初回衝撃(first impact)  第十二章


 己の勝ちを宣言したものの、ロイは押さえつけたハボックに跨ったまま楽しげに長身の部下を見下ろす。後ろ手に捻上げられた腕を何とか振り解こうとして、ハボックは地面に顔を擦り付けるようにしてもがいた。
「テメェ、いい加減にどけよッ!!」
 どうしても振り解けず、ハボックは首を捻ってロイを怒鳴りつける。牙を剥くハボックに、だがロイは全く動じた様子もなく睨んでくる空色の瞳を見下ろした。
「ん?そう慌てんでもいいだろう?思いの外お前の上は気持ちがいいんでな」
「はあっ?!ふざけんなッ、バカッ!!」
 勝負に負けた上にいつまでもこんな無様な姿を晒す羽目になって、ハボックは怒りと屈辱に顔を染める。激しい感情のあまり空色の瞳に涙を滲ませるハボックをロイはじっと見つめた。
「意外とかわいいじゃないか」
「は?何言ってんだ、ぐちゃぐちゃ言ってねぇでさっさとどけッ!」
 思わず呟いたロイの言葉は運良くハボックには聞こえなかったようだ。どけと喚きながらもがくハボックを見つめながらロイは言った。
「そう喚くな。退()く前に先に決めておいた方がいいだろう?」
「決める?何を?」
「忘れた何て言うなよ?負けたら私の言うことを一つ聞く約束だったろう?」
 そう言われてハボックが目を瞠る。喚いていた唇をギュッと噛み締めて視線を逸らしたハボックは、悔しそうに呻いた。
「忘れてやいないっスよ。オレが負けたってのにはまだ納得いかねぇっスけど。で?オレになにをさせたいんスか?」
 悔しそうに、それでもこれ以上こんな醜態を人目に晒すのは耐えきれずハボックが言う。ロイはそんなハボックを楽しげに見つめて小首を傾げた。
「なあ、ハボック。私はずっと犬を飼いたくてな。ホークアイ中尉がこの間ブラックハヤテ号を拾ってきた時には本当に羨ましかったんだよ」
 突然そんな事を言い出すロイにハボックが訝しそうに目を細める。
「犬が欲しいなら血統書付きのをアンタなら幾らでも買えるっしょ?それともオレに犬を拾ってこいとでも言いたいんスか?」
 ロイが言いたいことが今一つ判らずハボックがそう言えば、ロイはチッチと指を振った。
「血統書付きの犬なぞいらん。それにそんじょそこらにいる野良犬じゃつまらんだろう?」
 犬を買うのも嫌なら拾ってくるのも嫌。それなら一体どうしたいと言うのだろう。さっぱり判らず不思議そうに見つめてくる空色に、ロイはにっこりと笑った。
「そう言うわけで、ハボック。今からお前は私の狗だ」
「────は?」
 一体今この錬金術師は何を言ったのだろう。なんだかとんでもない事を言われた気がして、ハボックはロイに言った。
「意味判んねぇんスけど」
「おい、幾ら狗になれと言ったからといって言葉が判らんとは笑えんぞ?」
「言葉は判るっスよ!狗って何、狗って!」
「判らんか?言葉通りの意味なんだが」
 訳が判らんという顔で大声を張り上げるハボックにロイは首を傾げる。
「今からお前は私の狗だ。私がお前を飼うんだ、ハボック」
 にっこりと笑って爽やかに宣言する男を、ハボックは唖然として見上げた。


「なにが狗だッ、ふざけやがってッ!!」
 ロッカールームの扉を乱暴に開いたハボックは、吐き捨てるように喚くと足下のゴミ箱を思い切り蹴飛ばす。スチール製のゴミ箱はガランと派手な音を立てて転がりながら腹の中のゴミをまき散らした。
 多数決というなんとも腹の立つ手段で負けを認めさせたロイが、負けた代償にとハボックに要求したのは『ロイの狗になること』だった。冗談じゃないと歯を剥けばギリギリと腕を捻り上げられた。痛みに脂汗を流しながらそれでも頑として頷かずにいると、ロイは練兵場の片隅で事の成り行きを見守っていたマコーレー達に言ったのだ。
『諸君らも聞いていたよな?負けたら互いの言うことを聞くって。それなのにこれは男らしくないと思わんか?』
 と。そう言われて多少困ったような顔をしたものの、マコーレー達はロイの主張を是として頷く。結局押し切られる形でロイの言うことにハボックは頷かされてしまった。長いこと捻り上げられていたせいで痛む肩をさするハボックにロイは楽しそうに告げた。
『言っておくが狗は飼い主に絶対服従だからな』
 ニコニコと笑って言うロイをハボックは目を吊り上げて睨む。それでも流石にこれ以上何か言うのははプライドが赦さず、ハボックはロイを置いて練兵場を飛び出したのだった。
「くそムカツクッ!!」
 服を脱ぎ捨て奥のシャワールームに入るとハボックは頭からシャワーを浴びる。ガシガシと乱暴に金髪を洗い汗と汚れを落とした。ボディソープを手に取り泡立てて体に塗りたくる。腕を捻った拍子に肩に走った痛みに思わず低く呻けば、次の瞬間怒りが沸点を越えた。
「ッッ!!」
 力任せに殴りつけた隣のブースとを仕切る壁が、ハボックの怒りを受け止めきれずにへこむ。ハアハアと怒りに肩を弾ませて壁を睨みつけていたハボックは、体の泡を洗い流し乱暴な足取りでシャワールームを出ていった。


「いい汗をかいたなぁ」
 ロイは言いながら司令室に戻ってくる。ホークアイは席を外しているようで、さっさと大部屋を通り抜けたロイは執務室に飛び込んだ。手にしていた上着とオーバースカートをソファーに投げ出し奥の仮眠室備え付けのシャワールームに入る。手早く汗を流し、予備のシャツに着替えた。フンフンと鼻歌を歌いながら執務室に戻れば、丁度ノックの音が響いたところだった。
「入りたまえ」
「ハボック少尉と訓練と伺いました」
 執務室に入ってきたホークアイが言う。そうすればロイがニコニコとしながら頷いた。
「ああ、いい運動になったよ。それに」
 とロイは上機嫌に続ける。
「狗も手に入ったしな」
「犬?捨て犬でもいたんですか?」
 一体いつの間にと鳶色の目を見開くホークアイにロイは答えた。
「捨て犬というより野良犬だな。まあ、まだ全然懐いていないが、これからじっくり懐かせるさ」
「そうですか」
 満面の笑みを浮かべて言うロイをホークアイは胡散臭そうに見つめる。それでも上機嫌なら今のうちに嫌いな仕事は済ませてもらおうと、犬の話はそのままにファイルを開くホークアイだった。


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