| セレスタの涙、オニキスの誓い 第九十二章 |
| 「おはようございます……」 「おはよう」 ダイニングの扉を開ければコーヒーのいい香りが漂ってくる。椅子に座って新聞を広げているロイにおずおずと朝の挨拶をかければ、黒曜石の瞳が優しい笑みを浮かべてハボックを見た。 「すんません、オレ……」 ロイが食事の支度をしてくれるというのに任せてソファーに腰を下ろしたハボックは、疲れきっていたあまりそのまま眠ってしまった。結局次に目が覚めたのはベッドの上、朝の光が鎧戸の隙間から射し込む頃になってからで、ハボックは申し訳なさそうに身を縮めて謝った。 「ベッドにまで運んで貰っちゃって……」 「ぐっすり眠っていたからな」 折角作ってくれた食事を食べなかったどころかベッドに運んでまで貰って、ハボックは申し訳ないやら恥ずかしいやらでキュッと目を瞑る。そんなハボックにロイは笑って立ち上がるとハボックの金髪をくしゃりと掻き混ぜた。 「気にするな。よく眠れたか?」 「あ、はいっ」 聞かれてハボックは目をあけて頷く。それに頷き返したロイはキッチンへ行くと夕べのチキンを冷蔵庫から取り出した。 「旨かったんだ。さっと炙ってスライスしてパンに挟んだらどうだろう」 「あっ、オレがやります」 言いながらフライパンを取り出すロイにハボックは慌てて言う。 「そうか?じゃあ頼むよ」 手を伸ばしてくるハボックにチキンを任せて、ロイはヨーグルトでサラダを作った。チキンサンドとヨーグルトサラダで朝食を済ませて出かける用意をしていれば玄関のチャイムが鳴る。迎えの車だと玄関に向かうロイにハボックが言った。 「じゃあオレは歩いていくっスから」 「何を言ってる。一緒に乗っていけ」 「でも」 迎えはあくまで大佐であるロイに対して、だ。自分が乗っていく訳にはいかないと首を振るハボックにロイは言った。 「構わん。どうせ迎えは」 言いながら鍵を回す。そうすれば待ちかねていたように外から扉が開いた。 「おはようございます!────ハボック!」 「ブレダ」 入ってきたのが昔馴染みの友人だと気づいて、ハボックは空色の目を見開く。ブレダはハボックを見ると満面の笑みを浮かべてガッシリとその体を抱き締めた。 「よ、元気か?」 「……うん、ブレダ」 一頻り抱き締めて、ニッと笑って言うブレダにハボックは頷いて笑みを浮かべる。何か言おうと何度か口を開きかけて、だが頭の回転の早いこの男には珍しく言葉を見つけられず、ブレダはガシガシとハボックの金髪を掻き混ぜた。 「わっ、よせよ、ブレダっ」 「うるせぇ」 セットした髪を乱されてハボックが悲鳴を上げる。頭を抱えて逃げるハボックとそれを追いかけて金色の髪を掻き混ぜようとするブレダを見ていたロイが、わざとらしく咳払いした。 「ブレダ少尉。迎えに来ておいて私を遅刻させる気かね?」 「ああ、すんません」 どこか不機嫌さの滲む声にブレダはハボックの髪を掻き混ぜていた手を引っ込める。車に行ってますと出ていくブレダの背を見送って一つため息をつくと、ロイはハボックの乱れた金髪に手を伸ばした。 「運転手はブレダ少尉だ。乗っていけ」 「……はい」 優しく髪を梳く手に、ハボックはそっと目を伏せて頷く。そんなハボックを抱き締めたい衝動を押さえ込んで、ロイは髪を梳いていた手をギュッと握り締め外へと向かった。 「ブレダ、ここで停めて」 ハボックはシートから身を乗り出すようにして言う。司令部の正門から少し離れたところでブレダがブレーキを踏むと、ハボックは停まった車から降りた。 「乗せて貰ってありがとうございました」 じゃあ、と早口に言って足早に歩いて行ってしまうハボックをロイはブレダと共に見送る。ハボックが門の中に消えたのを確認してからブレダは車を進ませた。警備兵に車を預けブレダはロイを追って入口の短いステップを上がる。司令室に向かってゆっくりと歩いていくロイに、追いついてきたブレダが言った。 「思ったよりは元気そうで安心しました」 「夕べは食事もとらずバタンキュウだったがな」 「そうだったんですか?」 「あんまりぐっすり眠ってたんで起こせなかった」 ソファーで眠るハボックは無防備で妙に幼く、見つめるロイに愛しさと共に独占欲をかき立てた。ベッドに運んでも目覚める気配のないハボックをこのまま閉じこめて自分だけのものにしてしまいたくて、ロイは己の欲望を押さえ込むのが必死だった。伸ばしかけた手を引き戻し寝室から出て扉を閉めた時、零れたため息が震えていたのに気づいてロイは苦く笑った。その後は結局まんじりともせず夜を明かしたものの、起きてきたハボックを何でもないような顔をして迎えたのはロイがハボックを愛していたからだ。今度こそ間違える事なくロイはハボックの手を取りたかった。 「うす」 ロッカールームで着替えていればダグラスが声をかけてくる。正直答えたくはなかったが無視するわけにもいかず、ハボックはダグラスの方を見ずに「ああ」とだけ返した。 「マスタング大佐の車で来てたな」 だが、耳元にそう囁かれて、ハボックは思わず振り返る。そうすれば覗き込むダグラスと間近に顔をつき合わせる形になって、ハボックは反射的に後ずさった。 「なんで?」 余計な詮索をされることがないようわざわざ門の手前で降りたというのに、しっかり見られていたのかと思うとハボックは内心ゾッとしてダグラスを見る。どう答えるか、ほんの一瞬考えてハボックは口を開いた。 「士官学校時代からの知り合いなんだ。途中で見かけて車に乗せてくれた」 「……ふぅん」 ハボックの説明に納得したのかしないのか、ダグラスは肩を竦める。文句があるのかと言いたげな空色にクッと笑ったが、ダグラスはそれ以上は何も言わず己のロッカーに向かった。とりあえずはそれで済んだことにハボックはホッと息を吐く。そんなハボックをダグラスが面白がるように見つめている事に、俯いていたハボックが気づくことはなかった。 |
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