないっスね」
「職業柄?」
 肩を竦めて言うハボックにロイは眉を寄せる。ハボックが何でも屋なようなことをしているのは人づてに聞いていたが、一体どんな事をしているんだろうと考えるロイにハボックは言った。
「これからメシなんでしょ?折角だから一緒にどうっスか?旨い店、紹介しますよ」
「なんで私がお前なんかと」
 断るつもりで口を開いたものの主を裏切るように腹の虫がグゥと鳴る。その音に顔を赤らめ慌てて腹を押さえたロイがハボックをチラリと見れば、ハボックはにっこり笑って言った。
「決まり。行きましょ」
「おいっ」
 言うなり肩を抱いて歩き出すハボックを、ロイは目を吊り上げて見上げる。だが、見下ろしてきた空色にニッコリと微笑まれて、ロイは顔を赤らめて視線を落とした。
(な、なんでこんな事に……)
 思いもしない成り行きにロイはハボックと並んで歩きつつも狼狽える。そんなロイに気づいているのかいないのか、ハボックはロイの黒髪に顔を擦り寄せるようにして尋ねた。
「食べられないものとかあるっスか?アレルギーとか」
「べっ、別にないっ」
「そっか……じゃああそこにするかな」
 ハボックはそう言うとすぐ近くの角を曲がる。グイと引き寄せられるようにして角を曲がったロイは、よろけそうになって思わずハボックのシャツの背を掴んだ。そうすればハボックがロイを見てニコリと笑う。その笑みにドギマギして、ロイは目を逸らした。
(なんでこんなに焦ってるんだっ、私はッ!コイツに関してはろくな記憶がないっていうの、に……)
 慌てた勢いでそんな事を考えれば、不意にハボックと交わしたキスを思い出してしまう。その途端、益々音を立てて鳴り響く心臓にロイが狼狽えていると、ハボックの声が聞こえた。
「ここっス」
 その声に顔を上げたロイの目の前に小さな民家のような建物が建っていた。
「ここ?」
 看板どころか店の名前すらどこにもないそれをロイは目を丸くして見上げる。それでもハボックに抱き寄せられるようにして扉をくぐれば、そこは低い音楽が流れた落ち着いた雰囲気の店となっていてロイは驚きに目を瞠った。
「いらっしゃい。あれ?珍しい。一人じゃないんだ」
「うん、今日は特別」
 入った途端かけられた声にハボックは笑って答える。
「奥、いい?」
「どうぞ、空いてるよ」
 そう言う店員に頷いて、ハボックはロイを店の奥へと連れていく。奥まったスペースは丁度個室のようになっていて、ハボックはロイを促して腰を下ろした。
「最初ビールでいいっスか?」
「あ、ああ」
 ロイが頷くのを見て、ハボックが店員に注文する。すぐさま運ばれてきたビールのグラスを手に。
「オレの隠れ家にようこそ、マスタング大佐」
 ハボックはニッコリと笑った。


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