千年樹 〜eternal green〜 (第五章)


 このことがあって以来、ハボックは縋りつくようにロイを求めた。まるでロイにしがみ付いていなければ一人では立っていられないとでも言う様に。ロイもまた何も言わずにハボックを受け止めた。もう、今はこの世にいないたった一人を求め続けるハボックを、その黒い瞳で見つめながらロイはハボックを抱きしめる。そうして二人はそれぞれの想いを胸に抱いたまま体を重ねていったのだった。


「ハボック、今夜はジュリアーノ議員のホームパーティに呼ばれているんだ。食事が済んだらさっさと帰るつもりだから。家で待っていてくれ」
 そう言うロイにハボックは答えた。
「だったら今夜は遠慮しますよ。あそこのお嬢さん、アンタにぞっこんなんでしょ?きっと議員にアンタをパーティに呼んでくれって強請ったんだろうから、すぐ帰ったりしたら可哀相っスよ」
 そう言って執務室を出て行こうとするハボックにロイは重ねて言う。
「さっさと帰るから家で待っていろ」
 有無を言わさぬ声にハボックは目を見開いてロイを見つめたが、ゆっくりと目を伏せると頷いた。そうして今度こそ執務室を出て行った。


 定時に上がったハボックは一旦アパートに戻ると着替えを済ませ、近くの店で軽く食事をするとロイの家に向かった。
 あの日以来、2日と空けずにハボックはロイと過ごしていた。会食や残業で時間が遅くなる時でも、ロイは必ずハボックを家へと誘った。以前は時間さえあればデートを重ねていた筈のロイがまるで出歩かなくなっていた。
 ハボックは鍵を開けて家に入ると明かりをつける。一日締め切っていた家の窓を開けて風を通すと、ハボックは洗面所に行って溜まっていた洗濯物を洗濯機に放り込んだ。別に頼まれたわけではないが、ハボックは一人ロイを待つ間、いつもこうして家の中のことをしているのであった。
(これくらいしか出来ないし…)
 ハボックはリビングに戻ってくるとため息をつく。自分がロイの好意に甘えているという自覚はあった。ロイとてこんな風に縋りつかれてはきっと突き放すことも出来ないに違いない。いつもは突拍子もないことをする上司だが、こうやって助けを求めてくる相手には存外甘いことも知っていた。
(サイテーだ、オレ…)
 ヒューズやグレイシアたちにも散々なことをしてきた上、今度はロイにもその好意につけこんでいるのだ。
(でも、一人になりたくない。大佐に側にいて欲しい)
 そう想う気持ちが一体なんなのか、ハボックはざわつく気持ちにふたをすると力なくソファーに座り込んで深いため息をこぼしたのだった。


 さっさと帰るつもりだったが結局何だかんだと引き止められ、思いのほか遅くなってしまったロイは、急いで家に戻ってきた。灯りがついていることでハボックが来ているのだと判ってホッとしている自分に、ロイは苦く笑う。
 ハボックが失くしてしまったヒューズの代わりに自分を求めてきているのだと言うことは判っていた。そしてその事に胸が締め付けられるほど痛いのも。かつて自分はハボックがヒューズを求めるほど、強く激しく誰かに求められたことがあったろうか。今まで随分と恋愛ごとを経験し、それなりに楽しく過ごしてきた筈だったが、あんなにも誰かを焦がれたことも誰かに焦がれてもらったこともありはしなかった。ヒューズを求めるハボックの一途な姿はロイに強く焼きつき、そうしていつしか自分もハボックに惹かれている事にロイは気がついてしまった。いや、もしかしたら自覚していなかっただけで、本当はもっと前から惹かれていたのかもしれない。そうでなければあの時、自分はハボックを抱いただろうかとロイは思った。
 リビングの扉を開けて中へと入ったロイは、ハボックがソファーの上に横たわっているのに気がつく。その綺麗な空色の瞳は伏せられ、薄い色をした唇は薄く開いていた。おそらくは待ちくたびれて眠ってしまったのだろう。ロイは足音を立てないようにしてハボックに近づくとその眠る顔を覗きこむ。瞳を閉じているせいか普段より幼く見えるその頬にロイはそっと触れた。
 ヒューズが死んでからこっち、昼間は相も変らぬ様子のハボックだったが、夜は酷く不安定で夜中にうなされることもしばしばだった。いくらロイが否定しても自分を責め続けるハボックに、ロイは本当のことを告げられずにいた。本当のこと、ヒューズがおそらくはハボックが彼を愛していたのと同じようにハボックのことを愛していたことを。それを告げたらハボックはもう自分の所へは来ない気がして、ロイはハボックに何も言えずにいた。
(卑怯者だ、私は)
 こんな自分はハボックに愛を告げる資格などないだろうとロイは思う。だが、溢れる想いは時にロイを覆いつくし、飲み込んでしまいそうになる。
(ハボック、私は…)
 愛していると告げたなら、ハボックはどうするだろう。彼にしてみれば自分はただヒューズの代わりでしかないのだ。きっと酷く戸惑い混乱するに違いない。
「ハボック…」
 ロイは殆んど聞こえない声で愛しい人の名を囁くと決して表に出すことは出来ない想いをこめて、ハボックに口付けた。


「少尉、悪いのだけど…」
「わかりました、捜索隊出動します」
 困り顔のホークアイにハボックはそう言うと司令室を出ていく。いつの間にやら姿を消したロイを探して困り者の上司がいそうな場所を探して歩いた。
「今日は手ごわいな…」
 普段ならさほど探さずとも見つかる姿が今日はなかなか見つからない。ハボックは中庭や屋上にも捜索の範囲を広げたがロイの姿は見当たらなかった。
「どこ行っちゃったんだろう」
 ハボックはそう呟いた途端ぎくりと体を強張らせた。もしかしたら何かあったのかも。そんな考えが浮んでハボックは慌てて頭を振った。ここは司令部の中だ。何かあるなんてことはあり得ない。だが。
 もし、ロイもまたヒューズのように突然目の前からいなくなってしまったら。
 その考えに息が詰まったようになって、ハボックは胸を押さえた。
(たいさ、どこ…?)
 ふらつく足を叱咤してロイの姿を探す。散々探し回ったハボックは一番最初に覗いた資料室をもう一度覗いてみた。書架の間をくまなく探し、ここにもいないのかとどっと体の血が下がっていくような、そんな気がしたとき、一つの書架にはしごがかかっているのに気がついた。
(なんでこんな所に)
 はしごは書架の高い所を見るためにしては置き方が不自然だ。ハボックははしごがぐらつかないことを確かめるとそっとよじ登った。そうして。
「…たいさ」
 書棚の上の狭い隙間でくうくうと寝息を立てている上司の姿を見つけてハボックは目を見開いた。暫くその整った顔を見つめていたハボックだったが、ゆっくりとはしごを降りると床に座り込んだ。抱えた膝に顔を埋めて深く深く息を吐く。
(ダメだ…こんなこと考えちゃ)
 ハボックは心の奥底から湧き上がってくる感情に必死に蓋をしようとした。だが、そうしようとすればする程、それは強く激しくハボックを揺さぶる。
(ダメだダメだダメだ…)
 呪文のように呟くその言葉の隙間をかい潜ってハボックの目の前に現れた感情は。
 好き。
 ヒューズを失ってメチャクチャになりかけた自分を受け止めてくれた力強い腕が。
 何も言わずに寄り添ってくれたその心が。
 自分を責め続けるハボックに注がれる優しい視線が。
 ヒューズだけをずっと愛していた筈のハボックの心にゆっくりと入り込んで、そうしてハボックを飲み込んでいく。
(ダメだ、こんなの…っ)
 ハボックは胸を焦がす想いを抱きしめて唇を噛み締めると、抱え込んだ膝の間に顔を埋めるのだった。


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