千年樹 〜eternal green〜 (第七章) |
| 「たいさ、ここ…」 ようやく退院を許可されたハボックが車で連れてこられたのはロイの家だった。困ったような顔でロイを見つめるハボックにロイは笑ってみせる。 「二人で始めるにはいい場所だろう」 そうして扉を開けるとハボックを中へと通した。 「勝手に悪いとは思ったがお前のアパートから荷物を運んだ。2階の奥がお前の部屋だから」 「嫌だはないんですね」 「嫌か?」 そう聞かれてハボックはふるふると首を振る。2階へと上がるといわれた部屋の扉を開けた。中へと入れば開け放たれた窓から入る柔らかい風がハボックを包む。ハボックは窓辺に近づくと外を見た。吹き込むそよ風に金色の髪を遊ばせながら外を見るハボックにロイは近づくと寄り添うようにして立つ。そうしてハボックの頭に手を添えるとそっと引き寄せて口付けた。 「愛しているよ、ハボック」 「たいさ…」 困ったような笑みを浮かべるハボックから体を離すとロイは言う。 「今日は疲れたろう。夕飯は何かデリバリーを取るからそれまで休んでいるといい」 「オレでよければ作りますよ」 「ケガが完治したらな」 ロイはそう言うと部屋を出て行こうとして扉のところで振り返った。 「ここはお前の家だ。何も遠慮することはないからな」 それだけ言って出ていくロイの背を見送ってハボックは再び視線を窓の外へと向ける。ハボックはざわざわと落ち着かない気持ちを抱えたまま、風に吹かれ続けていた。 「ハボ、お前もう仕事に出てきて平気なのか?」 「うん。心配かけてごめん」 ハボックはブレダにそう言うとにっこりと笑う。なんだかその笑みが酷く頼りなげに見えて、ブレダは思わずハボックをじっと見つめた。 「なに?」 「…いや、何でもねぇ」 心の中に沸き上がる不安が一体何によるものなのか、ブレダは説明できずに小さく首を振る。書類を書いているハボックをちらりと見てブレダは僅かに眉を寄せた。 (なんだって言うんだ、一体) 何がこんなに不安なのだろう。もう殆んど傷も癒えてハボックは今、目の前にいるというのに。 (くそ、野生の勘ならハボックの十八番(おはこ)だっての) ブレダは小さく舌を鳴らすと、咥えていた煙草を乱暴に灰皿に押し付けたのだった。 仕事をサボって姿を消していたロイを探していたハボックは中庭の木々の茂ったそのまた奥の一角に潜り込むようにして眠っているロイを見つけて苦笑する。 「全く、よくこんなとこ、見つけるよな…」 そう呟くハボックこそがよく自分の隠れ家を見つけるものだとロイに思われていることなど、気づきもしない。ハボックは暫くロイの寝顔をじっと見つめていたが、木の幹に背を預けると空を見上げた。ロイと一緒に住むようになってから、二人は以前のようには肌を合わせなくなっていた。ただ静かに穏やかな時を共に過ごし、時折触れるだけのキスを交わす。ただロイは、事あるごとにハボックに囁き続けていた。 『愛している、ハボック』 その言葉は甘い毒のようにハボックの体に染み渡り、ハボックの心を侵していく。ハボックは空を見上げてひとつ息を吐いた。手にした煙草から登っていく煙が空の水色に溶けて消えていく。自分もいつか跡形もなく消え去ってこの青い空のようにただロイを暖かく包めたらいいのに。ハボックはそんなことを考える自分を自嘲すると、ロイを起こすべく跪いた。 「たいさ…」 そう囁けばロイの目蓋が震えてゆっくりと開く。上から覗き込むようにしているハボックを見上げると、ロイはグイとその体を引き寄せた。 「たいさっ」 倒れ込んでくる体を抱き寄せてロイは体を入替えるとハボックを組み敷いた。驚いたように見上げる空色にロイは唇を寄せて囁く。 「ここにいろ、ハボック。どこへも行くな」 ロイの言葉にハボックは目を見開いてロイを見つめた。そうしてくしゃりと顔を歪めるとロイの首に腕を回す。 「どうしてアンタは…」 どうしていつも自分が考えていることが判るのだろう。 ハボックはロイの背を抱きしめながら思う。もう今となってはヒューズへの想いはゆっくりと昇華して、自分のうちを満たすのはロイへの想いだ。だが、それを自覚したところでどうしてロイにそれを伝えられると言うのだろう。 二人で始めたいとロイは言ってくれた。だが、ハボックにはロイとのことで一歩踏み出すことがどうしても出来ずにいる。それでもロイへの想いが日を追うにつれ揺ぎ無いものになっていくことも確かで。 (消すことの出来ない想いならこの体ごと消えてしまえばいい) ハボックはそう考えてゆっくりと瞳を閉じた。 「まったくこんなくだらない会議、持ち回りでやることねぇのになぁ」 ブレダは警備の配置案を書いた書類を机の上に投げるとぼやく。そんな自分に苦笑するハボックを見てブレダは僅かに眉を寄せた。 「なあ、ハボ…」 「ん?」 応えて首を傾げるハボックにブレダはどう答えていいかわからず口を噤む。ハボックは煙草を消して席を立つと軍曹と打ち合わせしてくると言って司令室を出て行った。 「くそー、なんだかなぁ…」 ブレダはガシガシと頭を掻きながら呟く。ちょうどその時ロイが司令室へと入ってきた。入口のところで自分が今歩いてきた廊下の先を見ているロイにいぶかしんでブレダが声をかける。 「大佐?」 呼ばれて振り向いたロイがいつになく不安げな様子なのにブレダは驚いたように目を見開いた。 「どうかしたんですか、大佐」 「…いや」 ロイは短くそう答えた後、ブレダをじっと見つめる。それから考え込むように口を開いた。 「ブレダ少尉。ハボックから目を離さないでくれないか」 「え?それってどういう…」 「上手く説明できないんだが」 ロイはそう言うと言葉を捜すように口をつぐむ。そうして呟くように言った。 「どこかへ消えてしまいそうな気がするんだ」 言われてブレダは目を見開く。この間からハボックを見るたび湧き上がってきた不安の正体がロイの言葉ではっきりした。目の前にいてすらそのまま消えてしまいそうな、そんな気がしていたのだ。 「私も出来るだけ側にいるつもりだが」 「判りました、俺も出来るだけ側にいますんで」 ブレダがそう答えれば、ロイは僅かに安心したように微笑んだのだった。 ブレダがくだらない会議と評したそれも本日で最終日となった。ブレダはロイに言われたように警備の間もハボックから目を離さずに過ごし、とりあえず今日でこの鬱陶しい会議も終わるのだと、それが過ぎればハボックとも落ち着いて話してロイや自分が抱えている不安を拭い去ることが出来るだろうと考えていた。 最後の会議が終わりを告げ、ハボック達は三々五々大会議室を出て行くメンバーを見送っていた。数メートル離れた場所に立つハボックがふと眉を顰めるのに気がついたブレダはその視線の先に目をやる。 「あれは南方司令部の…」 ハボックの視線の先にいるのはこの会議に出席する為にきていた佐官のお供の男だ。大人しくて目立たない感じの男だったが、今は明らかに様子がおかしかった。顔中に汗を噴出し呼吸も荒い。ブレダが目を見開いた男がそのベルトから銃を取り出すのを見た瞬間、ハボックの体が駆け出していた。 「ハボっ!!」 突然大声を上げたブレダに訝しむな視線が一斉に向けられる。その中の一人だった黒髪の上司の元へ走ったハボックは驚くロイの体を強引に引き倒した。その瞬間。 ガウンッ! 一発目の銃声が鳴り響く。突然のことに凍りつく軍人達の中で、引き倒されたロイのすぐ近くに立っていた中佐の肩章をつけた男が銃弾を受けて倒れた。ロイを引き倒したハボックがそのまま流れるように男に向かっていくのを見たロイがハボックの名を呼ぶ。 「ハボックっ!」 その声にちらりとロイを振り向いたハボックがふんわりと微笑んで。その頬を2発目の銃弾が掠める。ピッと頬に紅い筋を走らせたままハボックは男に飛び掛った。尋常でない程目を見開き歯を剥いた男がハボックに向かって引き金を引く。床に引き倒されたままの状態で、ロイは男が撃った弾がハボックの体を貫き血飛沫と共にその背から飛び散るのをスローモーションを見るように見ていた。ハボックは男に飛びつくとその腕を捻り上げる。ゴキッと骨の折れる音がして男が絶叫を上げるのと、ロイの唇から悲痛な声が上がったのはほぼ同時だった。 「ハボックっっ!!」 その声を合図に我に返った軍人達が一斉に動き出し、ロイとブレダは自身の作った血溜まりの中へと倒れこむハボックの元へと駆け寄っていった。 |
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