初回衝撃(first impact)  第十章


 ホークアイの小言を八割方右から左に聞き流したロイは、漸く一人になった執務室で椅子の背に体を預ける。背もたれに頭を預けて腹の上で手を組むと、ぼんやりと宙を見上げた。
「ジャン・ハボック少尉か」
 ロイはさっき目を開けた途端飛び込んできた空色を思い出しながら呟く。護衛官を早く決めろと煩いホークアイをかわすのが目的で、それなら少しでも面白い方がいいと偶然上官をぶちのめす現場を見かけたハボックを護衛官に据えてみた。最初は単なる興味本位、他にいい人材がいればすぐに交代させてもいい位に思っていたのだが、上官、特にロイのような立場の人間に媚びを売る人間の多い軍の中で全くロイに対する態度が変わらないハボックが、ロイには珍しくて堪らなかった。
「ああいうのが懐くと可愛いだろうなぁ」
 今の誰にでも冷たくぞんざいなハボックが、自分にだけは笑顔を見せ自分の命令だけは聞いたらどんなに楽しいだろう。
「まあ、まだ始まったばかりだしな」
 簡単には行かないだろうが、日々の退屈を紛らすには困難な挑戦の方がいい。ホークアイが聞いたならその情熱を仕事に向けろと怒りそうな事をロイは楽しそうに考えていたのだった。


「つまんねぇ……」
 会議が行われている部屋の入口に立ったハボックは、低く呻いて吸っていた煙草を噛み潰す。チッと舌打ちして潰してしまった煙草を入れようとした携帯灰皿はもうパンパンで、ハボックは煙草を足下に落とし大きな軍靴で踏み潰した。途端に側を通りかかった事務官に責めるような視線を向けられて、ハボックはギロリと睨み返す。そうすれば逃げるように顔を背けてそそくさと立ち去る背中にフンッと鼻を鳴らして、ハボックはゴンッと頭をぶつけるように背後の壁に寄りかかった。
 前回ロイの逃亡を阻止しなかったと、ホークアイに会議が終わるまで入口で張り番をする事を厳命を下された。仕方なしに会議室の入口に立って早二時間。ハボックの我慢も限界だった。
「大体護衛だからってなんで司令部内の会議からなにからくっついて回んなきゃいけないんだよッ」
 オレはお守りじゃねぇ、とハボックが咥えたばかりの煙草を再び噛み潰してしまった時、ガチャリと会議室の扉が開いてロイが出てきた。
「アンタ、また」
 会議が終わるのはまだ一時間ほど先の筈だ。また抜け出してきたのかと目を吊り上げるハボックにロイは言った。
「会議は打ち切りだ。文句ばかりでちっとも纏まりそうにないから打ち切ってやった」
「は?」
 そう言うロイの後ろから会議の出席者がぞろぞろと出てくる。決まり悪そうにロイから顔を背けて散っていく軍人たちを呆気にとられて見送ったハボックは、ハッとしてロイを見た。
「アンタねぇ、なに考えてんスかッ!幾ら会議が嫌いだからって打ち切ったってなにッ?!」
 勝手に打ち切られて、それでは二時間も外で待っていた己の労力はどうしてくれるんだと詰め寄ってくるハボックに、ロイはヒラヒラと手を振った。
「仕方ないだろう?あの調子じゃあと一時間やろうが一日やろうが何一つ決まりゃしない。時間の無駄だ」
 そう言って肩を竦めるとロイはさっさと廊下を歩き出す。慌ててその後を追いかけて、ハボックはロイに並んだ。
「で?余った一時間、アンタはどうするつもりなんスか?どっか行くなら中尉に断ってからにしてくださいよ」
 ロイの勝手のせいでまたクドクド言われるのはうんざりだと言うハボックを、ロイは足を止めて見つめる。強い光を放つ黒曜石にじっと見つめられてハボックが眉を顰めれば、ロイが不意にニヤリと笑った。
「それなら一緒に訓練でもするか?」
「訓練?なんでオレがアンタと?」
 不満そうな声を上げるハボックに、ロイは二、三歩ほど歩いて肩越しに振り返る。
「この間はいとも簡単に投げてしまったからなぁ。護衛が護衛対象より弱いと言うのは────」
「あれは不意打ちだったっしょッ!」
「不意打ちを仕掛けてきたのはお前の方だったと記憶しているが?」
「ッ!」
 殴れるものなら殴ってみろと言われ、気のないフリをした次の瞬間殴りかかったのは確かにハボックの方だ。その拳をいとも簡単によけられた上、床に叩きつけられた事が脳裏に蘇って、ハボックは腹立たしさに顔を歪めた。
「いいっスよ。そうまで言うなら一緒に訓練しましょう、マスタング大佐」
 低い獣の唸り声のような声にもロイはにっこりと笑った。
「そうか。では早速行こうか」
 そう言うとロイは偶々近くを通りかかった尉官に、自分たちが訓練に行くとホークアイに伝えるよう言う。
「こうしておけば中尉も怒らんだろう?」
 無言のまま睨んでくる空色に楽しげに笑いかけて、ロイは練兵場へと歩きだした。


「これは、マスタング大佐!」
 突然ハボックと共に現れたロイに、訓練を行っていたマコーレーは驚いて直立不動の体勢を取る。彼に従って部下たちもピッと背筋を伸ばして立つのを見て、ロイはハボックを見遣って言った。
「ハボック、こう言うのが一般的な上官に対する態度のようだよ」
「へぇ、そりゃあ知りませんでした」
 ポケットに手を突っ込んだまま肩を竦めて答える咥え煙草のハボックに、マコーレー始め練兵場の兵士たちが目を剥く。ロイが怒って発火布を取り出すのではとビクビクしながら見ていれば、彼らの予想に反してロイはにこやかに笑った。
「そうか、なら一つ賭けをしないか?」
「賭け?」
 突然そんなことを言われてハボックが目を瞠る。ロイは見開く空色を見つめて頷いた。
「そう、賭け。今日の訓練、お前が私に勝ったら一つ言うことをきくっていうのはどうだ?」
「……オレが勝ったら?」
「お前の言うことをきいてやる」
「へぇ?そんな事言っちゃっていいんスか?まっぱで司令部ん中走れとか言うかもしれないっスよ」
「構わんさ。体には自信がある」
 馬鹿にしたように言えば、自信満々返されてハボックは鼻に皺を寄せる。
「どうする?自信がないならやめてもいいが」
「冗談」
 ロイの言葉にハボックは間髪置かずに返した。
「そんな賭け言い出したの、後悔させてあげるっスよ」
 ハボックはニヤリと笑って言うと、上着を脱いで投げ捨てた。


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