| サイゴまで 3 |
| 夜の街を必死に走ってロイはレストランやバーが立ち並ぶ界隈へとやってくる。ハアハアと肩で息をしながら目的の店を探した。 「ノアール……ノアール…、どこだっ?!」 ブレダから聞いた名前の看板を探して視線を巡らせる。きらびやかなネオンが瞬く中、しっとりと落ち着いた風合いの小さなバーが“ノアール”の看板を掲げているのを見つけて、ロイは慌てて扉に駆け寄った。 「ここか」 ロイはそう呟いて店の扉をそっと押す。途端に低いジャズの音が聞こえて、ロイは躊躇いがちに店の中へと入った。店はその名前にあわせてだろう、黒を基調とした落ち着いた装飾が施されている。ぐるりと店の中を見回せば、すぐにハボックの金髪が目に飛び込んできた。 ロイは寄ってきた店員を軽く手を振って退けるとカウンターに座るハボックの背をじっと見つめる。ハボックの側には誰の姿もなく、ロイは例の美女は席を外しているのだろうと思った。 (来たはいいけど……なんて声をかけるつもりなんだ、私は) ハボックは自分のものだから手を出すなとでも言うのだろうか。例えそう言ったとして、ハボックが否定しないとどうして言えよう。なんと言ってもアタックしてきているのは自分と違ったれっきとした女性で、しかもハボック好みの胸の大きいとびきりの美女なのだ。 (そんな事になったら惨め過ぎる……) ロイはそう考えて足下に視線を落とす。そっとため息をついて緩く首を振ると踵(きびす)を返して店から出ようとした。その時。 「来てたんスか、大佐」 「ハ、ハボっ?!」 声と共にグイと腕を引かれて、ロイは驚いて目を瞠る。面白そうに見下ろしてくる空色を見上げて、ロイは慌ててハボックの手を振り解いた。 「いつ来たんです?声かけてくれりゃいいのに」 「べっ、別にいつだっていいだろうっ、大体女性と二人で来てる奴に声なんてかけるほど野暮じゃないぞ、私は!」 「女性と、って、一人っスけど、オレ」 「え?」 ハボックは言ってさっきまで座っていたカウンターを指さす。確かにそこには一人分のグラスしか置いておらず、ロイは訳が判らず目を丸くした。 「え?だってブレダ少尉がハボックが美女と一緒に飲みに行ってるって」 「ブレダがなんですって?」 呆然として呟けば降ってきた声にロイは慌てて首を振る。 「や、なんでもないっ、なんでもっ!」 ぶんぶんと音がしそうなほどの勢いで首を振るロイに、ハボックはクスリと笑って言った。 「まあ、いいや。せっかくだし飲んで行きませんか?ね?大佐」 「え?……あ…うん」 にっこりと笑いかけられて、ロイは断る事も出来ずにおずおずと頷く。カウンターのハボックが座っていた場所に並んで腰を下ろすと、ハボックがロイの為にダイキリを注文した。 「じゃあ、カンパーイ」 ハボックはロイが持つグラスにチンと自分のグラスを当てて言うとクイと酒を傾ける。ロイの顔を下から覗き込むようにして言った。 「調べ物は?もう終わったんスか?」 「えっ?……あ、ああ、まあ一応」 聞かれてロイは慌てて頷く。 「よかった、あんまり根詰めちゃ駄目っスよ?アンタ、夢中になると見境ないから」 ロイの言葉にハボックはにっこりと笑った。グラスを傾けるその横顔をロイはじっと見つめていたが、やがて躊躇いがちに尋ねた。 「毎日誰かと飲んでたのか?」 「んー、毎日飲みに行ってたら財布がもたないんで。二回ばかし小隊の連中と飲みに行ったっスけど、後はデリ買って帰ったり、ここで一人で飲んでたりっスね」 「一人で?」 噂の美女と一緒ではなかったのかとロイは驚いた様に尋ねる。ハボックはチラリと店の装飾に目をやって言った。 「この店、結構いいっしょ?黒を基調に落ち着いた感じで。名前も“ノアール”だし、アンタの色だなぁって」 「え?」 「今度連れてこようと思ってたんスけど、大佐も知ってたんだ」 そう言われてロイは困ったように俯く。嫉妬と不安に駆られてブレダから聞き出した店を探してやってきたなど、ロイはとても言えなかった。 「大佐?疲れちゃいました?」 黙り込むロイにハボックが優しく尋ねる。ロイがコクンと小さく頷けば、ハボックはロイの肩を叩いて言った。 「じゃあ帰りましょうか、送るっスよ」 ハボックは言ってバーテンを呼んで会計を済ませる。促すハボックの声に、ロイはスツールから立ち上がるとハボックについて店を出た。 「うわ、寒ッ」 店を出た途端、ピュウと吹き付けてきた風にハボックが首を竦める。肩越しに振り向いてハボックは言った。 「この間まであんなに暑かったのに急に寒くなったっスね。……アンタ、細いから寒そうだなぁ」 ロイの細い体を見てハボックが言う。ロイはムッとして俯けていた顔を上げるとハボックを睨んだ。 「別に寒くなんてない」 ロイは言ってハボックを追い越して歩き出す。そのピンと伸びた背を見つめてハボックは笑みを浮かべると追いかけてきて言った。 「嘘ばっか。肩に力が入ってるっスよ」 「ッ、力なんて入って───」 背後からかかった声に言い返そうとしたロイは、フワリと肩にかけられた上着に目を瞠る。驚いて見上げればハボックが笑って言った。 「アンタすぐ風邪引くからそれ着てて」 ハボックはそう言うとロイを追い抜いて歩いていく。アンダーの黒いTシャツ一枚の後ろ姿に、ロイは慌てて駆け寄った。 「馬鹿か、お前が風邪引くだろうが!」 「オレなら鍛えてるから平気っス」 「私だって鍛えて───」 そう言い返しかけた唇を、ハボックのそれが不意に塞ぐ。チュッとキスを落として僅かに離すと、ハボックは見開いた黒い瞳を間近に見つめて言った。 「いいから着てて、ね?」 そう言って顔を離したハボックはにっこりと笑って歩き出す。ハボックの上着の前を合わせるようにギュッと握って立ち竦んでいるロイに、ハボックが言った。 「大佐!早く帰りましょ!」 その声にロイはハッとして慌ててハボックを追う。ハボックの隣に並んで歩きながら、ロイは長身を見上げて言った。 「本当に寒くないのか?」 「オレ、風の子だから」 ハボックはにっこりと笑ってそう答える。ポケットに手を突っ込んで煙草の煙を風になびかせて歩くハボックの横顔をじっと見つめていたロイの顔に、ゆっくりと笑みが浮かんだ。上着の襟を引き寄せるようにして顎を埋めればハボックの匂いが鼻を掠める。そうして二人はなにも言わず、夜の街を並んで歩いていった。 「じゃあ、おやすみなさい」 ロイの家の前まで来るとハボックは言って足を止める。上着を返して貰おうと伸ばしてくる手をチラリと見て、ロイは上着を羽織ったままステップ上がり鍵を開けた。 「大佐、上着!」 流石にこのまま帰る気にはなれず、ハボックが返してくれとロイに言う。だが、ロイは上着を離さずに答えた。 「寄って行け。少し暖まってから帰った方がいい。別に急ぐ理由はないだろう?」 「大佐!」 振り向かずにそれだけ言って家の中に入っていってしまうロイを、ハボックは慌てて追いかける。スタスタと奥へ行ってしまうロイに、ハボックは仕方なしに扉に鍵をかけ中へと入った。 「大佐」 「寒いな、外と変わらん」 「エアコンつけましょうか」 リビングの中央に立ってボソリとそう呟くロイに、ハボックはセントラルヒーティングのスイッチを入れる。羽織った上着を引き寄せるようにして立っているロイは酷く寒そうで、ハボックは小首を傾げて言った。 「何か温かいものでもいれましょうか?あ、風呂、沸かします?」 寒いなら芯から暖めた方がいいだろう。ハボックはリビングを出ると浴室を探して歩く。見つけた扉を開けて中に入ると、湯船に湯を出してリビングに戻った。 「すぐ沸くっスから。今何か温かいもの淹れたげますからそれ飲んで待っててください」 ハボックはリビングに立ったままのロイに言ってキッチンに入っていく。棚を勝手に開けてコーヒーを見つけると、冷蔵庫のミルクを出してカフェオレを作りロイのところへ持っていった。 「そんなとこ突っ立ってないで、座ったらどうっス?」 ハボックが苦笑混じりに言えば、ロイはハボックをチラリと見てソファーに腰を下ろす。差し出されたカップを受け取ってフーフーと息を吹きかけて飲むロイに、ハボックはコーヒーを飲みながら言った。 「オレはこれ飲んだら帰りますから。ちゃんとあったまって、髪、きちんと拭いてくださいよ。濡れたままだと風邪引くっスからね」 子供に言い聞かせるようにそう言ってハボックはコーヒーを飲んでしまう。キッチンでカップを洗って伏せると、ハボックはロイに手を伸ばして言った。 「んじゃ帰りますんで。上着返してください」 「やだ。まだ寒い」 だが、ロイは上着を引き寄せるようにして縮こまってそう言う。ハボックは呆れたように目を見開いて言った。 「もう結構あったかいっスよ、この部屋。風呂だって沸いてるんだから浸かってくりゃいいじゃないっスか」 「まだ寒い。それに風呂に入ったら体を洗ったり髪を乾かすのがめんどくさい」 「あのねぇ」 「駄々をこねた子供のような物言いにハボックがため息をつく。ロイはそんなハボックをじっと見上げて言った。 「お前も風呂に入ればいいんだ。風呂に入っていけ」 「はあ?」 「そうしたら洗ったり乾かしたりしなくてすむ」 言って挑むように見上げてくる黒い瞳に、ハボックは少し考えてから言った。 「今日が『次回』になっちまうかもしれないっスよ?」 「望むところだ」 精一杯の虚勢を張ってそう言うロイにハボックは僅かに目を瞠る。それからフッと笑って言った。 「じゃあ一緒に風呂、入りましょうか?」 「……おう」 顔を真っ赤にして答えるロイに、ハボックは笑って手を伸ばすとその細い体を引き上げた。 |
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