初回衝撃(first impact)  第三章


「おっと」
 さして量もない己の備品を放り込んだ段ボールを抱えて部屋を出ていこうとしたハボックは、丁度入ってこようとした男とぶつかりそうになる。ハボックにぶつからないよう慌てて脇によけた男は、ハボックが段ボールを抱えているのを見て言った。
「司令室への異動、今日だったんだな」
「ああ」
「マスタング大佐の護衛官なんて栄転だな、頑張れよ」
 ハハハとひきつった笑いを浮かべて言う今までの同僚をハボックは冷めた目で見つめる。なにも言わずに見つめてくる空色に居心地悪そうに視線をさまよわせた男は、ハボックを見ずに言った。
「早く行った方がいいんじゃないか?遅くなると拙いだろう?」
 そう言う男をハボックはじっと見つめていたが、フイと顔を背けるとなにも言わずに歩き出す。ホッと息を吐いた男が部屋に入りながら、中に向かって言うのが聞こえた。
「よかったぁ、アイツがいなくなって清々した」
「これでこの部署も平和になるって───」
 パタンと扉が閉まり声が遮られる。やっと厄介者がいなくなったとあからさまに喜ぶ男たちの言葉に、ハボックはフンと鼻を鳴らした。
「オレだって清々したっての」
 陰では上官の悪口を言いながらも目の前にすればおべっかばかり言う奴らにはうんざりしていたところだ。ハボックは未練の欠片も見せずに今までいた部署を後にすると、靴音も荒く廊下を歩いていった。階段を上り目指す扉にたどり着いたハボックは、ノブを回すためには一度荷物を置かなければいけないことに気づいた。
「…………」
 じっとノブを睨んだところで開いてくれるわけではない。ハボックは行く手を阻む扉を見つめると右足を引いた。引いた足を勢いよく振り出そうとした時。
「待って!」
 背後から聞こえた鋭い声にハボックは扉を蹴破ろうとしていた脚を止める。振り向けば金髪をキリリと結い上げた鳶色の瞳をした女性士官が近づいてくるところだった。
「荷物を置こうとは考えないの?」
「めんどくさかったんで」
 まるで悪びれる様子もなくそう答えるハボックを女性士官は無表情に見つめる。それからハボックを押しやるように扉に手を伸ばし、ノブを回した。そのまま先に入っていく女性の後についてハボックは司令室に入る。そうすれば各々の机で仕事をしていた男たちがハボックを見た。誰だと問いかけるような視線を受け止めて、ハボックは入口で立ち止まる。なにも言わずに立っているハボックに、先に部屋に入った女性が言った。
「ジャン・ハボック少尉?」
「そうっス」
「貴方の席はそこよ」
 そう言って女性が指さした机に歩み寄り、ハボックは抱えた段ボール箱を下ろす。それから尋ねるような視線をやればその視線を受け止めて女性が口を開いた。
「リザ・ホークアイ中尉よ」
「……ハボックっス。よろしくお願いします」
 とりあえずそう言いながらも敬礼を寄越すでもない相手をホークアイはじっと見つめる。十数秒、互いになにも言わずに見つめあっていたが、先に口を開いたのはホークアイだった。
「大佐がお待ちかねよ、少尉」
 ホークアイはそう言うと司令室の奥にある執務室の扉へと向かう。ハボックがゆっくりとした足取りで来るのを待って、ホークアイは執務室の扉をノックした。
「大佐、ホークアイです」
 入室の許可を待ってホークアイは扉を開ける。ハボックを伴って執務室に入ったホークアイは、書類を手にしたロイに言った。
「ハボック少尉が着任しました」
 そう言う言葉にロイが書類から顔を上げる。見つめてくる黒曜石がつい先日言葉を交わしたばかりの男のものだと気づいて、ハボックは目を見開いた。
「この間会ったな」
「アンタがマスタング大佐だったのか」
 廊下で上官といざこざを起こしかけた時、助け船を出すかのように声をかけてきた男。余計なことをと腹を立てていた相手を目の前にして、ハボックは思い切り顔を顰めた。
「私がマスタングだったら不満か?」
「別にそう言うわけじゃないっスけど」
 どこか面白がるような響きを載せて言う男をハボックは睨む。着任の挨拶をするでもないハボックをロイは楽しげに見上げて言った。
「護衛の仕事を頼むよ。そこのホークアイ中尉は私のお守りをしている暇はないとつれないんだ」
 そんな風に言われてハボックは思わずホークアイを見る。ホークアイは全く表情を変えずに手にしたファイルをハボックに差し出した。
「今週一週間の大佐のスケジュールよ。とりあえず会議も視察も全て同行して。その後の事は改めて決めるわ」
 ホークアイはそう言うとハボックがファイルを受け取るのを待ってロイを見る。
「それでよろしいですね?大佐」
「ああ。ご苦労だった、中尉」
 にっこりと笑って言うロイに一礼してホークアイは執務室を出ていく。その背を見送ったハボックは、パタンを扉が閉まると視線をロイに戻した。そのままなにも言わずにロイをじっと見つめれば、ロイが笑みを浮かべたまま首を傾げた。
「なんだ?」
「……どうしてオレを護衛官に?」
「丁度後任の護衛官を探していてな。中尉に早く決めろとせっつかれていたんだよ」
「だからってなんでオレなんスか?アンタ、あの場にいたのに」
 上官を殴るような男をわざわざ護衛官に任命するなど、殴った当人のハボックでも理解出来ない。問い詰めるようにじっと見つめてくる空色を受け止めてロイは答えた。
「私の側にいても平気なほど神経の太い人間がなかなかいなくてね。中尉は冷たいし、どうしようかと思っていたところあの場に行き当たったんだ」
「だから?」
「上官を殴るような神経の図太い奴なら私の護衛官に打ってつけだと思ったんだよ」
「───次はアンタを殴るかもしれないっスよ?」
「殴れるもんなら殴ってみたまえ」
 楽しそうに言うロイにハボックは目を瞠る。暫くの間なにも言わずにロイをじっと見つめていたが、ハボックは息を吐いてやれやれと首を振った。その次の瞬間。
 助走もつけずに机を飛び越えたハボックがロイに向かって拳を繰り出す。その拳がロイの顔面を捉えたと思った瞬間、フッとハボックの目の前からロイの笑顔が消え、ハボックは繰り出した腕を掴まれ床に叩きつけられていた。
「グゥッ!!」
 衝撃に肺の中の空気を全部吐き出してハボックが呻く。一瞬にしてハボックを叩きのめしたロイは、何事もなかったように椅子を引くと腰を下ろした。
「ふむ、まだまだだな。護衛官、任せて大丈夫か?」
「こ、の……ッ」
 心配そうに小首を傾げるロイを、床に身を起こしたハボックは射殺しそうな視線で睨みつけた。


→ 第四章
第二章 ←