千年樹 〜eternal green〜 (第三章) |
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『じゃあ、今回はこっちに来ないのか?』 「どうしてもオレじゃなきゃいけない用事じゃありませんし、オレもこっちでやること溜まってるんで」 ハボックがそう言えば電話の向こうでヒューズがため息をつくのが聞こえる。いつになく落胆した様子のヒューズに何も言えずハボックが黙り込んでいると、ヒューズが言った。 『お前に話したいことがあったんだが…』 「オレに?今言えばいいじゃないっスか」 『電話じゃ言えね。』 ヒューズはそう言うともう一度ため息をつく。 『まあ、仕方ないな。今度来た時に話すわ』 そう言って、じゃあなという声と共に回線が切れる。ハボックは切れてしまった電話を暫く見つめていたがやがてゆっくりと受話器を置いた。 「なんだろう、話したいことって」 ハボックはそう呟くとため息をつく。先日セントラルに出張に行った時、ハボックはエリシアが眠るすぐ横でヒューズに抱かれた。穏やかに眠る幼い顔を目の端に捉えながらヒューズに抱かれて、ハボックは自分のしていることがどれ程罪深いことかを思い知らされたような気がした。あれほど自分に良くしてくれるグレイシアを、自分に懐いて笑いかけてくるエリシアを、ハボックは最低な形で裏切っているのだ。彼女達の大切な夫であり父親であるヒューズと関係を持つ事によって。だが、どれほど罪深い行為だと自覚したとしても、ハボックはどうしてもヒューズへの想いを断ち切ることが出来なかった。ヒューズに会えばまたきっと自分は彼女達を裏切ってしまう。だからハボックにはできるだけヒューズに会う機会を減らすしか道はなかった。会わなければ少なくとも最低な行為を避けることが出来る。たとえ赦されない想いを抱いていたとしても、ほんの少しだけでも彼女達の好意を蔑ろにしないでいられると、そう思って。もっとも、そんなことはただの自己満足にしか過ぎないこともハボックにはよく判っていた。 (最低だ、オレ…) 合わないようにしようと決めた側から会いたくてたまらない自分がいる。会いたくて抱かれたくてヒューズに犯されることを望んでいる自分がいて。 (もう、めちゃくちゃだ…) ハボックは置いた受話器を握り締めたまま唇を噛み締めた。 その翌日。 外回りの仕事を終えたハボックがシャワーを浴びて汗と泥を流してさっぱりしたところで、司令室の扉を開けた途端、ロイの怒号が飛び出してきた。バタバタと慌てたように司令部を飛び出していくフュリーに電話に向かって怒鳴るブレダ。騒然とする司令室の様子にハボックは凍りついたように立ち尽くした。受話器を置いたブレダに向かってようやく口を開いたハボックに、ブレダが青い顔をして告げる。 「ヒューズ中佐がやられた」 「…え?」 「大佐に何か伝えようとして電話してきたところを殺されたんだ」 「殺され…」 「とにかく今、セントラルと連絡とって詳しいことを聞いているところだ」 ブレダはそう言うとリンと鳴った電話を取り上げた。電話に向かって怒鳴っている筈のブレダの声がハボックには全く聞こえてこない。ブレダの声だけではなく、騒然としていた司令室を埋め尽くす声や電話のベルでさえ、ハボックには聞こえなかった。何も聞こえない世界でハボックは先ほどのブレダの声だけを聞く。 『ヒューズ中佐がやられた』 『電話してきたところを殺されたんだ』 何度もリフレインされる声にハボックは足元が崩れていくような錯覚に陥った。 (死んだ…中佐が…殺された…) 呆然と立ち尽くすハボックの腕をブレダが強く引く。 「おいっ、ハボ!大丈夫かっ?!」 「あ…うん…信じらんなくて…」 「俺だってそうだよ。でも大佐がその電話に出てたんだ。信じたくないけど…」 ブレダはそう言うとハボックの腕をぐっと掴んだ。 「とにかく一刻も早く情報集めないと。お前も手伝え」 そう言われてハボックは頷く。言われるままに受話器をとってハボックは、混乱に麻痺した心でただ受話器から聞こえてくる声を聞いていたのだった。 セントラルで行われたヒューズの葬儀に出席したロイは、色々と情報を集めた後イーストシティへと戻ってきた。夜遅くまで働いて、だが遅々として進まぬ調査に苛ついた心を静める為、ロイはいきつけのバーへと足を運ぶ。カウンターで一人酒を飲みながら、志半ばにして死んでしまった親友に思いを馳せた。 (先に逝くなんて…) そう思ってグラスに口を付けたロイの脳裏に、最後に一緒に飲んだときのヒューズの顔が浮かぶ。いつも賑やかなヒューズにしては珍しく物思いに耽る様子で呟いたことをロイは思い出していた。 「なあ、ロイ。俺にはさ、すげぇ美人で女神様みたいな奥さんと天使みたいに可愛い娘がいるわけよ」 「ああ、イヤになるほど聞いた」 「そんな家族がいたら、それで満足しなきゃダメなんだよな」 いつもの自慢話になるとばかり思っていたロイは、ヒューズの口から零れた思いがけない言葉に驚いて目を瞠った。だが、自分のグラスを見つめていたヒューズはロイの表情には気づかずに言葉を続ける。 「満足しなきゃいけねぇのに、俺にはどうしても欲しいもんがあるんだよ。どうしても…」 ヒューズはそう言ってグラスを握り締めた。 「あのあったかい金色が欲しい…誰にも渡したくねぇ。誰にも…」 「ヒューズ?」 囁くようなヒューズの声に思わず名を呼んだロイの声に、ヒューズはびくりと体を震わせると視線を上げた。慌てたようにロイを見ると困ったような笑みを浮かべる。 「わり…今の聞かなかった事にしてくれ」 そうしてそれきり黙りこんでしまったヒューズの横顔を、ロイは言葉もなく見つめたのだった。 (グレイシアを誰よりも愛していたアイツがあんなことを言うなんて…) あの時のヒューズの思いつめた顔を思い出してロイは思う。ヒューズが言っていた「金色」とは一体誰のことなのだろう。ヒューズが死んでしまった今となってはもう、知る術もないことだということに気づいて、ロイは緩く首を振る。結局ヒューズは彼の望むものを手に入れたのだろうか、ロイはそんなことを考えて酒を一気に飲み干すと、立ち上がって店を出たのだった。 もうだいぶ夜も更けた街並みをロイは酔いで僅かに火照った頬に風を受けながら歩いていた。明日のことを考えたらもう家に帰って休むべきなのだろうが、ロイはどうしてもそのまま帰る気になれず当てもなく道を歩いていた。ふと聞こえてきた争う声に視線を上げれば、見慣れた金髪が目に入ってロイは僅かに目を瞠る。いつも喧しいほどに明るいその部下の荒れた様子をロイは信じられないものを見るように見つめた。数人の男達と言い争っていたハボックは突然相手に殴りかかった。瞬く間に乱闘と化してしまったそれに、ロイは慌てて駆け寄ると大声を上げる。 「おいっ、よさないかっ!!」 ロイの声にハボックを殴りつけていた男達がバラバラと逃げていった。ロイは地面に横たわって胸を弾ませるハボックに呆れたように声をかける。 「何をやっているんだ、お前は。軍人が一般市民と喧嘩だなんて」 そう言うロイをハボックは黙ったまま見上げていたが、やがてゆっくりと立ち上がると口元に滲む血を乱暴に拭った。何も言わずに歩き出そうとするハボックをロイは思わず腕を引いて引き止める。 「おい、ハボック」 そう声をかけたものの自分を見下ろす瞳に浮ぶ、怒りとも悲しみともつかぬ激しい感情に続く言葉を失ってしまう。ロイの手を振り払って歩き出すハボックを、ロイは慌てて追いかけた。 「どこに行くんだ」 「…アンタに関係ないでしょ」 「ハボック、いったいどうし――」 「アンタに関係ないだろっっ!!ほっとけよっ!!」 振り向きざまそう怒鳴るハボックにロイは絶句する。逃げるように走り出すハボックをロイは追いかけて走った。何度もつまずきながら走るその背に、尋常でないものを感じてロイはハボックを追いかける。あっと思ったとき、目の前で転んで地面に突っ伏すハボックに、ロイは走り寄るとその肩に手を伸ばそうとして。 「あああああっっ!!」 突然大声を上げたハボックにロイはギョッとして手を引っ込める。ハボックは地面に這いつくばって叫び続けていた。血を吐くようなその叫びにロイはかける言葉を見つけられずに呆然と立ち尽くす。ぼろぼろと涙を零しながら叫ぶハボックをロイは黙ったまま見つめ続けた。一体どれだけそうしてハボックを見つめ続けていたのだろう。いつの間にか叫ぶのをやめていたハボックは地面に蹲ってただ静かに涙を流していた。そのあまりに静かな様子に、ロイはかえって胸がえぐられるように感じてそっとハボックの肩に触れる。 「ハボック、こんなところにいても仕方がない。立てるか?」 そう言って手を貸せばハボックは無言のまま立ち上がった。涙に濡れた頬をかくすでもなくただ黙ったまま立ち尽くすハボックの手をとるとロイはゆっくりと歩き出す。そうして十数メートルも歩いた時、ハボックがぼそりと言った。 「どうしてアンタは平気でいられるんです?」 「え?」 立ち止まったハボックにつられるようにして足を止めたロイはハボックを見つめる。 「アンタの親友だったんでしょ?なのにどうしてそんなに平気でいられるんスか?」 「ハボック?」 「死んじゃったんですよっ?そんな平然としてっ!アンタは…っ!」 「ハボックっ」 突然喚きだしたハボックの肩をロイはぐっと掴んだ。 「ハボック、少し落ち着け」 「親友だったのに、なんでそんな顔してられんだよっっ!!悲しくないのかっ?!」 「ハボっ」 「殺されたんだぞっ!!死んだんだっ!!死んじまったんだっ!!」 ロイの言葉などとても耳に入っていない風で喚き続けるハボックにロイは僅かに顔を歪めると、長身の部下の腹めがけて拳を打ち込んだ。一瞬目を見開いて、くたりと弛緩する体をロイは支える。憔悴しきったハボックの顔を見下ろしてため息をつくと、ロイはハボックの体を抱えあげた。そうして夜の道を家へと向かって歩き出したのだった。 |
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