カストルはポルークスの夢を見るか  第七章


「ん……」
 カーテンの隙間から入り込んだ陽射しが丁度顔に当たって、ハボックは眠りの淵から引き戻される。ゆっくりと目を開けて天井をじっと見上げていたハボックは首を傾げた。
「あれ…?」
 この天井には見覚えがある。ロイの家の寝室の天井だ。だがハボックには自分がロイの家のベッドで寝ている経緯が思い出せなかった。
「夕べはどうしたんだっけ……」
 ロイの家に来て夕飯を作り一緒に食べたのは覚えている。
「一緒にメシ食って、それからデザート出したんだ。大佐がすげぇ嬉しそうにしてて………」
 嬉しそうにデザートを食べるロイの顔を思い出してハボックは目を細めた。あの顔が見たくてついついデザートまで作ってしまうのだ。
「……じゃなくて」
 脇に逸れてしまった思考をハボックは軽く頭を振って引き戻す。デザートを食べるロイの顔は思い出したものの、自分自身がそのデザートを食べた記憶がなかった。
「ええと…えっとー」
 ハボックが必死に頭の中の記憶を探っていると静かに寝室の扉が開いた。
「あ、大佐」
 入ってきたロイにハボックは体を起こしながら何の気なしに声をかける。その途端、ギクリとロイが身を強張らせた。
「え……たいさ…?」
 明らかに緊張した様子のロイを見てハボックは恐る恐るロイを呼ぶ。不安げに揺れる空色の瞳を見て、ロイは身構えた体から力を抜いた。
「ああ、ハボックか……」
 ロイはそう呟くと固い笑みを浮かべてベッドに近づいてくる。見上げてくる空色の瞳を見つめて言った。
「気分はどうだ?ハボック」
「気分……は、別に普通っスけど………オレ、夕べどうしましたっけ?」
 いつの間にベッドで寝たんだろう、と首を傾げるハボックをロイはじっと見つめる。それからうっすらと笑って言った。
「夕べは急に酷い頭痛を起こしたろう?覚えてないのか?」
「頭痛?」
 オウム返しに聞き返してハボックは考える。そうして漸くデザートを出したそのすぐ後、目眩がするほどの強烈な頭痛に襲われたことを思い出した。
「あ、そうか。なんか急にすげぇ頭が痛くなって……」
 リビングの柔らかい照明すら突き刺さるようで目を開けていられなかった。ロイの黒い瞳が心配そうに間近から覗き込んでいたような気がする。
『休んだ方がいい』
 確かそう言われて。───それから?
「オレ、あの後ここで寝たんですか?」
「とても帰れそうになかったからな」
 そんなに酷い有様だったのか、とちょっとばかり情けなくなってため息をついたハボックは、不意にロイの顔色が優れないことに気づいた。
「大佐。大佐の方こそ顔色悪いっスよ?大丈夫っスか?」
 ハボックはそう言ってロイの頬に手を伸ばす。だが、触れるその寸前に伸ばした手は乱暴に振り払われた。
「あ」
 反射的だったのだろう、振り払ったロイの方が驚いている。咄嗟の事に反応できない猫のように立ち尽くすロイを見上げて、ハボックはひきつった笑みを浮かべた。
「すんません、その……」
 何を言っていいのか判らずに視線を泳がせるハボックにロイは慌てて言う。
「ごめん、その…っ、ちょっとびっくりして…ッ」
「あ、そうっスよね。いきなりだったから!」
 ロイの言葉に飛びつくように答えたハボックは、まん丸に見開いたロイの瞳を見て口を閉ざした。そのまま二人は何も言えずに俯いていたが、やがてロイが小さな声で言う。
「中尉にはお前は調子が悪いから休むと連絡してある。一人にして平気なら私はこれから司令部に行ってくる」
「えっ?オレならもう平気っスよ。仕事行きます。オレよりアンタの方が顔色悪いのに」
 休んだ方がと伸ばしかけた手をハボックは慌てて引っ込めた。そんなハボックをじっと見つめたロイは小さく首を振る。
「平気だ。お前はここで休んでいろ」
「でもっ」
「休んでいろと言ってるんだっ」
 思いがけない強い物言いにハボックは目を見開いて黙り込んだ。
「………出かけてくる」
 ロイはぼそりとそう言うと、ハボックをそのままに寝室を出ていった。

「大佐、こちらの書類にサインをお願いします」
 そう言って差し出される書類をロイは顔を上げて受け取る。目を通してサラサラとサインを書き込むロイを見つめながらホークアイは言った。
「ハボック少尉の具合はどうですか?」
「ああ、私が出てくる頃にはだいぶ落ち着いていたよ」
 ホークアイの質問にロイは書類を返しながら答える。
「急に休ませてしまって悪かった。ハボックの仕事はブレダ少尉が代わってくれたのかな」
「少尉とファルマン准尉が」
 ロイの言葉を引き取ってホークアイが言った。今朝方、ハボックの調子が悪いから休ませるとロイから電話がかかってきた時には少なからず驚いた。プライベートでもつきあいがあるのは知っていたがこれまで一度もこういう事はなかったからだ。
「そうか、では今度埋め合わせをしなくてはな」
 ロイはそう言って机に肘をついて両手を組みその上に顎を載せる。
「夕べ、うちによった帰りに酷い頭痛を起こしてね、動けなくなってしまったんだよ」
「ハボック少尉が、ですか?」
 今更ながら言い訳のようにロイは理由を口にした。頭痛などとは一番縁のなさそうな男の不調の理由に、ホークアイが驚いたように首を傾げるのを見てロイは苦笑する。
「まあ、あの調子なら明日には出てこられるだろう」
「そう聞いて安心しました」
 ホークアイはそう言って微笑むと受け取った書類を他の決済済みのものと纏めて手に取り執務室を出ていった。パタンと扉が閉じるとロイは深いため息をつく。ドサリと椅子の背に体を預けて目を閉じた。
 夕べ、久しぶりに姿を現したジャクリーンは、今までの不在を埋めるかのように手荒くロイを抱いた。
『アイツの甘ったるいセックスと、どっちがいいっスか?』
 乱暴に揺さぶりながらそう囁くジャクリーンの声が蘇る。ガツンと突き上げられてロイが嬌声を上げれば、囁くジャクリーンの声に笑みが混ざった。
『こっちの方が感じてるみたいっスね』
 大佐って淫乱、とクスクス笑う声が耳元に響いた気がしてロイは慌てて耳を押さえる。ギュッと身を縮こまらせて、ロイは苦しげな息を吐いた。
『ここ暫く、ずっとアイツの中でアンタ達のこと見てたっスよ』
 昏い瞳でそう言ったジャクリーン。そのアイスブルーの瞳が何かを訴えるように自分を見つめていたことを不意に思い出して、ロイは縮めていた体から力を抜いた。
「お前の望みは何なんだ?ジャクリーン……」
 そう呟いて未だ体の内側に残るジャクリーンの痕跡に、ロイはギュッと唇を噛み締めた。

「オレ、一体どうしちまったんだろう……」
 ロイが出かけて暫くの間ベッドで横になっていたハボックは天井を睨んで呟く。ゆっくりと体を起こしてみたが、もう夕べのような激しい痛みはどこにも残ってはおらず、ハボックは一つため息をついて立ち上がった。
「こんなことじゃいつか肝心な時に役立たずになっちまう」
 大事な作戦中にこんなことになったら目も当てられない。自分一人が危険な目に、最悪命を落とすような目にあうのなら仕方ないと諦めもつくが、小隊の連中や、ましてやロイに危険が及ぶようなことになったら死んでも死にきれないだろう。
「やっぱ一度医者に行くかなぁ……」
 そう呟きながらハボックは自分が寝ていたベッドのシーツを引き剥がす。頭痛が治まってしまえば至って丈夫な体は暇を持て余すばかりで、かと言って今朝のロイの剣幕を思い出すと司令部に行くのもはばかられて、ハボックは洗濯でもしようと丸めたシーツを手に階下へと下りた。
 定期的にクリーニングを頼んであるから本来ならハボックが洗濯をする必要はない。だが、意外にもまめなこの男は汚れ物があれば洗濯するのが常だった。
「他にも溜まってるものあるかな……」
 ハボックはそう呟いてランドリースペースに置いてある籠を覗き込む。数枚放り込んであったタオルを拾い上げてシーツと一緒に洗濯機に入れたハボックは、籠の向こうに隠すようにして突っ込んであった白い塊に気付いた。
「シーツ?なんでこんなところに」
 首を傾げて手を伸ばすとハボックは白い塊を引っ張り出す。下洗いした方がいいような汚れでもついているのかとバサリと広げたハボックは、シーツに残る残漿にギクリと身を震わせた。
「…………」
 頭をよぎった考えを打ち消したくてハボックは食い入るように手にしたものを見つめる。その途端、鼻をついた青臭い臭いに顔を歪めた。
「どういうことだよ、これ……ッ」
 ハボックは唸るように言って手にしたシーツを握り締めた。


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