千年樹 〜eternal green〜 (第六章)


「大佐、急がないと時間に遅れます」
 そう言って執務室に顔を出したハボックにロイは頷く。ロイはポケットから発火布の手袋を取り出すとその手に嵌めた。
「今いく」
 そう言って執務室から出てくるロイを先に通し、ハボックはロイの半歩後ろを歩いていく。今日はイーストシティの南に出来た記念ホールの落成式だ。ハボックは来賓として呼ばれたロイを護衛するため、ロイと一緒に落成式典が開かれる記念ホールへと向かっていた。司令部から車で10分程。ホールへ着くと車を預けハボックとロイは会場へと入っていった。
「マスタング大佐、お忙しい所をありがとうございます」
 式典の主催者に迎えられて会場の中ほどにしつらえた席へと案内されるロイがよく見える場所へとハボックは移動する。やがて時間になると式典の始まりを告げるアナウンスが入った。式典に先立ち、関係者によるテープカットが行われて、ハサミを渡されたロイが思い切り不満げな顔をしてテープを手に取るのをハボックはくすくすと笑いながら見つめる。式辞や祝辞など眠気を誘う挨拶が続く中、首を振って眠気を追いやったハボックは微かに聞こえた何かが軋むような音に辺りを見回した。
(なんだろう…)
 気のせいだろうか、そう思った瞬間、また同じ音が聞こえる。きょろきょろと見回した視線がふと上を向いた時、ハボックはロイたちが座る壇上の上の照明がだらりと下がってきているのに気がついた。
(照明のケーブルが…っ)
 切れる、思うと同時に駆け出したハボックは驚く参列者の間をすり抜け壇上に駆け上がる。ぎょっとするロイと目が合ったのと、ブツリと言う音が聞こえたのがほぼ同時だった。
「…ッッ!!」
 ハボックの体がロイを吹き飛ばすように当たり、その瞬間凄まじい音と共に照明機材が壇上へと落下する。濛々と立ち込める埃を劈くように誰かの悲鳴が上がり、式場内は大混乱となった。ハボックに突き飛ばされたロイは半身を起こすと、呆然と落ちてきた機材を見つめていた。
「…ハボック?」
 まさか機材の下敷きに?その考えが浮んだ瞬間、血の気が引いて汗がどっと噴き出てくる。慌てて視線を走らせるロイの目に、機材のすぐ横に倒れていたハボックの姿が飛び込んできた。
「ハボックっ!!」
 慌てて駆け寄るとその体を抱き起こす。抱き起こした手にべっとりとついた血に、ロイは息を飲んだ。
「ハボックっっ!!」
 落ちてきた照明から飛び散った破片にざっくり背中を切られたハボックは、ロイの呼ぶ声に微かに呻くと目を開く。
「しっかりしろっ、ハボックっ!」
 ハボックは自分を覗き込む黒い瞳にうっすらと微笑むと、手を伸ばしてそっとロイの頬に触れた。
「怪我、しなかったっスか…?」
「怪我をしてるのはお前だろうっ!」
「よかった…無事で…」
 そう呟いたハボックの手がロイの頬から滑り落ちる。ぐったりと目を閉じてしまったハボックを抱きかかえてロイは手の中の温もりが消えてしまう恐怖に震えながら、救助隊の到着を待つしかなかった。


「照明のケーブルには刃物による切れ目が入っていたそうです」
 病院の廊下を歩きながらホークアイがロイに告げる。結局あの事件でロイと並んで座っていた市議が命を落とした他、十数人が重軽傷を負っていた。
「そうか、引き続き調査を進めてくれ」
 病室の前にたどり着いた時、そう言ったロイに敬礼を返すとホークアイは廊下を戻っていく。暫くそれを見送っていたロイは病室の扉を静かに開けて中へと入っていった。白いベッドに横たわるハボックを見つめて、ロイは近くの椅子に腰を下ろすとハボックの手を取った。その温もりにホッと息を吐くとその手を己の額に当てる。ロイがハボックの手をギュッと握り締めた時、その手が微かに震えた。
「…ハボック?」
 気がついたのかと覗き込むとハボックの唇が誰かを呼ぶように動く。
「…さ」
 ヒューズを呼んだのだと、ロイの胸がちくりと痛んだとき、もう少しはっきりとハボックの声が聞こえた。
「た…さ」
「…?」
「たいさ…どこ?」
 苦しげな声で自分を探すハボックに、ロイは僅かに目を瞠ると握る手にさらに力をこめる。
「私はここだ、ハボック」
 そう言えば、金色の睫が震えて空色の瞳が薄っすらと開かれた。
「わかるか、私はここだ、ハボック」
 重ねてそう言えばハボックが微かに微笑む。
「ここにいたんスね…」
「ああ、そうだ。ここにいる」
「よかった…アンタがいなくなったら、オレ…」
 吐息のような声にロイは目を見開く。そのまままた眠りの中に落ちていくハボックを見つめていたロイは、くしゃりと顔を歪めると噛み付くようにハボックに口付けた。


「ハボック?」
 病室に入ってきたロイはもぬけの殻のベッドに驚いてベッドの主の名を呼ぶ。命に別状はなかったもののまだ動けるような状態ではないはずなのにどこへ行ってしまったのか、ロイは廊下へ出るときょろきょろと辺りを見回した。売店を覗き、休憩所を覗いてどこにもいない事に焦りを感じながら、ロイは屋上へと続く階段を登る。屋上の扉を開けた途端、流れ込んできた爽やかな風に抱き込まれるように屋上へと足を踏み入れれば、金色の髪に陽の光を弾いて街を見下ろすハボックの姿が目に入った。
「ハボック」
 ホッとしたようにハボックを呼べば、ハボックはロイを振り返らずに言った。
「大佐。今までありがとうございました」
 突然そんなことを言い出すハボックに、ロイは驚いて近づこうとしていた足を止める。ハボックは眼下の街を見つめながら言葉を続けた。
「ずっと、大佐の優しさに甘えててすみませんでした。もう、大丈夫ですから…。だからどうぞオレのことは構わないで、大佐は大佐の生活をしてください。もう、二度と大佐の家に行ったりはしませんから」
 淡々とそう告げるハボックは、だがロイを見ようとはしなかった。ロイはそんなハボックをじっと見つめていたがゆっくりとハボックへと近づいていく。近づくロイの足音にハボックはバッと振り向くとロイを睨んだ。
「大佐」
「勝手に自己完結するな」
 ロイはそう言うとハボックを睨み返す。そうして屋上の柵にぴったりと張り付くようにして立っているハボックのすぐ側に立つと言った。
「愛してる、ハボック。愛しているんだ」
 ロイの言葉にハボックの空色の瞳が見開かれる。微かに震える唇から掠れた声が吐き出された。
「なに馬鹿なことを…」
 息を飲むハボックにロイは言葉を続けた。
「ハボック、ヒューズもお前を愛していたよ。お前がヒューズを想うのと同じ強さでお前を愛していた」
「な、に言って…」
「ヒューズには確かに家族がいたかもしれないが、それでもアイツはお前を愛していた。だからアイツはきっと幸せだったと思う」
 ロイの言葉にハボックはヒューズと最後に言葉を交わしたときのことを思い出していた。
『お前に言いたいことがある』
 もしあの時セントラルに行っていたらヒューズは何を自分に告げたのだろう。ずっと家族を裏切らせて、そのせいでヒューズに不幸を呼び寄せてしまったと思い込んでいた。それでもヒューズは幸せだったとそう言うのだろうか。
「たいさ、オレは…」
 震える声でハボックは言う。
「ずっと中佐が好きだった…」
「知ってる」
「オレのせいで中佐は…」
「それは違う、ハボック」
 ロイはハボックの頬に手を伸ばす。手のひらでその頬に触れると小さく微笑んだ。
「愛している、ハボック。お前がヒューズを忘れられないというならそれでもいい。お前が好きだ、ハボック」
 そう言われてハボックは顔を歪める。
「オレはアンタを利用したのに…一人でいるのが辛くて…アンタの優しさにつけ込んだんだ。オレにはアンタに好きだと言ってもらう資格もアンタを好きになる資格もありはしないのに…」
「それを言うなら私とて同じだ。ヒューズがお前を愛していたのを知っていたのにお前に言ってやらなかった」
 ロイはハボックの空色の瞳を覗きこむ。
「愛しているよ、ハボック。私ではダメか?」
 そう言ってまっすぐに見つめてくる黒い瞳にハボックは振り絞るように囁いた。
「怖いんです…オレが中佐に悪い運命を呼び寄せたんじゃないってどうして言えるんです?今回だって、アンタヘタしたら死んでたんスよ?」
「私がテロの標的になるのは今に始まったことじゃないだろう」
「でもっ」
「ハボック」
 有無を言わせぬロイの声音にハボックは一瞬押し黙る。だが、ゆるゆると首を振ると言った。
「やっぱダメです…それに、そんな虫のいい話、赦されるはずが――」
「誰が赦すとか赦さないとか決めるというんだっ!」
 ロイは苛々とハボックの言葉を遮る。ハボックの頬を両手で挟みこむとその空色の瞳を覗き込んで言った。
「お前が不安だと言うなら誓ってやる。私はお前を置いて死んだりしない。もし、私が死ぬ時が来たら、その時は」
 ロイはそう言ってグイとハボックを引き寄せる。
「お前も一緒に連れて行く」
 ロイの言葉にハボックの瞳が見開かれた。その綺麗な空色にロイは笑いかけると言葉を続ける。
「お前も一緒に連れて行く、決して一人になどしない」
 そう言うロイにハボックは殆んど聞こえないような声で尋ねた。
「どうして…?どうしてそうまで言ってくれるんスか…?」
「お前を愛してるから」
 その言葉に大きく見開かれた空色の瞳に涙が溢れて。
「たいさ…オレ…」
 ロイの黒い瞳が優しく微笑む。
「アンタをスキになってもいいの…?」
 はらはらと涙を零すハボックをロイは優しく抱きしめた。
「もう一度ちゃんと始めたい、ハボック」
 抱く腕に力を込めて。
「二人で始めたいんだ、ハボック」
 ロイはそう言うと、ハボックにそっと口付けた。


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