| カストルはポルークスの夢を見るか 第八章 |
| ハボックはシーツを握り締めたまま呆然と立ち尽くしていたが、ハッとして辺りを見回すと手にしたシーツをゴミ箱に突っ込む。ランドリースペースから飛び出し足音も荒く2階へと駆け上がっていった。さっきまで自分が寝ていた寝室ではない他の寝室へ入ると片っ端から寝具を確かめる。だが、そこには何の痕跡も残されてはおらず、ハボックはうろうろと部屋の中を歩き回った。そうするうち今朝のロイの姿が頭に浮かぶ。青白く血の気のなかったその顔を思い出して、ハボックは目を見開いた。 「まさかオレがいる間にヤられたって事か…?」 夕べ、食事を済ませたあたりまではロイに変わった様子はなかった。そうであれば自分が頭痛で身動き出来なかった間に何かあったとしか思えない。 「そんな……オレ、ここにいたのに…」 頭痛のせいで役立たずになっては目も当てられないと思ったのはほんのついさっきの事だ。こんな最悪な事が起きるとは、自分が死ぬより部隊が全滅するより最低だとハボックは思った。 「なにやってんだよ、オレは……ッ!!」 がっくりと跪いてハボックは頭を抱える。 「大佐を守るとか言ってたくせに…っ」 誰よりも大切な人を守りきれなかったと、ハボックは床に蹲って嗚咽を零したのだった。 「…………」 そうして暫く蹲っていたハボックだったが、不意に沸き上がってきた痛みに頭を抱えていた手に力を込める。背中を冷たい汗が流れて、ハボックは歯を食いしばった。 「くそ…っ、どうなってんだ、オレの体…っ」 そう呻くように言うとよろよろと立ち上がる。2歩3歩と歩いたものの酷い頭痛で目眩がして足下がおぼつかない。倒れるように壁に縋ったハボックは、体を支えようとして目の前にあったクローゼットの取っ手に掴まった。 「う、わ…ッ」 掴まったハボックの重みでレバー式の取っ手が下に下がる。スーッと開いた扉に引っ張られる形で、ハボックは扉が開いたクローゼットの前に倒れ込んだ。 「い……つぅ…ッ」 低く呻いて頭を振ったハボックは立ち上がろうと顔を上げる。そうすればクローゼットの中に置いてあった姿見の中の自分と向き合った。 「………え?」 生まれた時から付き合ってきた自分の顔。よく見慣れた筈のその顔がまるで違う男のもののように見えて、ハボックは目をこすった。こすった目を何度かしばたたいてもう一度鏡の中を覗き込んだハボックが、自分を見つめ返すアイスブルーの瞳に目を瞠ったのと、鏡の中の男が楽しそうに笑ったのがほぼ同時だった。 『よお、やっと気づいたのか、このボンクラ』 「な…ん……」 ニヤリと笑う男をハボックは呆然と見つめる。鏡に手を突いて鏡にくっつかんばかりに顔を寄せた。 「だれだよ、お前……っ」 『俺はジャクリーンだ』 うっすらと笑みを浮かべて男は答える。その馬鹿にしたような笑みにハボックはカッとなって言い返した。 「ジャクリーンはオレだっ」 『お前はハボックだろう?お前みたいな腑抜けはジャクリーンじゃない』 「なんだとッ!」 腑抜けなどと言われてハボックは鏡を殴る。ビリビリと鏡が震えたが、中にいる男は露ほども衝撃を感じた様子もなく平然と言った。 『事実だろう?腑抜けを腑抜けと言ってなにが悪い。現実を見つめる勇気もなくて、甘っちょろい恋愛ごっこで相手を幸せにしてる気になって、真実を見抜けもしない。そんな奴が腑抜けでなくてなんと言うんだ?』 「この野郎…ッ」 嘲笑うように言うジャクリーンをハボックは睨みつける。そんなハボックをじっと見返してジャクリーンは囁いた。 「お前……本当に覚えていないのか…?」 「は?なにを覚えてるって…」 心の奥まで見透かすようなアイスブルーの瞳にハボックは目眩を覚える。ぐらぐらと揺れる頭を片手で押さえた瞬間、ハボックの脳裏にフラッシュバックのようにロイの顔が浮かんだ。 “やめてっ、ジャクリーン…ッッ!!” そう叫んだ涙を浮かべたロイの顔。苦痛と困惑とそして与えられる快楽に歪んだ白い顔が目の前にはっきりと浮かぶ。それと同時に貫いた肉の蕩けるような熱さまでもがまざまざと蘇った。 “ジャクリーン!!” そう叫んだロイの瞳はまっすぐに自分を見つめていたのではなかったろうか。 「そんな……」 ハボックはそう呟いて鏡の中を見つめる。ジャクリーンは信じられないと見開かれた空色の瞳を見て、ハボックが気づいた事を察するとにんまりと笑った。 『思い出したか?ロイを傷つけたのは他ならぬお前自身だ』 「違うッ!!」 『違わないさ。思い出したんだろう?あの時のロイの顔』 その言葉に必死に首を振るハボックにジャクリーンは笑う。 『本当はああやってロイをめちゃくちゃにしたいくせに偽善者ぶって甘い顔して。ロイの事だけじゃない、お前は本当は───』 「黙れッ!!」 ダンッッ!! と、ハボックはジャクリーンの顔めがけて両方の拳を叩きつける。だが、ジャクリーンはそんな事はものともせずに言った。 『なあ、俺と代われよ。俺がお前の代わりに全部やってやる。だから俺を外に出せ、俺にその体を寄越せ、ハボック』 「うるさいっ、この体はオレのもんだっ!誰がお前なんかにッ!!」 『俺の方がよっぽどその体を役に立ててやれる。俺と代われ、ハボ───』 「黙れ、黙れ、黙れ───ッ!!」 ハボックはそう叫んでクローゼットの中にしまってあった小さなラジオを掴む。そのまま力任せにラジオを鏡に叩きつけた。 ガシャーーーンッッ!! 高い音と共に鏡が砕け散る。ハボックはハアハアと肩で息をしながら砕けた破片の中に座り込んでいた。ジャクリーンの声が聞こえなくなってホッと息を吐いたハボックは、あたりに散らばる鏡の破片に目をやってギクリとする。 「───ッ?!」 無数の欠片の中から見つめてくる数え切れないほどのアイスブルーの瞳。 「う…わあああああッッ!!」 無数の瞳に見つめられて、ハボックの唇から絶叫が迸った。 「あっ」 仕事の合間にコーヒーを飲もうとしたロイは、半分上の空で伸ばした手でカップを払い落としてしまう。あっと思った時にはカップは机の上から落ちて床の上で割れてしまった。 「しまった!」 ロイはそう叫んで慌てて立ち上がると割れたカップに手を伸ばす。床に広がるコーヒー溜まりにどうしようかと思っていると、軽いノックの音がしてホークアイが入ってきた。 「あら」 ホークアイは割れたカップと零れたコーヒーを前にしゃがみ込むロイの姿を見て目を丸くする。それから手にした書類を机に置いて言った。 「私がやりますから大佐は書類をお願いします」 「あ、ああ。すまない」 言われてロイは決まり悪そうに答えるとカップをそのままに席に戻る。ロイが書類に手を伸ばす間にホークアイは執務室を出ていくとモップとちりとりを手に戻ってきた。手早く破片を片づけ、モップでコーヒーを拭き取ると再び執務室を出て、次に戻ってきたときにはトレイにコーヒーのカップを載せてきた。 「どうぞ」 そう言って差し出されたカップをロイは受け取る。 「ありがとう」 そう礼を言えば微笑むホークアイの顔に、なんだか手の掛かる子供になったような気がして、ロイは顔を赤らめた。 「そう言えばあのカップはハボックが買ってきた奴だったな」 コーヒーを啜りながらぼそりと言えばホークアイが苦笑した。 「文句は言わないんじゃないでしょうか」 そう言うホークアイをロイは意外そうに見上げる。 「彼なら最初に大佐が怪我をしなかったかを気にするような気がします」 なるほど、確かにハボックならそうかもしれない。 ロイは執務室の窓から空を見上げると、今日は早く仕事を済ませて少しでも長く傍にいてやりたいと思うのだった。 |
| → 第九章 |
| 第七章 ← |