カストルはポルークスの夢を見るか  第六章


「大佐、今日の夕飯、なにか食いたいものあります?」
 ハボックが書類を差し出しながら言う。ロイは書類に目を通してサインをしたためるとそれを返しながら答えた。
「いや、特にないが……そうだな、どちらかと言えば肉より魚料理が食べたいかな」
「魚料理っスね、了解っス」
 書類を受け取ってハボックはにっこりと笑う。また後で、と執務室から出ていくハボックの背を見送ってロイはホッと息を吐いた。
 あの日、久しぶりに肌を合わせて以来、ハボックとロイは穏やかな日々を送っていた。以前のようにハボックは食材を抱えてロイの家にやってきては腕を振るっていく。温かで心を満たす食事をすませた後は、夜遅くまで語り合うこともあれば互いを深く求め合うことも、時にはただ寄り添って幸せな眠りを貪ることもあった。ジャクリーンは一切姿を現さず、どういう理由かは判らないが二つに分かれた人格は再び一つに解け合ったのかように見えた。
(これでよかったんだ)
 ジャクリーンという人格が何故、どういう目的で現れたのかは判らずじまいだったが、ハボックはごく自然に落ち着いている。彼の心は平安を得て“ジャクリーン”を必要としなくなったということなのだろう。
(よかった……ハボック)
 ロイは優しく笑う空色の瞳を思い浮かべて笑みを浮かべた。

「大佐、おかわりいかがっスか?」
「ありがとう、でももうおなかいっぱいだ。これ以上食べたらデザートが入らなくなってしまう」
 真面目な顔でそう言うロイにハボックが吹き出す。
「今日のデザートはマンゴーのムースっスよ」
 ハボックはそう言って汚れた皿をキッチンへと運んだ。紅茶のよい香りがしたと思うとハボックがトレイにデザートを載せて戻ってくる。ロイはダイニングからリビングに移動するとデザートの皿が置かれるのを待った。
「デザートは別腹じゃないんスか?」
「別腹はデザートのおかわり用だ」
 デザートのおかわりもあると信じて疑わない口調でロイが言う。嬉しそうに目を輝かせて生クリームとフルーツで綺麗にデコレーションされた皿を取り上げた。スプーンで掬って口に運んで目を細める。
「旨い。お前、軍人辞めて私専属のパティシエにならないか?」
「ふふ、じゃあ年とってリタイア後の就職先確保ってことで」
 一体どれだけ先の話だ、とげんなりするロイに笑っていたハボックだったが、不意に眉を顰めて眉間を押さえた。
「どうかしたのか?」
 辛そうに眉を寄せて目を閉じるハボックにロイは心配そうに言う。立ち上がってハボックの隣に移ると俯く顔を覗き込んだ。
「なんか急に頭が痛くなって……」
 そう言うハボックの声は酷く掠れている。ロイはハボックの額に手を当てて熱がないか確認しながら言った。
「休んだ方がいい。立てるか?」
「………はい…」
 頷いたもののハボックはすぐには立ち上がらない。心配したロイが何か言おうとした時、ハボックがふらりと立ち上がった。
「ハボック?」
 ぼんやりと見下ろしてくる瞳をロイは不安げに見上げる。だが、ハボックはなにも答えずロイに背を向けるとリビングを出ていった。
「ハボック」
 ふらふらとした足取りを見てロイは慌ててハボックの後を追う。階段の手前で追いつくとハボックを支えるようにその長身に手を添えた。ゆっくりと階段を上りきり、ハボックは寝室に入る。見えているのかいないのか、ほとんど目を閉じた状態でハボックはロイの手を借りてベッドに腰を下ろした。
「大丈夫か?今頭痛薬を取ってくる」
 ロイはそう言ってハボックから身を離して寝室から出ていこうとする。だが、不意にその手首をグッと掴まれたロイは驚いて振り返った。
「ハボック?どうかしたのか?」
 何か言いたいことがあるのだろうかとロイはベッドに座るハボックの顔を覗き込む。閉じていたハボックの瞳がゆっくりと開いたとき、ロイは瞼の陰から現れたその瞳にギクリと体を強張らせた。
「こんばんは、大佐。久しぶりっスね」
 そう言って笑みを浮かべるのはアイスブルーの瞳。
「ジャクリーン………」
 ロイはもう消えてしまったとばかり思い込んでいた男の名を呆然として呟いた。

「よかった、覚えててくれたんだ」
 そう言って笑う男から距離を置こうとロイは掴まれた手首を振り解こうとする。だが、がっしりと掴まれた手首を自由にすることは出来ず、むしろグイと引かれてロイはジャクリーンの腕の中に倒れ込んでしまった。ロイが慌てて身を離すより早く、ジャクリーンはロイを抱き締めるとその唇を塞ぐ。噛みつくような荒々しい口づけに、ロイは目を見開いてもがいた。
「んっ……んんんっ」
 散々に甘い口内を貪ってジャクリーンは漸く唇を離す。まん丸に見開かれた黒い瞳を見つめて言った。
「暫く逢わなかったから忘れられたんじゃないかって心配してたんスよ」
「ジャクリーン、お前……ッ」
 長いこと現れない“ジャクリーン”を、理由は判らないもののロイは“ハボック”という人格と一つに溶けあったのだとばかり思っていた。信じられないとばかりに見開かれた黒い瞳にジャクリーンはクスクスと笑う。
「そんな顔して……オレが“ハボック”に飲み込まれたと思ってたんスか?………そんなことあるわけねぇっしょ」
 ジャクリーンは吐き捨てるように言って目を細めた。
「ここ暫く、ずっとアイツの中でアンタ達のこと見てたっスよ。ハボックの奴、アンタをヤった男を必死に探して……アンタの事守ってるつもりになって、馬鹿にもほどがあるっておかしくてたまらなかったっスよ。アンタをヤったのは他でもない自分だって言うのに」
 そう言ってクツクツと笑うジャクリーンをロイは信じられないというように見つめる。ジャクリーンはそんなロイを見て面白そうに言った。
「アイツと一緒にオママゴト出来て楽しかったっスか?飯作って貰って、優しく抱き締めて貰って……アンタすっげぇ幸せそうで」
 ジャクリーンはそう言ってロイをグイと抱き締める。
「俺にはあんな顔見せてくれたことないっスよね。ズルくないっスか?そんなに俺よりアイツがいいの?」
 そう言って見つめてくる物騒な瞳にロイは身動く事が出来ない。ジャクリーンは唇が触れるほど顔を近づけて言った。
「俺にも見せて下さいよ。幸せそうなアンタの顔。ねぇ、大佐……」
「……ッ!!」
 低く昏い声にロイはヒュッと息を飲んでジャクリーンを突き飛ばす。咄嗟の事に緩んだ腕から逃げ出そうとしたロイは、腕を掴まれて乱暴にベッドに押さえ込まれた。
「ジャクリーンっ!!」
 悲鳴のような声で呼ばれてジャクリーンは薄く笑う。ロイの腕をシーツに縫い留めズイと顔を近づけて言った。
「そうじゃないっしょ?アイツの事はそんな風に呼ばなかったじゃないっスか。もっと甘ったるく、昼間のアンタしか知らない奴らが聞いたら腰砕けになりそうな甘えた声で呼んでたでしょ?俺の事もそう言う声で呼んで下さい、大佐………」
 そう言って見つめてくるアイスブルーの瞳から逃れようとロイは必死にもがく。抵抗にもならない抵抗をじっと見つめていたジャクリーンはロイの首筋に口づける。ビクンと震えるロイのシャツのボタンを一つずつ外して前を開くとそっと手を這わせた。
「ジャクリーン……?」
 普段はこんな優しい触れ方をしてこない男をロイは恐る恐る呼ぶ。ジャクリーンは返事の代わりにロイの肌に口づけを降らせた。甘く肌を滑る舌先にロイが熱い吐息を吐き出した時。
「…いッ?!ヒィイッ!!」
 ぷくりと立ち上がった乳首に突然噛みつかれて、ロイは悲鳴を上げる。ギリ、と歯が食い込むように噛まれ、ロイの唇から上がる悲鳴が高くなった。
「ヒィッ…ッ、いた…ぁっ!!!痛いッ、やめてっ、ジャクリーン…ッッ!!」
 乳首を食いちぎられてしまうのではとロイの背筋を冷たい汗が流れる。恐怖と痛みでロイの瞳から涙が零れる頃になって漸くジャクリーンはそこから唇を離した。
「はあっ……はっ……あ………」
 息を弾ませながら涙を零すロイの顎をジャクリーンはグイと掴む。涙に濡れた瞳を覗き込んでジャクリーンは言った。
「やめて、じゃないっしょ?ホントは痛くされるの大好きなくせに。それとも甘ったるい抱き方しか出来ないアイツに抱かれてるうちに忘れちゃったんスか?アンタが凄い淫乱だってこと」
「……ジャ…リーン」
 ふるふると弱々しく首を振るロイにジャクリーンは昏く笑う。
「だったら思い出させてあげるっスよ。たっぷりと、ね……」
 ジャクリーンはそう囁くとロイの白い肌に歯を突き立てた。


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