初回衝撃(first impact)  第二十一章


「ああ、ハボック、戻ってたか。コーヒーを頼む」
 やれやれと自席に腰を下ろしてため息をついたハボックは、聞こえた声にパッと顔を上げる。そうすれば執務室に引っ込むロイの黒い頭が見えて、ハボックは唇を突き出して立ち上がった。
「コーヒーくらい自分で淹れろっての」
 ブツブツと言いながらもハボックは給湯室に向かう。自分の分もカップに注ぎ、トレイに載せると司令室に戻った。ドカドカと大部屋を横切りノックもそこそこに扉を開ける。
「ちょっと、大佐ッ!中尉にバレてんじゃないっスかッ!」
 ハボックは入るなりそう怒鳴ると執務机に歩み寄り、書類の上にガチャンと乱暴にトレイを置いた。目を吊り上げて睨んでくるハボックに、ロイは器用に片眉を跳ね上げて、トレイの上からカップを取り上げた。
「私だって努力はしたんだ」
「努力したってバレてたら意味ねぇっス」
 フーフーとカップに息を吹きかける上官を間近に睨んでハボックは言う。これまでの上官なら気後れするような目つきも全く気にする様子もなくコーヒーを啜るロイに、ハボックはチッと舌打ちした。トレイに残ったもう一つのカップを手に取り気持ちを落ち着けようとするように口にする。深く息を吐き出してコーヒーを飲むハボックに、ロイが言った。
「それで?どうだった?」
「店の方は特に変わりはないっス。ああ、彼女、暫く大佐が来られないって言ったらすっげぇ残念そうでしたよ」
「妬けるか?」
「はあ?なんで?」
 ニヤリと笑って言うロイにハボックが思い切り顔を顰める。訳の判らない言葉は放っておく事にして、ハボックは言った。
「それで、やっぱり大佐が言ったとおり、あの辺根城に薬の売買してんのがいるっスね」
 ハボックはそう言って子供から得た情報を伝える。
「子供が言ってた北の倉庫街を少し張ってみようと思います。はっきりしたら人数使っていいっスか?」
「ああ、そうしてくれ」
 ロイが頷けばハボックはコーヒーを飲み干してトレイを手に取った。
「とりあえず今日はこれ以上中尉のご機嫌を損ねないよう真面目に働きますよ。大佐もその山なんとかしてください」
 机の上に高く積まれた書類を指さされてロイは眉を下げる。執務室を出ていこうとする背に向かってロイは言った。
「ところでハボック、倉庫街に怪しい連中が屯ってるっていう話はカレンにしたのか?」
「いえ。先に店覗いてそれから子供の話聞きにいって、そのまま帰ってきちまいましたから」
 ドアノブに手をかけてハボックが言う。
「注意しろって言った方がよかったっスか?しっかり見回りするから安心しろって。すんませんね、気が利かなくて」
 どうせ女性に対する気遣いが足りないとか言うんだろうと、鼻に皺を寄せるハボックにロイは考え込むような仕草をした。
「大佐?」
「いや、無駄に怖がらせることもないだろう。私がいいと言うまで伝えなくていい」
「そうっスか?」
「ああ、引き続き調査を続けて早いところ片づけてしまってくれ」
「中尉の怒りを買う前に終わらせるようにしますよ」
 そう言って執務室を出ていくハボックを見送ったロイが、何かを考えるように頬杖をついた。


「それで?奴らはどうしてる?」
 そう尋ねれば電話の向こうで答える声がする。返ってきた答えを聞いて、受話器を握った人物は苛々と眉を顰めた。
「まったく、なにをグズグズしてるんだ。期待外れと言うことか?」
 折角色々と情報を与えてやってるのにと口汚く罵しる。その剣幕に恐れをなしたように電話の相手が答えれば、受話器を持った人物はうんざりとしたため息をついた。
「判った。こっちでももう少しつついてみる」
 その人物はそう言うとガチャンと乱暴に受話器を置く。ひとつ大きく息を吐き出して髪を掻き上げると、それまで浮かべていた険しい表情を引っ込め、嘘のように晴れやかな笑顔を顔に張り付け部屋から出ていった。


 ジジと外灯の灯りが揺らめく中、倉庫街の陰から陰へと何かが素早く通り過ぎる。風に流れた雲の隙間から射し込んだ月明かりに照らされて、潜入服を着込んだハボックは眉を顰めた。
「まったく満月ってのは思った以上に明るいよな」
 ブツブツと文句を言ってハボックは顔の半分を覆う覆面を引き上げる。再び雲が月を覆うのを待って、更に奥へと進んだ。
 あれから色々調べて、ここの倉庫の一角が麻薬密売組織の隠れ家だと言うことは判っていた。次の取引は来週だったが、ハボックは確実に組織の連中を逃さず取り押さえるための下見にやってきたところだった。
「それにしても」
 とハボックは呟く。
「カレンからの情報だなんて」
 二日ほど前、ロイのところにカレンから連絡があった。
『どこまで本当か判らないんですけど』
 と、カレンは遠慮がちに言った。
『来週大きな取引があるっていうんです』
 来週行われる大きな取引を知らせる内容の話の情報源はカレン曰く“子供の噂”ということで、売人を見たという程度ならともかくそれほど大きな情報に関するものになると瞬時にその信憑性が疑わしくなる。それでもロイが『たかが子供の噂だからと言って蔑ろにするわけにもいかない』と言えば、カレンは大喜びだった。
『そうですよね!それにその子達、うちにマスタングさん達が来ている事を知っていて相談に来てくれたんですよ』
 マスタングさんをみんな頼りにしてるんです、というカレンの言葉にロイはまんざらでもなさそうだったと、ハボックはその時のロイの様子を思い出す。
「鼻の下伸ばしやがって、これで情報がただの子供の悪戯だったとかいったらどうすんだよ。悪戯ならまだいいさ、子供使ってオレらを嵌めるつもりだって事もないとは言えないだろ」
 ハボックはなんとなく面白くなくてそう呟く。実際のところ情報を信じて捕り物に打って出たはいいが、罠でしたでは目も当てられない。それを確認する為にもハボックは部隊を動かす前にもう一度調査すべきだとロイに言い張ってここへやってきた。そうしてそっと目指す倉庫へ向かって音もなく進んだハボックは、微かな気配にスッと物陰に身を潜めた。
(見張りだ)
 黒っぽい服を着た上隠れるようにして立っている為気づきにくいが、倉庫の入口に見張りが立っている。こんなところに見張りを立てるほどの物がしまわれていること自体考え難く、確かにこの中に何かがあると知らせていた。
(入口に二人、後は?)
 ハボックは身を潜めながら倉庫の周りを確認する。それから特に闇の深い一角から器用に倉庫の壁を上ると、上手いこと中へと潜り込んだ。
(あー、アイツ、性懲りもなくまたやってんのか)
 ハボックは以前薬物の密売で懲役刑を食らった男の姿を認めて眉を寄せる。ここでまた捕まれば更に重い刑を受けることになるだろうと思ったが、そんなことは自業自得でハボックの知ったことではなかった。それよりも来週の取引の話はどうなっているだろうとハボックは倉庫の中を調べる。数分後、大量の薬物とその近くで交わされる会話を確認すると、ハボックは早々に引き上げた。


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