カストルはポルークスの夢を見るか  第十章


「隊長、そろそろ時間です。……隊長?」
 軍曹は前屈みに椅子に座り込んだままぼんやりとしているハボックに心配そうに声をかける。ほんの一瞬の間をおいてハボックは背筋を伸ばして振り向くと言った。
「ああ、すまん。ちょっとぼーっとしてた」
「嫌ですよ、隊長。しっかりしてくれないと」
「わりぃわりぃ。すぐ行くから先行っててくれ」
 ボリボリと頭を掻いて答えるハボックに軍曹はホッと息を吐いて頷く。
(ここんとこ元気なくて心配だったけど、あの調子なら今日は大丈夫そうだ)
 そんな事を考えながら軍曹は部屋を出ていった。その背を見送って残った男は唇に薄い笑みをはく。アイスブルーの瞳を細めて呟いた。
「そうそう、お前はそうやって眠ってろ。その間に俺が全部片づけておいてやるから」
 ジャクリーンは自分の中で目を閉じるもう一人にそう語りかけると、ゆっくりと立ち上がり部屋を出ていった。


「………あ、れ…?」
 ゆらりと傾いだ身体をハボックは踏ん張って支える。ガタガタと撤収の準備をしているらしい部下達を見回して目を見開いた。
「予定より早く片づきましたな、隊長」
「え?」
 その声に傍らを見れば軍曹が笑っている。
「久しぶりに隊長らしい隊長が見られて、あたしは安心しましたよ」
 そんな風に言われてハボックは無理矢理に笑みを浮かべた。
「んだよ、それ。まるでオレが腑抜けてたみたいじゃん」
「腑抜けてたというより元気がなかったので心配してたんですよ」
 元気になってよかったです、と笑う軍曹にあわせるように笑いながらハボックは懸命に記憶をたどる。そうしてやっと浮かんできたぼんやりとしたそれを、まるで縋りつくように必死に手繰り寄せた。
(疲れてんのかな……なんでたった今し方の事がこんなにぼんやりしてんだ?)
 そう言えばさっき酷い頭痛がしていた事を思い出してハボックは緩く頭を振る。
(やばい、しっかりしろ。一応任務はこなせたみたいだからいいけど)
 ハボックは内心自分を叱咤すると両手でパンと頬を叩いた。


「………どこにいったんだ?ハボック」
 家を飛び出たロイはハアハアと息を弾ませながら辺りを見回す。たどり着いた繁華街は今日の疲れを吹き飛ばそうという人々で賑わい、目指す金髪を隠してしまっていた。
「くそ…」
 ロイはキュッと唇を噛んで人混みを縫うようにして歩き出す。ハボックの姿を探すうちに込み上げてきたのは後悔ばかりだった。
「一人になんてするんじゃなかった…」
 久しぶりに現れたジャクリーンに動揺してまるで逃げるようにして司令部に出てしまった。自分を見つめる空色の瞳が不安に揺れていた事を思い出してロイは顔を歪める。早くハボックを見つけださなければロイ自身が不安に潰されてしまいそうだった。
「ハボック!どこだっ?!」
 ロイは街の喧噪に負けない大声でハボックを呼びながらその姿を探し続けた。


「はあ……はあ……」
 ハボックは襟元を押さえて荒い呼吸を繰り返しながら夜の街をさまよう。倒れそうになって思わず縋ったショーウィンドウのガラスに移る己の顔にギクリとして後ずさった。
「オレ…はっ」
 怯えたように首を振るハボックの脳裏にまるで雪崩のように記憶が流れ込んでくる。
 押し倒され驚愕に黒い瞳を見開くロイ。もがく細い身体から引き裂くようにして衣服を剥ぎ取る自分。その白く滑らかな肌に無惨ともいえる痕を刻み込む。苦痛と快感に泣き叫ぶ声を心地よく聞きながら、細い両脚を押し開いた。半ば勃ちあがった楔を扱いて強引に快楽を引きずり出し、甘い蜜を搾り取った。そうして戦慄く蕾を花開かせ、滾る凶器で切り裂いたのだ。
『ジャクリーン…!』
 嫌々と首を振りながらも絡みついてくる熱い肉。啼きながら縋りついてくる白い腕。快楽に蕩ける黒い瞳。
「たいさ……」
 自分に抱かれる時、ロイはあんな風に乱れて求めてきたことがあったろうか。
「オレ、は……」
 ガクリと跪いた拍子にハボックは落ちていたガラスの破片で手を傷つけてしまう。痛みに身を震わせてハボックは傷ついた己の手を見た。そうすればそこに流れる赤い血が新たな記憶を呼び覚ましていく。
『なんで僕を撃つの…?』
 その声にハッとして顔を上げれば、虚ろな目を見開いた血塗れの子供がハボックを見つめていた。
『ど……して?』
 そう言って伸ばされてくる細い腕に、ハボックは絶叫を上げた。


「うわああああッッ!!」
 聞こえてきた絶叫にロイはハッとして辺りを見回す。
「ハボックっ?」
 聞こえたと思しき方向に走り出すと必死にハボックの姿を探した。
「ハボック!どこだっ!」
 ぶつかりそうになった男に罵られるのも構わず、ロイは行き交う人々を突き飛ばすようにして視線を走らせる。すると、ショーウィンドウの前に蹲る金髪が見えてロイは慌てて駆け寄った。
「ハボックっ!」
 そう叫んで肩を掴めば男がゆっくりと顔を上げる。その冷たく輝くアイスブルーの瞳にロイはハッとして息を飲んだ。
「アンタが探しにくるのはいっつもハボックなんスね」
 ジャクリーンはそう呟いて肩に置かれたロイの手首を掴む。のっそりと立ち上がり、目を見開くロイに向かって言った。
「俺の事は探しに来てくれないわけ?」
「ジャクリーン……」
 くしゃりと顔を歪ませてジャクリーンはロイの手首を掴む手に力を込める。手首の骨が砕かれてしまいそうな痛みにロイは低く呻いて首を振った。
「痛い…っ、離せ、ジャクリーン!」
 なんとか腕を振り解こうとするが、ジャクリーンの手はびくともしない。それどころかジャクリーンはロイの腕を掴んだまま引きずるようにして歩きだした。
「ジャクリーン!」
 ロイは必死に足を踏ん張り、自由な方の手でジャクリーンの指を外そうとする。だが、そんなロイの抵抗などものともせずにジャクリーンは近くの安宿へと入っていった。二階に上がると一番奥の部屋の扉を開け、ロイを中に引きずり込む。狭い部屋に置かれた薄汚いベッドの上にロイを突き飛ばすと、ロイが身体を起こす間を与えず圧し掛った。
「ジャクリーン!」
 身動きできないように押さえ込まれて、ロイは圧し掛かる男を睨み上げる。じっと見下ろしてくるアイスブルーの瞳から目を逸らさないよう、ロイは必死にジャクリーンを見つめた。そうすればフッとジャクリーンの表情が和らいだように感じる。ハッとするロイに現れたハボックは言った。
「大佐はオレの事、どう思ってるんスか?まともに任務もこなせない腑抜けだと思ってる?」
「ハボック?」
 そんな事を言うハボックにロイが何か言う前に目の前の男が一つ瞬きする。すると次に現れたアイスブルーの瞳がロイを睨みつけて言った。
「それとも血を見るのが大好きなケダモノだと思ってんの?抵抗も出来ないような子供を撃ち殺して平気な顔してるケダモノだって。こんな俺の事は存在を認めねぇの?」
「ジャクリーン!」
 吐き捨てるように言ったジャクリーンはロイを押さえつけていた手を離し立ち上がる。よろよろと後ずさるとドスンと壁に背を預けた。
「……殺しちまった…。まだあんな子供だったのに」
「…?」
「それともおれ、人を殺すの、好きなんスかね……。アンタの事引き裂きたくてたまんないみたいに」
「ハボック?……ジャクリーン?」
 ゆらゆらと揺れる瞳にロイは今ここにいるのが誰なのか判らない。男は蒼い瞳でロイを見つめて言った。
「アンタはおれの存在認めてくれないんでしょ?おれの手、真っ赤だから」
 ひきつった笑いを浮かべて男は言う。
「おれ……おれ、は……」
「……ッ」
 ゆらりと傾いだ体をロイは飛びつくようにして抱き締めた。


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