サイゴまで 2


「ブレダ少尉」
「ああ、はい。すぐ用意しますんで玄関で待っててください」
 執務室の扉を開けて部下の少尉に声をかければ、もう帰り支度を済ませていたブレダが立ち上がりながら言う。足早に司令室を出ていく背中を見送ったロイは、部屋に残るもう一人の少尉をチラリと見た。そうすればこっちを見つめる空色の瞳とばっちり目が合って、ロイは慌てて目を逸らす。そうすればハボックがクスリと笑って言った。
「今日はもう上がりっスか?」
「えっ、……ああ、今日中に済ませなければいけない分は終わったんでな」
 ハボックの質問にロイは目を合わさずに答える。ハボックはロイの白い横顔を見つめながら言った。
「オレも丁度終わったとこなんスよ。せっかくだし、一緒にどっかメシでも食いに行きませんか?」
「やっ、わっ、悪いが今日は家で調べものがあるんで帰るよッ」
「そうっスか、そいつは残念」
 ロイの言葉にハボックが肩を竦める。ガタリと音を立てて立ち上がれば、ロイの肩がビクリと震えるのを見ながらハボックは言った。
「仕方ないっスね。一人で食うのも味気ないし、適当に誰か誘う事にしますよ」
「……すまん」
「いや、気にせんでください」
 申し訳なさそうにぽつりと言うロイに笑って、ハボックは『それじゃ』と手を振って出ていく。背の高い後ろ姿をぼんやりと見送っていたロイは、ハッとしてふるふると頭を振ると慌てて玄関へと出ていったのだった。


 先日デートをして以来、ロイはハボックと二人になるのを避け続けていた。『次回』のデートの話を持ち出されないようにするのが目的だ。別にこの間のデートでハボックと付き合うのはこりごりだと思ったわけではなく、ただハボックが残した言葉にどうすればいいか判らないでいるだけなのだが。
『んじゃ、次回までに心の準備しておいてくださいね』
 ロイはハボックの言葉を思い出してため息をつく。知らず紅く染まった頬を車の窓ガラスに押しつけたロイは、横目で窓の外を流れる景色をぼんやりと見つめた。
(どうしたらいいんだろう)
 ハボックの事は好きだ。ずっとずっと好きで、漸く想いが通じ合えた時は本当に嬉しかった。ハボックとのキスだってもの凄く嬉しかったのに。
「はあ……」
 ハボックの唇は思ったより柔らかく、とても熱かった。その唇が己のそれを塞いだ時はドキドキした。熱く濡れたそれが唇から項へと移り、体のあちこちへ押し当てられればまるで火がついたように熱くて。
「……ッ」
 その時の熱さを思い出してロイは慌てて首を振る。それから窓の外を眺めてため息をついた。
 『次回』、ハボックが望むすべての場所にキスを赦したなら自分はどうなってしまうのだろう。そう思えば俄に不安になって怖じ気付いてしまう。ロイはどうしていいのか判らずに、ただため息を零して窓の外を見つめていたのだった。


「…………」
 ブレダはミラー越しにため息を零すロイを見てげんなりと肩を落とす。なにがどうしてロイがハボックから逃げているのか判らないが、ハボックの代わりにと送迎を命じられてからというもの、ブレダは毎日毎日頬を染めたロイの熱いため息を聞かされ続けていた。
(ったく、どうしていつも俺を巻き込むんだ……)
 男同士で付き合おうが、他人の嗜好をとやかく言うつもりはない。だが、上司の自分の友人を想う恋する眼差しやら熱いため息なぞ聞かされるのは、ごめん被りたかった。
(ハボの奴っ、俺をノイローゼにさせる気かッ)
 ブレダは背後にロイのため息を聞きながら、恐らくは諸悪の根元である友人を内心罵り続けていたのだった。


「おはよ、ブレダ……って、どうしたんだ、すげぇ顔して」
 司令室の扉が開く音に振り向いて朝の挨拶を口にしたハボックは、友人の顔を見て目を丸くする。ブレダはそれには答えず自席にドサリと腰を下ろすと、ハボックをじっと見据えて言った。
「おい、もういい加減にしろ」
「へ?」
「大佐だ」
 そう言って執務室の扉に視線を向けるブレダにつられて、ハボックも目を向ける。それからブレダに視線を戻してハボックは尋ねた。
「大佐がどうしたって?」
 まるで判りませんと言う感じで首を傾げるハボックにブレダはバンッと机を叩いて立ち上がる。驚いて見上げてくるハボックを睨みつけたブレダは、がっくりと倒れ込むように椅子に体を戻した。
「毎日毎日車の中で顔を紅くしちゃため息ばっかり。そんなのを一週間も聞かされる身になってみろ!」
「……お前、大佐相手にもよおすなよ。赦さねぇぞ」
「誰がもよおすかッッ!!」
 眉を顰めてそう言うハボックにブレダがガオと吠える。それからがっくりと椅子に沈み込んで言った。
「お前が大佐と付き合おうがどうしようが何も言う気はねぇ。だが頼むから俺をゴタゴタに巻き込まんでくれ」
 本気で疲れきってそう言うブレダにハボックはフムと考える。それから身を乗り出すようにして言った。
「じゃあさ、ブレダ、ひとつ頼まれてくんねぇ?」
「……巻き込むなと言ったのが聞こえなかったのかよ?」
「最後だと思ってひとつだけ。これ以上続くよりいいだろ?」
 そう言うハボックをブレダは目を細めて見つめる。
「……なんだ?」
「ありがと、ブレダ。あのさ」
た め息混じりに聞いてくるブレダに礼を言って、ハボックは頼み事を口にしたのだった。


「今日も家帰って調べものっスか?」
「ああ、まあな」
 仕事を済ませて帰ろうとすればそう声をかけてくるハボックにロイは答える。『大変っスね』と言いながら立ち上がったハボックは、灰皿に煙草を押しつけて続けた。
「じゃ、オレは約束があるんで」
 ハボックはそう言って笑うと先に司令室を出ていく。その背を見送ってため息をついたロイは、コートを手に自分も司令室を出た。玄関に行ってブレダが用意していてくれた車に乗り込む。ここのところ毎日そうしているように、この日も冷たい窓ガラスに熱い頬を押しつけたロイにハンドルを握るブレダが言った。
「最近あんまりハボの奴と一緒のとこ見ないですけど、あいつ、何か言ってましたか?大佐」
「え?」
 普段はあまり話しかけてこようとしないブレダにそんな事を言われて、ロイは驚いて窓の外へ向けていた視線を正面に戻す。ミラー越しにブレダを見れば、チラリと一瞬視線を向けてブレダが言った。
「いや、アイツ、この間から総務課の美人に猛烈アタックされてるらしいんですよ」
「えっ?」
「一人でメシ食ってたら彼女が寄ってきて、それ以来一緒にメシ食ったり飲みに行ったりしてるらしいですよ。まあ、アイツには大佐がいるし、アタックされたからって流されたりはしないでしょうけど」
 そんな風に話すブレダの言葉を聞いていたロイの頬から赤みが消えていく。何も言わないロイに構わずブレダは続けた。
「その彼女、すっげぇボインで美人なんですよね。昔のハボックならイチコロって感じで。ちょっと惜しかったかもとか思ってたりして」
 おかしそうにそう言いながらブレダはスピードを上げる。程なくして家につけば、肩越しにロイを振り向いて言った。
「つきましたよ、大佐。お疲れさまです」
 ブレダは言って運転席から降りるとロイの側の扉を開ける。開いた扉から降りたロイは、何も言わずに玄関へと歩いていった。のろのろとステップを上がりポケットを探る。ブレダがじっと見つめる中、ロイはポケットから取り出した鍵を鍵穴に差し込もうとしてチャリンと取り落とした。ロイはしゃがんで鍵を拾うともう一度鍵を差し込もうとする。だが、今度はその手前で鍵を握ったままロイは俯いて動かなかった。
「大佐、どうかしましたか?」
 ロイが家に入って灯りをつけるのを車の側で待っているブレダが言う。その声にピクリと肩を跳ね上げたロイはゆっくりとブレダを見た。
「大佐?」
「……ハボックがどこの店に行ったか、知ってるか?少尉」
「ノアールって言ってましたけど」
「ノアールだなっ!」
 店の名を聞いた途端、ロイはステップを飛び降り駆け出していく。
「大佐!行くなら車で……って、行っちまったよ」
 もの凄い勢いで走っていくロイの背にブレダが声をかけたが、ロイは振り向きもせずに行ってしまった。
「ったく、手間のかかる。後で奢れよ、ハボ」
 ため息混じりに言って苦笑すると、ブレダは車に乗り込んだのだった。


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